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ミッキー吉野さん「1人で表現する時代じゃない」半世紀迎える音楽活動は夫唱婦随で ちょっとおのろけも…(産経新聞)


 ロックバンド、ゴダイゴのリーダーでキーボード奏者のミッキー吉野さん(65)が、来年プロミュージシャンデビューから50周年を迎える。また、妻で芸術家のミニー吉野さん(46)と結婚して今年で10年。このところは、夫唱婦随の芸術活動に邁進しているというミッキーさんに、ちょっと早いけど音楽生活半世紀をどう迎えるのかを聞いた。


■「寛容」と「ひらめき」の半世紀


 ミッキーさんのプロとしての振り出しは、1968年加入のグループサウンズ(GS)、ザ・ゴールデン・カップス。ちなみにカップスは、伝説的な不良バンドとしてもGS史に名を残す。


 そして、文化庁推薦作品にもなった映画「銀河鉄道999」の主題歌などをうたったゴダイゴ。表面的な性格が正反対の両グループに所属したのがミッキーさんだ。


 そんなミッキーさんの音楽人生を表す言葉は2つあるという。1つは「寛容」、そしてもう1つは「ひらめき」なのだという。


 カップスでも、ゴダイゴでも、「ミッキーが寛容だから、メンバーが集まっているというのがあるんじゃないかな」とはミニーさんの評。ミニーさんによれば、ミッキーさんは、さまざまなことに対して寛容だというのだ。


 「アートは、否定が一番アウト。否定すれば狭まっていく。全てを肯定した中でものづくりをする」というのが、ミッキーさんの基本姿勢。「20世紀が欧米の時代だとすると、21世紀にはアジアの時代になると思っていた。中でも、寛容、というのは日本の良い文化だよね。自由といえば自由なんだけど」と笑う。


 ミッキーさんは1968年にザ・ゴールデン・カップスに途中加入。71年にバンドを抜けると、米ボストンの名門、バークリー音楽院に入学。74年に後にゴダイゴのメンバーとなるドラム奏者、トミー・スナイダーさん(64)と出会い、帰国して76年にゴダイゴの活動を始めた。


 「ガンダーラ」や「モンキーマジック」、「ビューティフル・ネーム」など、数々のヒット曲を生み出す。編曲はすべてミッキーさん。その他国内のアーティストにヒット曲を提供すること多数。ミッキーさんの曲は、日本中を彩った。


 「プロとして50年。人の家の看板を作るような(商業的な)仕事にいやになることもあったし、芸術っぽい作品は、自分でこだわったものでも、他人が聴けばそれがどうした、というようなものもあった」と振り返る。


 「今ではそういう、いいことも悪いことも全てがOKになったよ」


■アートの素


 ミニーさんは、ゴダイゴのファンだった。


 「中3で行ったコンサートが解散コンサートでした。私にとっては最初で最後のゴダイゴ・コンサート」と述懐する。その後のファンの集まりにも積極的に参加した。1990年代の終わり頃から、ミッキーさんの個人サイトへの書き込みもしていた。


 2000年の年末にサイトのオフ会があった当日、ザ・ゴールデン・カップスのボーカル兼リーダーだったデイヴ平尾さんが東京・六本木で経営していたライブハウス「ゴールデン・カップ」に、「ザ・ゴールデン・カップスのメンバーが集まっている」と聞いて、オフ会のメンバーでライブハウスを訪れた。


 1984年にもファンミーティングでミッキーさんとミニーさんは顔を合わせてはいたが、この時に「この人が祥江さん(ミニーさんの本名)」ときちんと紹介されたという。


 「結構きれいな人だなあ…」。自身のサイトへの書き込みで、ミニーさんの名前を認知していたというミッキーさんは、照れながらそう振り返る。


 とはいえ、ミニーさんは、韓国のソウル弘益大学の絵画科に通っており、その後も年1度の帰国時にライブに足を運ぶ程度だったという。当時は互いに別のパートナーもいた。しばらくはファンのひとりに過ぎなかった。


 だが、ミッキーさんは、ミニーさんが絵を描いていると聞いて、感じるものがあった。


 「昔から、アーティストと一緒に暮らしてみたい、という願望があった」。80年代にはスナイダーさんらと3人で、「トータルアートを追求する会社をつくったりもした」という。ミッキーさんは自ら絵コンテを描いて映像作品を撮るなどもしたが、「自分は絵は得意ではない。自分の中でアートの素になるものを提供してくれるアーティストと組みたかった」のだという。


 2006年にゴダイゴが再始動。翌07年に東京芸術劇場の音楽監督に招かれたミッキーさんは、ゴダイゴのコンサート「TOKYO新創世紀」を開催した。


 そのコンサートを前に、ミッキーさんのひらめきが炸裂(さくれつ)する。「彼女の絵を見たいな」。ミニーさんにメールを送り、ソウルの大学まで飛んだ。


 ひらめきのまま、行動に出たミッキーさんが目に為たのが、ミニーさんの「翼の絵」という絵画作品だった。「これは行ける」という思いがミッキーさんの中を駆け巡った。「この100号の絵を貸してくれるかな。コンサートで使いたいんだ」と依頼。ひろめきだ。コンサートで絵を使うことは、メンバーには事後報告で済ませた。


 ミニーさんは同大学の大学院への進学が決まっていたが、「ここまで描いているなら、もっと違う世界もある。日本に帰ってきたほうがいいんじゃない」とミッキーさんに口説かれ、帰国を決めた。


 「ミッキーがあまりにもひらめきの人なんで。そのひらめきの面白さを信じてみようと思って」とミニーさん。折しも、2人とも離婚していたこともあり、同年10月に結婚した。


 その後、ミニーさんは横浜にあるミッキーさんのスタジオの一室をアトリエとして美術制作に励むことになる。


 ちなみに、結婚して最初の夕食は「吉野家の牛丼」だった。「吉野家(よしのけ)に入る、という意味でで、吉野家(よしのや)にご挨拶しよう」と、2人で出かけた。


 今でも「東京ラーメンショーに出かけよう」と、ミッキーさんのひらめきで行動をともにする仲むつまじさ。ひらめきが2人を末永くつないでいる。


■信頼できる仲間と表現を


 音楽と美術。「音楽は調和の中でアウトスタンディング、自立をしていかなくてはならない。自分でフォーカスを絞っていく絵の作り方に興味がある」とミッキーさん。


 ミニーさんは「自分の作品をミッキーに見せると、私の中にはない物を言ってくれる」と喜ぶ。例えば、絵の中に描かれた馬を「逆さに描いたらどう?」「空を飛ばしたらどう?」とミッキーさんが提案するという。


 ミッキーさんは「女性だけど迫力があってダイナミックなんですよ。それを表現するには、型にはまっていない方がさらに良さが出るんじゃないか。音楽でもドラムで単純なビートを打つよりも、乱れ打ちした方が、聴く側もオーっとなるように、そういう感動を表現してもらいたいんです」と音楽家らしい表現で、その理由を話す。


 息がピッタリ合った2人。ミッキーさんはこれからの音楽活動にも、新たな方向性を見いだしているという。


 「今までのヒット曲を還元することもひとつだけど、(ミニーさんとの結婚で)次への道が見えた。今の時代は、1人で表現する時代じゃないでしょ。信頼できる仲間と何かを表現することだ。それが次のポイントになる」


 「その新しい表現をスタートするきっかけになる」と考えているのが、11月8日から14日まで東京・新宿の新宿高島屋で開催されるミニーさんの個展「ミニー吉野展~マリオネットの夢~」だ。


 百貨店では初の個展となる今回、ミニーさんは油絵20点に加え、1・5~2メートルのオブジェ4点を出展する。


 また、デジタルアーティストの中原修一さんが3DCGを駆使して、ミニーさんの絵画を元に制作した映像作品も公開。約1分半のこの作品に、ミッキーさんが音楽をつけた。


 ミッキーさんは「絵画に執着を持っていたけど、そこから飛び出してくれないかなと思っていた」と今回、オブジェ制作も手掛けたミニーさんの新たな創作姿勢を歓迎する。


 「80年代には自分で『ミラクル』という絵を描いたりしたけど、その頃から思っていたことをやっと実現できる」と、音楽と美術の融合を喜んでいる。


 「自分の出す表現はひとつじゃない。世間から見るとヒット曲ばかり注目されがちだけど、何のためにやってきたかというと、よりよい明日のため。それをいろんな人にリマインド(確認)していくのがアーティストの役目でしょ」


 GOD(精神)とEGO(肉体)を「I」を持ってバランスする…。これがゴダイゴ(GODIEGO)の名の由来だが、ミッキーさんはそれを地で行くアーティスト活動を今後も続けていく。新たに、ミニーさんの美術作品という“武器”を得て、半世紀に渡る音楽人生の集大成をさらに紡いでいく。(文化部 兼松康)


●ミッキー吉野(みっきー・よしの) 横浜市出身。米軍キャンプなどで演奏。1968年7月、「長い髪の少女」などのヒットを放っていたザ・ゴールデン・カップスに途中加入。71年、カップスを脱退し、バークリー音楽院に留学。後にゴダイゴでスティックをにぎるドラム奏者、トミー・スナイダー(64)と出会う。74年、帰国して「ミッキー吉野バンド」で活動。歌手、タケカワユキヒデ(65)のレコーディングに参加。75年、ミッキー吉野バンドにタケカワを迎えてバンド名をゴダイゴとする。78年、「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」を立て続けにヒットさせる。ゴダイゴは、85年に活動休止するが、2006年に本格的に再始動。

提供元:Yahooニュース
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