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人気絶頂で引退 芸人まいけるの意外な過去と復帰後の苦労(日刊ゲンダイDIGITAL)
「マイケル♪」のフレーズをオチに差し込むトークネタがお茶の間に受け、バラエティーや子供向け番組で活躍したマイケル改め、まいけるさん(45)。ネタがすべってもへこたれない明るい芸風で親しまれたが、2006年に母親の看病を理由に活動を休止。テレビであまり姿を見かけなくなった。今、どうしているのか。
■結婚式の司会やイベントで活躍
まいけるさんに会ったのは、東京メトロ稲荷町駅から徒歩5分、台東区の事務所の一室。「芸能の仕事はうれしい」と喜んで取材に応じてくれた。顔にはうっすらシワが増えて苦労の跡がうかがえるが、明るい笑顔やたくましい体つきは以前と変わらない。
「08年に活動を再開しまして、現在はフリーで頑張ってます。結婚披露宴の余興とか企業のパーティー、ショッピングモールでネタを披露する毎日です」
2年間のブランクを経て活動を再開した当初は“テレビ慣れ”がたたって苦労したという。
「テレビではネタを数十秒ほど披露するだけで良かったんです。でも、結婚式の司会とか余興とかやると30分以上お客さんを盛り上げないといけません。最初は15分も持ちませんでした。ハハハ」
冷や汗モノの現場を何年もくぐり抜けるうちに実力がついてきた。
「アドリブでお客さんをいじったり、掛け合いで盛り上げたりできるようになりました。マジックバーでアルバイトをして、基本的なマジックも一通り覚えました。芸の幅は広がりましたね」
そう言って白い歯をこぼしたまいけるさん。最近は沖縄の弦楽器、三線に熱中しているそうだ。
「まだ始めて2、3年ですけど、1日6時間演奏することもあります。昔はネタ書きなんて1時間もしなかったのに、ダンスとかマジックとか体を動かすこと、好きな芸は長続きするみたいです」
レパートリーは「涙そうそう」など20曲以上。沖縄の民謡ライブで披露すると、プロ奏者が舌を巻くほどの腕前だという。
今後は「三線で名人芸を生み出して、またテレビに出たい」と目標を語る一方、「なぜお笑い業界なんて大変なところへ来ちゃったんだろう」と苦笑いも。
■サザンのバックダンサーの過去、SPEEDに振り付けも
さて、大阪府大東市出身のまいけるさんは、18歳で吉本興業初の男性アイドルグループ「MAM」として芸能デビュー。数年で解散の憂き目に遭ったが、東京へ進出してアーティストのバックダンサーとして活躍するようになった。
01年からは「マイケル」と改名してお笑いの活動を本格化。バラエティーを中心に活動を続けるさなかの06年10月、心筋梗塞を患った母親の看病をするため芸能活動を休止。その後、08年に「まいける」に改名して活動を再開した。
バックダンサー時代は「大御所の人たちと匹敵するレベルで踊っていました」と、まいけるさん。実際、その経歴は華々しく、当時人気を博した荻野目洋子やサザンオールスターズ、TRFのバックダンサーを務めた。また、同期や後輩は現在、安室奈美恵や浜崎あゆみらトップアーティストのバックダンサーとして活躍しているそうだ。
「デビュー前の『SPEED』の4人にダンスの振り付けをしたこともあります。沖縄から上京したての中学2、3年の彼女たちが、ボクに一人一人自己紹介してたんですよ。今でも会ったら“マイケルさん”とか“マイケル先生”ってなるんじゃないですかね。でも、こんなに人生逆転するものなのかな。ハハハ」
芸人としての絶頂期は03~06年。子供向け番組を中心にテレビ出演し、「各局にレギュラーがある感じ」だった。ちなみに当時の年収は?
「2000万円くらいです。ボクはちょっと世に出させていただいただけですが、あのころは『こんなに稼げるのか!』って感覚がマヒしちゃうくらいでした。え、今ですか? 今はサラリーマンの初任給くらいの月収です。男一人なんとか食べていけるくらいですかね」
苦労したが芸人冥利に尽きる出来事もあった。
「一昨年にテレビ番組のコント企画で、木村拓哉さんと明石家さんまさんという2大スターが、ボクの『どんマイケル♪』を使ってくださった。めちゃくちゃうれしかったです。録画してずっと残してます」
満面の笑みで芸人の幸せを噛みしめていた。
提供元:Yahooニュース