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タイプの俳優と共演で…樹木希林さんが見せた“乙女の表情”(日刊ゲンダイDIGITAL)

青山佳裕【平成芸能界 直撃の30年史】
樹木希林さんに女の子のお孫さんが誕生したのは平成11年、1999年のことだ。この2年前、長女の内田也哉子さんと夫の本木雅弘との間に長男も生まれており、54歳でおばあちゃんになっていた。
数々のドラマやコントでおばあちゃんを演じてきた希林さんだが、現実におばあちゃんとなると、やはりお孫さんがかわいくて仕方ないのだろう。目じりを下げて、いろんな話をしてくれた。
「うちの娘はあんなだけど、旦那さんが本木さんだから、孫娘はかわいいのよね。でもね、かわいい、かわいいって皆に言ってもらえるだろうって聞いたら『うん』って。だから言ってあげたの。あらいいわね、でもそれで特別だなんて思ったら駄目よ。周りの印象なんてすぐ変わる。だから常に周りに優しく、雰囲気を良くして、相当かわいいねって言われるぐらいにしているのよって」
希林さんは晩年、都内の自宅を2世帯住宅にして、ひとり暮らしをしていた。寂しがり屋で、誰かとしゃべるのが好きな人で、アポなしの直撃取材にも「上がりなさい」と玄関のドアを開けてくれた。ご自宅には夫内田裕也の部屋もちゃんとあり、写真が飾られていた。
何度かの取材で写真撮影をお願いすると、南麻布の光林寺というお寺で撮影してくれとおっしゃる。そこは内田家が檀家で、ご先祖たちが眠っているそうで、そこでの写真を残しておきたいのだと説明してくれた。「わたし、ここの墓守なのよ」と。長く別居してはいても、ご先祖たちを寂しがらしちゃいけないと掃除に供養を欠かさず、内田家の嫁としての務めを果たしていたのだ。
内田裕也とは1973年に出会い1カ月で結婚。しかし、家に帰らず、DVもあって、すぐに別居。その後も女性スキャンダルに警察沙汰、勝手に離婚届まで出したこともある夫と、最期まで夫婦であり続けた。そこには尽くせぬ思いがあるのだろうが、ちゃめっ気のある希林さんはこんなことも言ってしまう。
「死ぬときは自宅でみんなに囲まれてね、夫には『どちらさまですか』って言って死にたいわ」
「もし来世というものがあって、また生まれ変わることがあるのなら、今度は出会わないようにしたい」
笑わされ、けむに巻かれてしまう。
■「ひょっとしてタイプなんじゃ?」に顔を赤らめ
ドラマ「味いちもんめ」だったか、希林さんが内藤剛志と共演するシーンが印象的で、ふとこんなぶしつけな質問をしてしまったときのことだ。
「希林さん、ひょっとして内藤さんのことがタイプなんじゃないですか。回を追うごとに、内藤さんを見る目が乙女のようになってましたよ」
なにバカなこと言っているのよ、とでも返されると思ったが、
「…………」
顔を赤らめて、黙ってしまった。
「どうしたんですか」と聞いても、うつむいたまま、恥ずかしそうに首を左右に振っている。どうやら図星だった。大ベテランの女優で、数々の難役もこなしてきた希林さんだが、いつまでも色あせない魅力は色恋もちゃんと持ち続ける心根にあったのではないか。
希林さんは平成30年、2018年9月に永眠(享年75)。本葬と告別式はあの光林寺であった。昭和そして平成の芸能界を牽引してきた希代の大女優は今も人々を魅了してやまない。
(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)
あおやま・よしひろ▽1954年、東京生まれ。美空ひばりの時代から取材歴40年。現在も週刊誌などで活躍するベテラン直撃記者。
提供元:Yahooニュース