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平子理沙の母(83)日本にネイルアートを広めた女性「もうひとつ花を咲かせたい」(CHANTO WEB)

モデル・平子理沙さんの母で、日本にネイルアートブームをもたらした平子禧代子さん(83)。専業主婦が主流だった時代に家庭と仕事をどう両立させてきたのでしょう──。

【画像】平子理沙さんが2歳の頃の可愛すぎる写真も!(全14枚)■バブルで人気になったネイルアート

── 仕事の経歴をお伺いします。まずはモデルとしてキャリアをスタートさせたと伺いました。

平子さん:結婚後、ファッションの仕事をしていた彼(夫)の叔父の木村四郎の勧めでモデルを始めて、新聞やCM、ポスター撮影などをしました。自分が写ったポスターが大きく飾られているのを眺めたときは、嬉しいような照れくさいような気持ちでしたね。でもモデルは2年で辞めてしまったんです。子どもが好きで、早く子どもが欲しかったので。たった2年でしたけど、とても華やかで楽しい日々を過ごさせていただきました。

── お子様のご出産後は何をされましたか。

平子さん:子どもが小学生になったときに子ども服のデザインを始めました。あの時代の子ども服って垢抜けなくて、もっと可愛いのがないかなと思って始めたんです。でも当時は、自分の名刺も持っていなかったので、紙に「平子禧代子」と書いて。自分でデザインを考えて縫っていただいて、それをバッグに詰めて飛び込みで営業に行きました。そうしたら行く先々ですべてOKとなり、デパートや有名な子ども服の店などに置いていただきました。当時、取引先の方は今と違って男性ばかりでしたね。工場に生地を納品して、商品の値札付けから、集金も全部自分でしていました。子どもたちを学校におろしたらそのまま配達に行って。

ゼロから全部自分でするビジネスが好きなんです。インターナショナルスクールの制服のデザインもさせていただいて、可愛いと好評でした。他の私立校にも制服ファッションの影響を及ぼしました。── 1983~1985年頃、海外のネイルアートを日本に持ち込んでブームが起きたそうですが、日本では当時どんなネイルが主流だったのでしょう。

平子さん:付け爪やネイルアートも少しはあったと思いますが、単色で塗るだけのネイルが一般的でした。アメリカではすでにネイルアートがスタートしていました。

── ネイルアートに注目した理由はなんですか?

平子さん:私は街を歩いていても常に「これを輸出してみるのはどうかな」と考えてビジネスに繋げていたんです。

提供元:Yahooニュース
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