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『プレイボーイ』創刊者ヒュー・ヘフナーが逝去、知られざるもう1つの顔とは?(ELLE ONLINE)
1953年に雑誌『プレイボーイ』を発刊したヒュー・ヘフナー。創刊号にマリリン・モンローのヌード写真を掲載していたことから「セックス誌」と評されていたが、ヘフナー自身は「この雑誌をセックス誌と思ったことはない。私はいつもこれをライフスタイルマガジンだと考えてきた。セックスはその中で重要な要素の1つだ」。
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それまでライターとして活躍していたヘフナーは、1955年にもペンネームでSF小説「The Crooked Man」を発表している。内容は「異性愛者の男性が、同性愛者が多数派の世界で迫害される」という、進歩的なもの。発表当時、激しい抗議の声が起きたという。ヘフナーはこれに「同性愛者の世界で異性愛者を迫害することが間違っているならば、異性愛者の世界で同性愛者を迫害することも間違いだろう」と答えていた。後年のヘフナーが同性婚の権利を支持、「我々の権利のための戦いだ」と評していたのにも頷ける。
他にも女性が堕胎手術を受ける権利をサポート、自由主義者として活動していたヘフナー。黒人が一般公共施設の利用を禁止されていた時代、黒人を自分のパーティに招いたこともあった。そのパーティの様子をテレビで放送したため抗議が殺到、雑誌のスポンサーを失ったこともあったが彼の姿勢は揺らがなかったという。また彼の作った「プレイボーイ財団」は表現や信教の自由を守るための活動に長年にわたって寄付をしてきている。人種、性別、セックス、すべての差別と闘ってきたヘフナーを、フェミニストの活動家として知られるカミール・パーリアは「社会革命の根本を設計した人物の1人」だと語っている。
生前「私は夢見る少年なんだ」と語っていたヘフナー。彼がバニーガールでいっぱいのプレイボーイマンションの中に収まらない、大きな夢を抱いていたことは間違いない。革新的な自由主義者の安らかな眠りを祈りたい。
(text : Yoko Nagasaka)
提供元:Yahooニュース