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「ザ!鉄腕!DASH!!」の名物村人だった保原剛史さん 番組卒業18年、水耕栽培のスペシャリストに【あの人は今】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】

「ザ!鉄腕!DASH!!」の名物村人だった保原剛史さん(41歳)

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 1995年11月にスタートした日本テレビ系の「ザ!鉄腕!DASH!!」。TOKIOがレギュラー出演する長寿バラエティーだ。中でも「ダッシュ村」シリーズは2000年6月の開始以来、今もなお看板コーナーとして不動の人気を誇っている。本日登場の保原剛史さんは、福島県内にダッシュ村があった頃、放送作家見習ながら“2代目村人”として3年余りレギュラー出演し、お茶の間の人気者だった。さて、今どうしているのか。

 ◇  ◇  ◇

 姫路市の西隣に位置する兵庫県たつの市。揖保乃糸ブランドのそうめんや醤油の名産地で、童謡「赤とんぼ」の故郷としても知られる。保原さんと会ったのは市内・JR本竜野駅から北へ15キロほどの新宮町香山地区にある農業法人「農興」の事務所だった。

「ウチは地元にちなんだ『しんぐねぎ』やベビーリーフの水耕栽培、カット野菜の販売をしておりまして、僕が入社したのはちょうど10年前、2014年です。高校の同級生との結婚を機に東京からUターンすることになり、仕事を探してる時に社長と知り合ったのがきっかけでした」

 当時、会社設立から10年目の同社は収支トントン。時には赤字決算になることもあり、社長は縁故に頼らず新しい血を導入して状況を打開しようとしていた。

「『一緒に頑張って黒字に!!』。社長のこんな一言が決め手です。まず時給700円の配送業務のアルバイトからスタートしました」

 温厚で実直な人柄が認められ、すぐに正社員に。今では社員・パートさん15人をまとめて現場を仕切る、取締役兼農場長だ。

「当社のしんぐねぎ、ベビーリーフは、ともにミネラル分豊富で清冽な揖保川の伏流水を使って栽培しているので、柔らかくて辛みが少なく主菜の風味を邪魔しないのが特徴です。ハウス栽培だけに、1年を通してリーズナブルに安定供給できるのも魅力です」

 主力のしんぐねぎは月産約3トン。地元の青果問屋、スーパー、飲食店が主な顧客で、同社HPでは30袋・税込み2916円(送料別途)で通販もしている。

 一方、カット野菜の売れ行きもいい。その秘密はスライサーにある。

「刃を僕が小まめに研いでいるからです。面倒な作業ですが、野菜の断面がきれいで滑らかだと、傷みにくくうまみも損なわれませんからね」

 事務所そばに大小10棟のビニールハウス。扉を開けて中へ入ると、ボイラーで暖められた空気がゆるりと頬をなでた。

「水耕栽培のキモは肥料とともに、ハウス内の温度と水温なんです。夏は暑くなりすぎないよう日照と換気に注意し、冬季はハウス内を10度くらい、水温10度前後に保たねばなりません」

 問題なのはボイラー燃料代。ウクライナ情勢の影響で3年ほど前に比べて約3割アップし、収支を圧迫している。

「新型コロナによって2020年は外食産業向けを中心に売り上げが3割ほどダウン。ようやく9割に回復してきたというのに、本当に頭が痛いです」と保原さん。

 昨年夏、露地物のネギは小雨の影響で価格が例年の2倍3倍と高騰したが?

「ウチは春先と変わらない価格で販売してました。『目先の利益より、長年お付き合いのあるお客さまの負担にならないように!』というのがウチの社長のポリシーなんです」

 さて、保原さんが初代の清隼一郎さん(放送作家)から引き継ぎ、福島県浪江町の「ダッシュ村」2代目村人になったのは2002年10月。実家があるたつの市から上京して2年目、東放学園専門学校の学生だった。そして村を卒業する2006年7月まで現場に常駐。TOKIOや地元農家・三瓶明雄さんらと古民家再生、農作物栽培、ヤギなどの動物の飼育に励んだ。

「TOKIOの皆さんは、人気アイドルなのに誰もが偉ぶったところがなく、とても気さく。僕にはスタッフというより、『イジリやすい弟分』って感じで接してくれてましたね」

 今でも大事にしているのが、卒業時にもらったフットサルボールだ。

「TOKIOから長瀬さん、山口さんが離脱した今、5人揃ったサインがあるって、今じゃとても貴重。我が家で一番の家宝です」

 ダッシュ村の大きな転機は2011年3月に発生した東日本大震災。福島第1原発爆発事故による放射能汚染のため、周辺は帰還困難区域に指定され、村は移転を余儀なくされた。

「交流があった地元の人たちも散り散りになってしまい、震災以降は現地に行ったことはありません。福島へは、2014年6月に明雄さんが亡くなられ、葬儀に参列したのが最後です。もし原発事故がなかったら……って今でも時々考えますね」

 自宅は農場から車で約30分。奥さまと小3、小1の男子の4人暮らしだ。

(取材・文=高鍬真之)

提供元:Yahooニュース
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