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セレブが悪いことをしたとき、個人的な感情を抱いてしまうワケ(コスモポリタン)

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20年前なら、セレブの行動に個人的な感情を抱いてしまうことは、馬鹿げた考えだったかもしれない。その当時は、雑誌の誌面やテレビの画面、映画のスクリーンという限られたメディアに収まっていた彼らが、自分たちの生活で起きたささいな出来事を共有することはごくまれで、共有するとしても限定的だった。たとえば、セレブの結婚式が雑誌のグラビアページを大々的に飾ったり、インタビューで新しいプロジェクトをプロモーションしたりする程度であり、それがファンに与えられる情報のすべてだった。
容赦ないゴシップブログや、お世辞にも美しいとは言えないパパラッチの写真を除けば、セレブの生活のありふれた瞬間や彼らの意見は、友人や家族、そしてごく身近な人たちだけに留まっていた。その後、SNSの時代が幕を開けることになる。
SNSの台頭により、私たちは突然セレブの自宅に招かれ、彼らが好んで飲むジュースのブランドや、通っているワークアウトのレッスンについて知ったり、彼らが変革を求めて投票する姿も目の当たりにしたりした。彼らは、ソファに座ってスマホの画面をスクロールしている私たちに直接語りかけてくる。
これにより、私たちは初めて、セレブが自分たちと同じ人間に見え、タブロイド紙の“ある関係者”の発言を通してではなく、彼らとダイレクトにつながることができるようになった。そして、彼らが失恋に苦しんだり、幸福を求めて努力したりするのを、私たちと同じ人として直接的に見ることができるようになったのだ。
しかし、彼らと接する機会が増えるにつれ、その役割は絶えず変化してきた。セレブは、エンターテイナーから文化的なタッチポイント、そして歪んだタイプの友人へと転落した。私たちは彼らのコンテンツを消費すればするほど彼らを知っていると感じ、見れば見るほど彼らとの関係が強固なものになると感じてしまう。そして、セレブが私たちのことをまったく知らないという事実は、ほとんど重要ではなくなってしまうのだ。
そのため、私たちが勝手に知っていると感じているセレブが、その公的な役割に反することや、本人らしくないこと、法律から外れたことをしていると非難されると、個人的に軽蔑されたように感じ、彼らに対する私たちの忠誠心を侮辱されたように感じてしまう。
現在、ポップスターのリゾが悪い意味で注目を浴びている。彼女の元バックダンサー3人が、リゾと彼女のダンスチームのキャプテンであるシャーリーン・クイグリーに対し、体型を侮辱する行為やセクハラに満ちた「敵対的」な職場環境を作ったとして訴訟を起こしたのだ。その44ページに及ぶ訴状は大きな議論を巻き起こし、リゾへの失望を表明する人たちも出てきた。リゾはこの疑惑を強く否定し、「悪意のある」「センセーショナル」なものと主張している。
このニュースを知ったときに、私のなかで最初に沸き起こったのは「がっかり」という気持ちだった。元バックダンサーたちの主張の真偽はまだ証明されていないが(そしてもっと詳しいことがわかるまで、私たちは判断を保留すべきだと思うが)、リゾはこれまで社会的、文化的に善良な振る舞いをし、道徳的な羅針盤のような存在とみなされていただけに、こうした非難が浮上したことを残念に思う。
音楽業界の第一線で活躍する黒人女性であり、ボディポジティブの象徴であり、技術とクリエイティブな才能においてトップに君臨しているという、私がリゾに感じていた誇りは、少し不快に感じられた。音楽を楽しむ以上に、リゾは私のなかでより壮大で重要な何かを象徴する存在になっていた。リゾの人間性を超えて、私は彼女に女性のエンパワーメントや、黒人の卓越性、そして惜しみない喜びなど、より多くの意味を持たせていた。それだけに、今回の疑惑はさらに受け入れ難いものとなった。
提供元:Yahooニュース

