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いいとも青年隊 工藤兄弟が語った“双子キャラ”への反発心(日刊ゲンダイDIGITAL)

1990年代、「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の8代目いいとも青年隊として、お茶の間に歌とダンスを披露した工藤兄弟。兄の順一郎さん(47=写真右)、弟の光一郎さん(47=同左)の双子コンビは、その後もバラエティー番組などで活動した。08年に芸能界から退いたが、今どうしているのか。
◇ ◇ ◇
工藤兄弟に会ったのは、東京メトロ後楽園駅から徒歩1分のレンタルスペース。
それぞれ髪形は異なり、顔には年相応の苦労の跡が刻まれている。2人は息の合ったテンポで交互に話し始めた。
現在の主な活動は、幼児向けの体遊び教室。
「ホールや教室へギターを担いでいって、2人で創作したリズム遊びなどを交え、体を動かす楽しさを伝える活動をしています。大人向けにストレッチ体操などもやっていて、上は80歳の方までいます。ただ、芸能界から引退したわけではありませんよ。宣言してませんし、『オファーがあれば検討します』というスタンスです」(順)
年間の延べ生徒数は「2万人」といい、兄弟で稼ぐ年収は、芸能界時代と比べて「約3~5倍」(光)だという。
順一郎さんは「ネットのウワサを見て『4億円も稼いでるの?』と聞いてくる人もいますけど、それはないです。ホリプロにいた時は微々たる給料だったから、それと比べたら多少……という感じです」と笑う。
今の仕事のやりがいについて2人はこう語った。
「目標を達成した時、子供でも大人でもいい表情をするんです。それを見ると、この仕事をやっててよかったと思います。あとは、指導した子たちの中から、いつかプロスポーツ選手とかオリンピックのメダリストとか出てきたらうれしいです。それは今後ずっと楽しみですね」(順)
「テレビ的に見れば、僕らの活動はマイナスに見えるかもしれません。それはただ、自分たちが芸能界でうまく振る舞えなかったから、勝手に劣等感を持っているだけ。だけど、目の前の人を楽しませることは、テレビと同じ。20年近く培ってきたことが生きています。それがたまたまカメラで撮られず、放送されていないだけ。テレビ業界で活動してよかったと思ってますよ」(光)
■「ぜいたく過ぎる環境」に甘えていた
さて、東京都出身の工藤兄弟は子供の頃、「互いに引っ込み思案で、いつも一緒」(光)だった。高校卒業後の91年、「母親が勝手に応募した」第16回ホリプロタレントスカウトキャラバンに「面白半分で」参加。特別賞を受賞し、ホリプロ入り。小さな仕事をこなす中、92年3月末から8代目いいとも青年隊としてデビューした。
印象に残っているのは「初めてタモリさんの家に行った時」と順一郎さん。
「大豪邸に着いて、中から出てきたのが、普通のメガネでパジャマみたいなスエットを着た、優しそうなオジさん。『誰?』と思いました。それが完全オフの“森田一義”。カメラが回っていない時はスゴい無口ですけど、家ではもっと無口。でも、映像業界の話を熱心にされていらっしゃったのをよく覚えてます」
94年9月、2年半の青年隊の活動を終えたが、兄弟は“双子キャラ”への反発心を募らせていた。
「思春期の頃から互いに個性を出したがっていたのに、19~20歳の時、『いいとも』でガッチリ、ペアルックになりました。双子キャラへの反発は、『いいとも』卒業後に爆発。髪形とか全く別々で、取材に来た人は、僕らが双子だと分からないくらいでした」(光)
順一郎さんは「スポーツも歌も演技もできる、ぜいたく過ぎる環境でした……」と自戒の念を込めて、こう続ける。
「でも、僕たちは強い志もないまま芸能界に入ったから、芯がない。要求にうまく応えられないし頭がついていかない。空気も読めない。だから需要が減っていきました」
2人は08年、芸能界の一線から退いた。
それから約10年。現在は互いに結婚し、偶然にも男2人、女1人の父親に。この先もずっと一緒に活動していくのか。
「100%とは言い切れないけど、僕は一緒に活動すると思います」と光一郎さんが言えば、順一郎さんも「そうなると思います。工藤兄弟っていうこの4文字、2人で培ってきたものは消せません」と吹っ切れたように笑った。
(取材・文=桜井恒二)
提供元:Yahooニュース