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小林幸子「とまり木」1曲で億単位の印税! 作詞・作曲家が明かす質屋通いからの逆転人生【あの人は今】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】

 たきのえいじさん(作詞・作曲家/73歳)

  ◇  ◇  ◇

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 小林幸子の「とまり木」、マルシアの「ふりむけばヨコハマ」、伍代夏子の「忍ぶ雨」など数多くのヒット曲を書いてきた、たきのえいじさん。演歌・歌謡曲だけでなく、小泉今日子の「私の16才」などアイドルの楽曲や「はぐれ刑事純情派」「必殺仕事人V・風雲竜虎編」(ともにテレビ朝日系)などドラマの主題歌・挿入歌も手がけてきた。たきのさんの作った歌を聞いたことがない人はいないだろう。たきのさん、今どうしているのか。

 たきのさんに会ったのは、新宿三丁目から徒歩3分の喫茶店。たきのさん、まずはこう言った。

「8年前から、かとうれい子という歌手と“歌の宅配便”の活動をしています。ホスピスや、ALSなどの難病で寝たきりの方のお宅へうかがい、無償で音楽を届ける活動です」

 日本訪問看護財団からの依頼で、訪問看護のテーマソング「人明かり」を作ったのが契機だそう。

「慈善活動は30歳ごろ、千葉県いすみ市にある『いすみ学園』という障害者福祉施設との出合いが最初です。学園歌を作り、歌の祭典のイベントを企画し、今も年に数回訪れています。きれいごとでは施設運営はできませんから寄付もしています。こうした訪問先が長野や三重など7、8カ所あります」

 なぜそれほど熱心に?

「私は24歳のとき、作詞・作曲家としてデビューしここまで生きてきましたが、食べられるようになるまで、たくさんの方のお世話になりました。たとえば、当時、住んでいた練馬区関町の質屋さん。長針のとれた置き時計や住んでいた下宿先の畳、無名の私が書いた楽譜や友人の油絵などを持ち込み、『必ず偉くなって取りに来ます』とハッタリをかまして500円、1000円と借りていました」

 ギャグ漫画のような話だ。

「何度か栄養失調でフラフラになったことがあるほど、当時は貧困にあえいでいました。だから、いただいた恩がありがたく、いつかどこかで返さねばご先祖さまに叱られる、と思っていました。私は今、慈善活動で出会った人たちの顔が、毎朝目覚めると真っ先に思い浮かびます。彼らは生きるために野菜やジャムを作って売る。僕も同じ働く仲間として歌を作る。彼らの存在が歌を書くエネルギーになるのです。きれいごとのようだけど、くたばるまで続けようと思っています」

 夫人の理解はあるのだろうか。22歳のとき、3歳年上の関西学院大学教授の娘と結婚。2人の子どもに恵まれ、長男は公認会計士、長女は幼稚園の先生に。孫に女の子が2人。

「嫁には活動の話はしていません。隠しているわけではなく、私たち夫婦は私は私、嫁は嫁という考え。嫁は気丈な人ですね。私が33歳のとき、髄膜炎になり生死をさまよったときも冷静でした。当時、私は日本酒1升、ウイスキー1本、生ビール3杯飲んで夜明けに帰る、というむちゃくちゃな毎日を送っていたので、嫁に『死ぬよ』と忠告されていたのに耳を貸さなかった。だから、私が死にかけても、嫁は涙ひとつ見せませんでしたね」

 現在は早寝早起きで体調も良い。就寝前に、“40文字の詩”と解説文を書いて寝るのを習慣にする。

「いつか、これを本にしたい。作詞作曲も続けていますよ。水森かおりさんや北原ミレイさん、津吹みゆさん、かとうれい子クンらの歌を書いています。まだ無名のかとうクンでヒット曲を作り、東京国際フォーラムで歌わせてやりたい。そのバックで1曲ギターを弾かせてもらったら、思い残すことはありません」

■横浜市内で夫人と2人暮らし

 さて、愛媛県大洲市出身のたきのさん(本名:滝野英治)は、県立大洲高校卒業後、演劇に憧れ上京。劇団「早稲田小劇場」の研究生になり、独学で習得したギターを舞台で弾いていて、洋楽専門のレコード会社にスカウトされ訳詞を手がけるように。

 1974年、当時、大人気だった「フィンガー5」のあきら(現・晃)のソロシングル「つばさがあれば」で作詞・作曲家デビュー。

「受け取った印税は45万7000円(当時のサラリーマンの月給は約14万円)。26歳と若かったから、嫁と『全部使っちゃおう』と話し合い、2人で赤坂の高級中華『山王飯店』で食事をし、パルコで服を30万円分買い、それから朝4時まで居酒屋で飲み、タクシーで帰宅。爽快でしたね(笑)」

 その後、小林幸子の「とまり木」(作詞作曲)、小泉今日子の「私の16才」(作曲)、マルシアの「ふりむけばヨコハマ」(作詞)、坂本冬美の「紀ノ川」(作詞)など数多くのヒット曲を世に送り出してきた。

「世に出たのは1500曲ぐらいで、一番売れたのは『とまり木』。レコード化される予定さえなかったのに、朝のワイドショーで1週間とりあげてもらったら視聴者の反響がすごくて、小林さんの大ヒット曲『おもいで酒』の次のシングルに。印税がすごかった。タイトル名の入ったハンカチや箸袋など1000種類ぐらいグッズが作られたこともあり、数年かけて億単位になりました」

 1曲で億単位……!

「『早稲田小劇場』で不条理劇をやっていたこともあり、舞いあがることはなかったです」

 横浜市内で夫人と2人暮らし。

(取材・文=中野裕子)

提供元:Yahooニュース
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