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元格闘家 大山峻護さんが振り返る「グレイシー一族」との死闘(日刊ゲンダイDIGITAL)
2001年、当時、無敗だったブラジルの総合格闘家、ヴァンダレイ・シウバとの試合で鮮烈な「PRIDE」デビューを飾った大山峻護さん(43)。クロアチアの“ターミネーター”ミルコ・クロコップら強敵との戦いで観客を沸かせ、PRIDEから離れた後も海外の団体で格闘家として活動、14年に引退した。今、どうしているのか。
■トレーナー業で引っ張りだこ
大山さんに会ったのは、東京メトロ人形町駅からほど近いカフェ。現役時代と変わらない逆三角の体形にジャージー姿の大山さん、生き生きとした表情でこう語った。
「引退した直後、セカンドキャリアをどうしようかと、ものすごく悩んでいました。ちょうどそのころ、厚労省がメンタルヘルス不調の防止のため、企業にストレスチェックを義務づけたことを知ったんです。そこで、自分の経験を生かして世の中の人たちに元気になってもらおうと思い、格闘技とフィットネスを融合させたオリジナルのメンタルトレーニング法『ファイトネス』を考案しました。現在は企業への営業とパーソナルトレーナー業を兼務しています」
スーツケースに背広とジャージーを入れ、企業向けの研修や個人トレーニングの合間に打ち合わせや商談に奔走する。
「研修の際は、僕の現役時代の話もさせてもらっています。『どういう思いでいると、壁や試練を乗り越えられるか』という話です。そうして、エクササイズをやってもらうと、みなさんの取り組み方が違ってくるんです」
大山さんの「ファイトネス」はSNSを通じて知られるようになり、今や大手企業も顧客に。最近は高校・大学など教育機関でも指導するほか、芸能人や経営者からの個人トレーニングの依頼もこなす多忙な日々だ。
■自分の腕が折られる音を聞きながら……
さて、栃木県那須塩原市出身の大山さんの“原点”は、6歳で始めた柔道だった。
「強くなってヒーローになりたいと思って。強くなるには何かを始めなければと考えたんです」
中学2年で柔道の私塾「講道学舎」(15年に閉塾)の門をたたき、作新学院高から国際武道大に進学。プロデビューまでは実業団の京葉ガスに所属するなど、柔道漬けの青春時代を過ごした。
26歳の時にアメリカの格闘技団体主催の大会でプロデビューし、27歳で「PRIDE」に移籍。デビュー戦は、日本を代表する格闘家、桜庭和志を破った直後のヴァンダレイ・シウバだった。
「連勝街道まっしぐらだった桜庭さんがシウバに倒され、『シウバに勝てる日本人は誰だ?』ということで僕に白羽の矢が立ちました」
いきなり“怪物”との対戦だったが、恐怖心はまったくなかったという。
「プロとしての経験が少なかったので、逆に怖いものなしでした。結果、プロの洗礼を浴びてしまうんですけど……」
シウバに1ラウンドTKO負けを喫した大山さんは、その後、ブラジリアン柔術「グレイシー一族」のヘンゾ・グレイシーと対戦し、PRIDE初勝利を果たす。
だが、ヘンゾの敵討ちにやってきた弟のハイアン・グレイシーとの戦いは壮絶の一言だった。
「今までで最も恐怖を感じた試合でした。『一族を背負う』ということの凄まじさを感じましたね。あれは試合というよりも“果たし合い”でした。僕はこの試合で右腕の骨を折られたんですが、『バキバキ』という音を聞きながら、『何とか左手で戦わねば』と考えていたのを鮮明に覚えてます」
PRIDEでは強敵とのマッチングばかりだったが、「ファイトマネーはビックリするような金額ではなかったですよ」と笑う大山さん。そうした事情もあって、PRIDE退団後に韓国の大会で得た優勝賞金を結婚指輪の購入資金に充てたという。贈った相手は夫人で元アイドルの河田純子さん(42)。10年に結婚し、新宿で2人暮らしだ。
ちなみに、河田さんは東京・銀座で美容サロンを経営している。夫婦そろって実業家である。
最後に大山さんはこう言った。
「アスリートにとって、実は引退後の人生の方が長いんです。でもそれは、挑戦するフィールドが変わるだけのこと。現役時代が助走だったんだと、ここから飛び出すんだと、そう意識を変えることができれば、誰もが輝けると信じています」
提供元:Yahooニュース