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【インタビュー】強烈だった恋愛は、いつだって鮮明に思い出せる――臼田あさ美が明かす恋愛観(cinemacafe.net)
臼田あさ美は、主演映画『南瓜とマヨネーズ』において、恋人のせいいち(太賀)と過去の男・ハギオ(オダギリジョー)の間で惑うツチダに扮した。劇中のいびつな三角関係を、こう表現する。
【画像】『南瓜とマヨネーズ』主演を務める臼田あさ美
「飲料に例えたら、ハギオは初めて飲んだコカ・コーラみたいな感じかな? たぶん一生忘れないし、『あれってすごかったあ』って、また飲みたくなるというか…そういう存在です。せいちゃんは、う~ん…出汁ですね! 疲労を感じたときに思い出すというか、味わいたくなる、ホッとする存在なんじゃないかなと思います」。
実に、言い得て妙だ。90年代、ストリート系、当時で言えば裏原系女子のバイブル的雑誌「CUTiE」から派生した「CUTiE Comic」にて、1998年に掲載されていた魚喃キリコの代表作「南瓜とマヨネーズ」。主人公・ツチダが同棲中のミュージシャンを目指す優しい恋人せいいちと、昔の想いを断ち切れず逢瀬を重ねてしまう過去の恋人ハギオとの間で、自分の気持ちがわからないまま揺れ続ける、脆い姿が反響を呼んだ。あれから19年が経ち、2017年の時代背景に落とし込んだ映画版として生々しく蘇った。
そもそも、冨永昌敬監督から強いオファーのもと臼田さんが声をかけられたのが4年前。原作の存在も知っていて、企画の内容を聞いた臼田さんは、「絶対やりたいし、やるべきだと思いました」と強く興味を惹かれたという。製作までにはかなりの時間を要したが、月日を待ってまで、作品の何に惹かれたのかと聞けば、「正直、わからない部分もあるんです」と、臼田さんは切り出した。
「ツチダに共感したとか、そういう経験をしたとかではないんです。原作を読んだとき、脚本を読んだとき、撮影中、いまと、ずっと変わらない気持ちなのは、せいちゃんに対して何とかしてあげたいという思いでした。原作を映画化して、せいちゃんを何とか送り出したい…成仏させたいと言うと大袈裟ですけれど(笑)。せいちゃんの歌が皆に届けば、報われるんじゃないかなという感覚になっているんです」。
ツチダは、働かないで曲を作ろうとする(実態はくすぶっている)せいいちのために、ライブハウスでアルバイトをし、それだけでは生活が苦しくキャバクラにも勤め始める。せいいちに内緒でする夜の仕事は、やがて愛人契約という成れの果てに。ほどなく、せいいちにもバレてしまい、それをきっかけに恋人たちの仲は悪化の一途をたどる。よく言えば尽くし、悪く言えばとにかく流されやすい女がツチダ像だ。ツチダになるため、臼田さんはあえて「準備しすぎないようにした」そう。
「原作も脚本も読む時間がたっぷりあったんですけれど、特別なことは何もしませんでした。普段やっているほかの作品より、役についてあまり考えないようにしていたというか。『南瓜とマヨネーズ』は、いたって日常の話だから、特別なことをやって特別な表現をしようというよりも、その瞬間に思ったことを見せる、そのときに感じた顔をすればいいと思っていたんです。(太賀さんと)ふたりで作り上げた空気で伝えなきゃいけない作品なので、人物をクセづけるよりは、何もしない中で、いかに生活しているふうに見せるか、ということのほうが大事でした」。
だからか、せいいちと過ごしたツチダの狭いアパートが、作品のリアル感を盛り上げる。
「そうなんです。撮影に入る何日か前に、監督が『1回、家を見に来ない?』と普通にラフな感じで、メールをくれたんです。私と太賀くんで『じゃあ見に行こうか』と行ったことが、すごく良かったんだと思います。初めて家に行ってお芝居をするんじゃなくて、事前に行って、ただごろーんとしてみたり、キッチンに行ってみたりして。『ここに住んでいるふたりなんだな』とイメージできた上で、現場に入れたので。せいちゃんがいて、あの家があったことが、常に私をツチダにしてくれる環境でした」。
ツチダを彩る人物として、現恋人役の太賀さん、元恋人役のオダギリさんという心強い実力派もそろった。「太賀くんとは、いろいろなところですり合わせるというか、感覚的に何かを共有して作っていきました。オダギリさんとは久しぶりに(共演作品以来にで)お会いして、『あれっ』という感覚のまま、気づいたら終わっていた、みたいな不思議な感じでした」と、それぞれの印象について語る臼田さんは、とても生き生きとしている。せっかくなので、共演した感想をさらに詳しく聞いてみた。
「太賀くんは、もともと友達だったんです。恋人としての距離感とはまた全然違うと思うんですけれど、私は年上だし遠慮もないので(笑)、楽な関係なんです。お芝居に関しては、事前にそうして信頼関係が築けていたことが、とても大きかったかな。客観的に見ていたら違和感のないシーンだとしても、ふたりの感覚的には違和感があることも出てきたりしたので、わりとふたりだけで共有していました。例えば、台本にある台詞では感情が追いつかなかったときは、『いま、思う感覚を優先しよう』という感じで、本番でふたりでやってみて『OKです!』となることもありましたね」。
台本は完璧に頭に入った上で、その場で起きることや、新鮮な気持ちを優先して演じるということは、俳優なら誰しもできることではない。柔軟性があることは、女優としての武器にもつながる。「私は全然自信がないから、自分が準備してきたものが正しいと思わないんです。自分が想像できることなんてしれているし、そこに監督や共演者、それぞれの想像があったら何倍にも物語は膨らむと思っています。いつも新しい意見が欲しいし、新しい意見に対応できる人でいたいと思うので、現場で変化していくこととかは恐れないというより、むしろ(変化が)ないことのほうが恐ろしい」と、謙虚な姿勢を見せつつも、きっぱりと言い切った。
太賀さんと同じく、臼田さんと空気感が合う印象のオダギリさんとの共演もまた、心地よかったのだろうか。「オダギリさんは、すごく気さくな方です。ここ最近のオダギリさんの作品を立て続けに拝見していて、やっぱりすごく余裕があるなと思っていました。どんな役をやっても、見ていて苦しくないし、その人のさらに奥行きの部分が気になるというか。だから、オダギリさん自身の人間力が、きっとその役に深みを持たせているんでしょうね」。
すべからく、ハギオもオダギリマジックにかかった。「ハギオに会う前、ツチダは『ハギオに会ってもお金を渡さないし、今日で別れを告げて、あんたなんか最低だから会わないって言ってやろう』という気持ちで家を飛び出したと思うんです。けれど、彼の前に行くとコントロール機能が全部故障になる。ハギオの圧力で言いたいことが言えないのではなく、いつの間にか向こうのペースに飲まれていて『あーもう、じゃあいいよ、しょうがないなあ~』となっていくという…(笑)。お芝居をしていても、不思議な感覚でした。私自身、すごくリアルに感じました」。
ツチダは七転び八起きどころか、七回転びっぱなしでいるような女だ。しかし、恋愛において正解がないことは明白だし、もしかすると恋愛で100%成功をしていると胸を張れる人は、世の中にそうはいないのかもしれない。臼田さんは、「未練という意味では、女の人は断ち切るのは早い気がします。でも、ものすごく強烈だった恋愛は、いつだって鮮明に思い出せるというか。その感覚は、あるんじゃないかなと思います」と、女性的立場での恋愛観を明かした。不器用ながらも恋愛に必死で向き合ってきた人たちがどの時代にもいるからこそ、『南瓜とマヨネーズ』が描く世界観は旧びず、永遠にあり続けるのだろう。
提供元:Yahooニュース