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ちあきなおみ 50年目の真実 最愛の夫を亡くし27年…遺言を頑なに守ったのは音楽業界への「怒り」(夕刊フジ)


★(5)


 「好きな歌、好きな芝居、好きな仕事だけ」を合言葉に、ちあきなおみと郷えい治さんが公私を過ごした14年間は濃密な日々だった。2人は1973年ごろに出会い、78年に結婚。郷さんは92年9月11日に55歳の若さで他界したが、約20年も「相思相愛の仲」だった。


 ちあきに父の記憶はなく、「父は病気で亡くなった」と思っていたが、人気者になると突然、自宅や事務所に現れてカネの無心を始めた。当時の事務所社長は楽屋にまで押しかける執拗な父親に疲れ果て退社した。


 父親の無心は2人の結婚後も止まらなかった。母のヨシ子さんを神奈川県内の一戸建てに避難させ、住民票は事務所に置いた。ヨシ子さんが乳がんで亡くなった後も、父親は事務所や楽屋に押しかける。それを郷さんが撃退する。その光景を何度か目撃したレコード会社関係者によると「郷さんは常に毅然とし、一切ちあきさんに会わせず、厳しい口調で追い返していた」そうである。


 ちあきは母親が亡くなると都内に墓碑を建て、郷さんもそこに眠る。2000年には墓から近いマンションに移り、生涯、母と夫を供養する覚悟で生活している。


 私が彼女を見たのは郷さんが逝って23年目の2015年9月の夕方だ。夫の命日ではなく、その2~3日前。彼女は黒い喪服のアンサンブル、左手首には数珠、黒いビーズのバッグを提げていた。菊などをあしらった花束を墓前にたむけると、墓石の右側に彫られた郷さんの戒名を愛しそうに指でなぞり合掌。『喝采』のワンシーンのようだった。


 思い切って「ちあきさん、一言お願いします」と声をかけると彼女は一瞬驚いたが無言のまま小走りで去った。黒いメガネ越しからも目が泣きはれているのが分かった。


 ちあきは夫が残した「もう無理して歌うことはないんだよ」という遺言を頑なに守り、歌を忘れたカナリアになってしまった。それが音楽業界から受けた度重なるバッシングへの「永遠の怒り」であるなら、「無期限スト」の本音が見えてくる。しかし惜しい…。


 休業前、最後の歌となった『紅い花』は1991年10月の発売。最愛の夫が闘病中に「過去の甘い夢にひたる」歌を歌うとき、どんな心境でステージに立っていたのだろうか。=おわり(フリーライター・中野信行)


 ■ちあき・なおみ 本名・瀬川三恵子。1947年9月17日生まれ、71歳。東京都出身。69年に『雨に濡れた慕情』で歌手デビュー。72年の『喝采』で第14回日本レコード大賞を受賞し、80万枚の大ヒットとなる。78年に日活のアクションスター、郷えい治さんと結婚したが、92年9月11日に郷さんは55歳で他界。夫の「もう無理して歌わなくてもいいよ」の遺言を守り続け約27年間、一切の芸能活動を休止したまま今日に至る。

提供元:Yahooニュース
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