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《メイドに手を付け、女郎屋で散財も…》朝ドラには描かれない牧野富太郎の人生が「激ヤバ」すぎた(文春オンライン)

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最愛の妻・寿恵子に支えられ、天真爛漫に植物学の道を究める槙野万太郎。『らんまん』主人公のモデルは、“日本植物学の父”牧野富太郎なのだが……。
【写真】メイドに手を付け、女郎屋で散財も…朝ドラ主人公のモデルになった「激ヤバ」すぎる牧野富太郎
◆ ◆ ◆「万太郎は朝ドラに相応しい爽やかな人物として描かれていますが、実際の富太郎は真逆なんですよ」
のっけからそう解説するのは、『牧野富太郎 花と恋して90年』(青土社)の著者、ノンフィクション作家の上山明博氏だ。
現在の高知県高岡郡佐川町で、造り酒屋「岸屋」の跡取り息子として生を受けた富太郎。幼い頃に両親を亡くし、祖母の浪子に育てられた。許嫁は年下の従妹。綾(佐久間由衣)のモデルとなった猶(なお)だ。ここまではドラマとほぼ同じだが、
「明治14年頃、富太郎と猶は地元で盛大な祝言を挙げたことが、佐川町の史料に記録として残っています。しかし『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)など複数ある本人の著書を見ても、猶との婚礼については一切記述がありません」(同前)
明治17年、富太郎は植物学者を志して上京。『自叙伝』によれば、
〈妻の(小澤)壽衛子と結婚したのは、明治23年頃――私がまだ27、8歳の青年の頃でした〉
猶と祝言を挙げつつ、壽衛子と結婚。戸籍制度がまだ整備されていなかったとはいえ、これは重婚では!?
「しかも、長女が生まれたのは、壽衛子が15歳の時。高知の実家に牧野猶という本妻がありながら、富太郎は東京で一方的に若い少女に惚れたようです。以降、2人は13人の子どもを儲けました」(同前) その反面、東京での生活資金は、猶が継いだ実家の「岸屋」に無心し続けた。
「富太郎が猶に送った多くの手紙からは研究費に加え、家賃や子どもの養育費など、今のお金で何億円もの大金を仕送りさせていたことが窺えます。献身的な猶は“夫”の要望に応え続けました」(同前) ドラマでは、綾は酒の腐造で「峰屋」を廃業したが、
「実際は富太郎が放蕩の限りを尽くしたことで、『岸屋』は破産。その整理のため、猶は富太郎の提案で、竹雄(志尊淳)のモデルとなった番頭の井上和之助と再婚しています。ところがその後、『若女将が番頭とデキた』という醜聞が流れます。結局、2人は逃げるように佐川村(当時)を出奔し、その後、人知れず亡くなりました。結構残酷な人生だったんです」(同前)
提供元:Yahooニュース

