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45年のほろ酔い公演「私の足跡」加藤登紀子さん(カナロコ by 神奈川新聞)


 歌手の加藤登紀子(73)が12月1日、杯を片手に歌声を響かせる「ほろ酔いコンサート」を県立音楽堂(横浜市西区)で開く。「横浜は音楽にこだわりを持っている人が多いので、歌手としてとても燃える場所」と決意をみなぎらせている。


 東大在学中の1966年に「誰も誰も知らない」でデビュー。68年7月にプロの歌手としてバルト三国に出向くため、横浜港から「ハバロフスク号」に乗り込んだ。真夜中になると、私服になった船員たちがダンスホールで歌い、踊っていた。「解放区だった船内で聴いた彼らの歌声はエネルギーの塊でした」と懐かしむ。


 学生紛争のただ中で恋に落ちた藤本敏夫と72年に結婚。夫が服役中に出産し、73年に歌手活動を再開した。


 「歌うことは、生きること」


 前を見つめる日々の中で、45年間続けたほろ酔い公演は、「私の足跡」と思い入れもひとしおだ。


 2002年に夫が他界し、「愛の讃歌(さんか)」をどう歌えばいいのか苦しんだ。


 ある年の横浜公演。客席の通路に降りたとき、ファンから「どうして『愛の讃歌』を歌わないの?」と問われた。


 〈Le ciel bleu sur nous peut s'effondrer〉


 もしも空が裂けて…。エディット・ピアフがフランス語で歌った詞の日本語訳をとっさに口ずさんだ。すると、言葉の質感と閉じ込めていた気持ちがピタリと重なるのを感じた。ピアフが恋人のマルセル・セルダンを飛行機事故で亡くした際、この曲を歌うことで再生したことを思い出した。


 「愛の讃歌を再び歌うまで3年かかったけれど、自分の言葉で歌ったとき、私の歌になったと感じた。きっかけをくれた横浜に感謝している」


 11月15日には、ほろ酔いライブの音源70曲を収録したCD「超録!加藤登紀子ほろ酔いコンサート-20世紀編」を発売する。


 「30歳になったばかりのまだ若い声を聴いていたら、あの日のことがはっきりと浮かんで、涙がボロボロこぼれてしまったの」


 あの日とは、「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」を観客と合唱した73年の大みそかのこと。笑いも涙も詰まったかけがえのない時間。思い入れが深い年の音源を年別に5枚に分けた。


 生まれ故郷の中国で初めてコンサートをした81年、「百万本のバラ」が大ヒットした88年、前年に実父を亡くし50歳になった93年、歌手活動30年の区切りを迎えた95~97年と人生が詰まっている。


 年々変化する声。「いまの私の歌声を、横浜に聴きに来て」と呼びかける。


□ □


 午後6時半開演。チケットは全席指定6500円(学生千円)。問い合

わせは、トキコ・プランニング電話03(3352)3875。

提供元:Yahooニュース
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