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車いすバスケのスーパースター「東京パラで金メダルが欲しい!」(TOKYO FM+)
藤木直人、伊藤友里がパーソナリティをつとめ、アスリートやスポーツに情熱を注ぐ人たちの挑戦、勝利にかける熱いビートに肉迫するTOKYO FMの番組「TOYOTA Athlete Beat」。12月9日(土)の放送では、車いすバスケットボール界のスーパースター、パトリック・アンダーソン選手が登場しました。
パトリック選手は1979年、カナダのエドモントン生まれ。9歳のときに飲酒運転の車にはねられ、両足の膝から下を失いました。その後、車いすバスケットボールと出会い、1997年にカナダ代表入り。シドニー、アテネ、ロンドンのパラリンピックで金メダルを獲得するなど、チームの中心選手としてカナダ黄金時代を築き上げました。ロンドン大会で現役を引退したものの、今年再び現役復帰を果たしました。
11月25日(土)に東京ミッドタウンで、パラスポーツの楽しみ方や理解を深めることを目指し「IMPOSSIBLE CHALLENGE FIELD」が開催されました。このイベントに参加していたパトリック選手を伊藤が直撃。現在の心境や東京パラリンピックへの思いを伺いました。
伊藤:今回のイベントはどのような気持ちで参加されましたか?
パトリック:カナダでは健常者が車いすバスケをやったりするんですけど、このイベントでは、そのチャンスがあるのは見どころだと思います。あと若手の選手たちがどれだけ強いのか、どんなプレーをするのか見てみたかった。車いすバスケって、言葉で説明しにくいので見てわかってもらうのが大事なんです。今回、日本人の若手選手たちも世界レベルのプレーができる選手ばかりで。僕自身、まだ世界レベルだといいんだけどね(笑)。そういう世界レベルの選手たちが戦うスゴさを感じてほしいし、それが東京の室内で行われるのはスゴいことだと思う。
伊藤:“生きる伝説”と称されるパトリック選手ですが、9歳のときに交通事故にあわれて車いすバスケで活躍されるまで、辛い時期をどのように乗り越えてきたのでしょうか?
パトリック:“ひとつの悪いことの後ろには1,000個の素晴らしいことが隠れている”という考え方があって。自分が乗り越えられたのは決してひとりの力ではない。家族やコミュニティ、協会の人だったり、たくさんの人に支えられてきたからなんです。また、カナダはヘルスケアのシステムがすごく良くて、そういうサポートもあったおかげです。今の自分があるのは、本当に恵まれた環境で多くの人の支えがあったからだと強く思います。
提供元:Yahooニュース