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中国に失望して「台湾独立」を口にしたこともあった?…「大財閥の御曹司との婚約よりも歌を選んだ」「死因には不審な点も」《本物の歌姫》テレサ・テンの生涯(現代ビジネス)

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私たちの心を撫でながら、優しく潤す「アジアの歌姫」生誕70周年を迎えた今、ああ、彼女の声をまた聴きたい。
習近平、ついに“自滅”か…アメリカの論文が予想した中国「大崩壊」の末路 「彼女の夢は、中国にある両親の故郷で、地元の人向けに小さなコンサートを開くということでした」
テレサ・テンを日本でデビューさせ、「日本の父」と呼ばれた元トーラスレコード社長の舟木稔さんが、そう振り返る。
台湾生まれのテレサが、舟木さんの交渉に応じて日本でデビューしたのは'74年のこと。当初はなかなか売れず、大ヒットを飛ばしたのは'84年になってからだ。
「この年の1月に『つぐない』が発売されると、大阪や九州の有線放送でじわじわと火がつき、日本有線大賞を受賞しました。その頃は香港に住みながら、年に数回来日する程度でしたが、彼女はヒットに喜び、とても満足していました」(舟木さん)
翌年の『愛人』もヒットし、NHK紅白歌合戦に出場すると、'86年の『時の流れに身をまかせ』がまたも大ヒット。史上初めて3年連続で日本有線大賞・全日本有線放送大賞のグランプリを受賞する。日本中がテレサ色に染まるような「黄金の3年間」となった。
彼女の歌が多くの人を感動させた秘密はどこにあるのか。舟木さんが語る。
「天性の声質に恵まれていました。情感が豊かで、耳に心地よく響き、聴く者の心を癒やして魅了します。やや舌足らずな歌い方が、日本人には出せない哀愁を感じさせもしました」
彼女の努力にも、その秘密がある。
'84年から歌い方が変わったのだ。'83年の香港でのコンサートが成功した後、イギリスへ渡って休養しながら、本格的にボイストレーニングを行った。
喉をいためずに長時間歌える新たな歌唱法を身につけたのだ。それにより、息継ぎが楽になって息の荒さが目立たなくなり、歌詞が自然に流れていくような歌い方に変わったという。 「幼い頃から歌が大好きで、彼女が歌うと大人たちが笑顔で手拍子してくれる。その嬉しさが原体験だったと本人から聞きました」(著書に『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』があるノンフィクション作家の平野久美子さん)
テレサは'53年、台湾・雲林県の農村で、中国本土で結婚した両親の長女として生まれた。本名はデンリーユン(中国語の芸名はデンリーチユン)。3人の兄と1人の弟に囲まれて育った。
平野さんが続ける。
「河北省や山東省の伝統的な歌劇の劇中歌、いわゆるオペラを母親が子守歌がわりに歌い、それを聴いて育ちました。彼女の感情の込め方は歌詞の意味を大事にする伝統歌曲に由来する」
実際、テレサの実弟のジム・テンさんは、「詞をもらったら意味を完全に消化して、人に伝わるようになるまで繰り返し朗読していました」と語っていた。
'74年のデビュー曲『今夜かしら明日かしら』以来、大きなヒットに恵まれなかった'70年代は、地道に営業を続ける日々を送った。
酔客からヤジを浴びせられて、楽屋で泣いたこともあったという。
『ふるさとはどこですか』をリリースした'77年には、雪深い福島・三島町を訪れ、人々の温もりに安らぎを感じることもあった。
だが、'79年に事件が起こる。偽名のパスポートで日本に入国しようとして国外退去処分が下されたのだ。日本のレコード会社は契約を終了させる一方、舟木さんはテレサを支え続けた。
提供元:Yahooニュース

