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「ビジランテ」は“埼玉・深谷”愛か? 大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太で描く地方都市の暗闇(産経新聞)


 郷土愛はいまだに持てないという。だが東京で暮らしていても自分のルーツを切り離して生きていくことはできない、と感じるようになった。「ジョーカー・ゲーム」(2015年)、「22年目の告白~私が殺人犯です~」(17年)といった話題作が続く入江悠(いりえ・ゆう)監督(38)が、12月9日公開の「ビジランテ」で久しぶりに出身地の埼玉県深谷市を舞台にオリジナル作品に挑んだ。「地元で協力してくれる人は増えたが、完成した映画を見て、どうですかねえ」と心配そうな表情を浮かべる。


■知らないことがこんなにある恐怖


 「ビジランテ」は、地域と個人のかかわりを娯楽に昇華させた社会派作品で、タイトルは「自警団」を意味する。


 「アメリカでは多いみたいですが、日本だと火の用心とかお祭りのときとかですかね。会社や学校といった組織ではなくて、それぞれ私生活がある大人が集まって町を見回っているというのは、すごく面白いと思った。10年くらい前に自警団を題材に脚本を書こうとして頓挫したことがあったが、今回は映画化が実現できて非常にラッキーでした」と入江監督は顔をほころばせる。


 とある地方都市を牛耳ってきた大立者が他界し、広大な土地が残される。次男で自警団のリーダーを務める市議会議員、二郎(鈴木浩介)は、アウトレットモール建設計画を推進する市議会会派に所属しており、建設予定地の一部であるこの土地を何としても手に入れたかった。地元暴力団に雇われて風俗店の店長をしている三男、三郎(桐谷健太)からは相続の了承を取ったものの、幼いころに家出をしたまま行方知れずだった長男、一郎(大森南朋)が帰ってきて…。


 3兄弟の人間模様を中心に、政治と金の問題から裏社会との癒着、さらには不法滞在の外国人労働者も絡み、ドラマは複雑なうねりを伴って展開していく。地元の深谷などで個人的に取材していくうちに、それまで知らなかった世相がだんだんと見えてきて、それらを映画で消化したいという思いが募っていったと入江監督は打ち明ける。


 「例えば僕の地元は割と農家が多いが、跡継ぎがいなくて外国人の研修生に働いてもらっているという実態もそれまでは知らなかった。ジャーナリストではないので、何かを訴えたいというよりも、自分が知らないことがこんなにあるという怖さでしょうか。ひねくれた人間なので、それらをちょっととがった形で表現したというわけです」


■ひねくれた奴がまた帰ってきた


 撮影場所は、千葉や茨城なども候補に挙がったが、「今回はオリジナル脚本なので、原点に戻るという意味でも地元で撮らないとだめだろうなという気持ちはあった」と入江監督。


 市議会議場は規模の関係で所沢市議会を借りたが、3兄弟の家は、深谷市内で何代にもわたって養蚕業を営む古い民家を使用した。中学の同級生の実家だったこともあって快く貸してくれたが、ベッドシーンも殺し合いもある過激な場面の連続に、同級生の父親は毎日すごい顔をして見学していたと苦笑する。


 「撮影はもう大変でしたね。夜のシーンが多いんですが、気付いたら日の出の時間になっていて、暗幕で窓を覆って夜を作ったりしていました」と言うが、夜の場面は本当に気味が悪いほど真っ暗で、大きなスクリーンで見ないと恐らく判別がつかないのではないかと思えるほどだ。


 「谷崎潤一郎の『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』じゃないが、闇を闇として描きたかった。カメラマンの大塚亮さんは夜のシーンがうまい方で、最低限の照明が当たっている以外は暗くつぶすスタイルなんです。あの人の暗闇がいいなと思ってお願いしたが、日本だとテレビの影響があるのか、見やすくしてくれというケースが多い。そうじゃなくて、江戸時代だったら妖怪が出てきそうなくらいの暗闇を作りたいと思いました」


 そんな闇にまみれた映画を地元で撮るのは、ある意味、勇気がいることではないか。以前も出世作の「SR サイタマノラッパー」(2009年)を深谷で撮影しているが、田舎町でラッパーを目指す若者たちのさえない青春像を描いた作品だった。


 「地元の人も、僕はあんまりハッピーな映画を作る人間じゃないというのは分かってきたような気がする。そういうことを知っていて協力してくれるというところはありますね。ちょっとひねくれた奴が、またひねくれた本を持って帰ってきたという感じでしょうか」


■社会との接点がある人間を描きたい


 入江監督が映画監督を志したのは、深谷に住んでいた高校時代にさかのぼる。とはいえ、普通に大学で勉強してから映画の道に進もうと思っていたが、国立大学を目指した受験に失敗。浪人生活を送るも、予備校にも行かずに自宅にこもって映画を見続けた。


 「レンタルビデオはお金がかかるので、親に頼んでWOWOWに入ってもらい、片っ端から映画を録画していた。1日4本くらい、毎日見ていましたね」


 当然ながら成績は下がって、国立大学は断念。最初から映画の勉強をしようと日本大学芸術学部に進学すると、在学中から自主映画で注目を浴び、2006年に「JAPONICA VIRUS ジャポニカ・ウイルス」で長編デビューを飾る。さらに2作目の「SR サイタマノラッパー」はゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリに輝くなど、次世代を担う逸材と期待された。


 だが本人は「大学から20代はずっと迷っていた」と振り返る。


 「東京に出てくると、自分よりも映画を見ている同級生はいるし、才能あるなと思う奴も多い。映画がなくなったら生きていけないという、その怖さだけですよね。接客業のアルバイトとか全くできない人間なので、結婚式のビデオを撮ったりして、映像に関係しているところにいないと終わると感じていた。脚本は元手がいらないのでずっと書いていたが、そのときの“財産”が生きているような気はします」


 やがて監督の依頼が次々と舞い込むようになり、ここ数年は毎年のように商業映画を手がけている。


 「全く想像もできなかったことで、今はできすぎだという感じはある」と戸惑うが、そんなときに自らの原点に戻るオリジナル作品を撮った意味は大きい。


 「ゼロから物語を発想して作る力が今も残っているかを試したい、という気持ちはあった。誰のせいにもできないという部分で、やっぱりオリジナルというのは違いますよね」


 一方で「SR」から10年近くたち、大人の映画を撮る必然性も感じている。


 「昔はラッパーを夢見た青年の無責任な話でよかったが、だんだんそうもいかなくなってきた。東京でぶらぶら生きていても、人間にはどこかにルーツがあって、決して一人では生きていけないということを、大人になるにつれて実感している。学園の中での恋愛話とか、さすがにもう関心が持てなくなってきた。どこかで社会との接点がある人間を描きたいな、という思いはありますね」(文化部 藤井克郎)





 「ビジランテ」は、12月9日から東京・テアトル新宿、大阪・テアトル梅田、名古屋・センチュリーシネマ、札幌・ユナイテッド・シネマ札幌、仙台・フォーラム仙台、福岡・ユナイテッド・シネマキャナルシティ13、10日から埼玉・深谷シネマなど全国順次公開。


 ●埼玉県深谷市(ふかやし) 埼玉県北部に位置し、利根川を隔てて群馬県と接する。東京都心から電車で90分、車なら関越自動車道練馬インターチェンジから35分。年間日照時間が長く、夏は暑い。冬は「赤城おろし」と呼ばれる季節風が吹き、寒く乾燥する。面積138平方キロメートル。うち田畑が47・6パーセントとほぼ半分を占める。土壌に恵まれ「深谷ねぎ」に代表される農畜産物の生産が盛ん。「関東の台所」の役割を果たす。花き栽培と造園業も盛ん。ユリは全国1位の生産量、チューリップは全国2位。棒アイス「ガリガリ君」の製造で有名な赤城乳業の本社も所在。人口は14万3811人(2105年国勢調査)。ゆるキャラは「ふっかちゃん」。

提供元:Yahooニュース
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