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北野武×西田敏行 現実が映画を凌駕しつつある世界に向けて(CINRA.NET)


北野武監督の最新作『アウトレイジ 最終章』が、10月7日に全国公開される。世界的な評価と大ヒットを両立し、近年の代表作となったバイオレンスエンターテイメント映画「アウトレイジ」シリーズの完結作だ。強烈な暴力描写や「バカヤロー!」「コノヤロー!」と無数の罵詈雑言が織り成すかけ合いが話題となってきた同シリーズ。「全員暴走」というキャッチフレーズがつけられた今作は、これまで以上に裏切りや騙し合いの駆け引きがクローズアップされたスリリングな一作だ。

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暴力団同士の抗争を描いた同作だが、どこか我々の生きる現実社会と通じ合うようなところがあるのも印象的である。前作『アウトレイジ ビヨンド』(2012年)のインタビューにて、「世界のあらゆるものが崩壊しだしている。この状況にみんなイライラしていると思う」と語っていた北野監督。そこから5年、緊迫度を増す国際関係や昨今の政治状況を見渡しても、その言葉はひとつの予言となったとも言えるだろう。北野監督と西田敏行に『アウトレイジ 最終章』について、そして同作から見えてくる今の社会について、話を訊いた。


■喋りの達者な人を配役に考えてたら西田さんが「やりたい」って言うから、「こりゃあ儲けたな」と思って(笑)。(北野)


―西田敏行さんはシリーズ第1作の『アウトレイジ』(2010年)を見て次作への出演を熱望されたそうですが、どんな魅力を感じられたんでしょうか?


西田:これまでいろんなバイオレンス映画を見てきましたけれど、初めて『アウトレイジ』を見たときに、それまでにない印象を抱いたんです。「これだけ発散できるのはすごいな」と。役者としてスクリーンのなかに俺も混じってみたいと思った。それで、次回作を撮られると聞いたので、直訴しました。まあ、それまで善人の役柄ばっかりやっていたのでストレスも溜まっていたんでしょうね(笑)。


北野:「そんなに『いい人』の役ばっかしやってたっけなぁ?」って俺は思ったけどね。すんなりと「ヤクザ」として現れてくれたから。


『アウトレイジ』は拳銃の撃ち合いだけど、『ビヨンド』は基本的には罵り合いで、漫才のかけ合いみたいなもんだから、早口で、迫力があって、喋りの達者な人を配役に考えてたんだ。そうしたら西田さんが「やりたい」って言うから、「こりゃあ儲けたな」と思って(笑)。塩見さんもいたし、「花菱会」(西田敏行が演じる西野、塩見三省が演じる中田が所属する巨大暴力組織)の二人が揃ってバンバン言い合ってくれるのは、すごく面白かったよ。


―『アウトレイジ 最終章』でも、西野は重要な役どころとしてフィーチャーされています。そこには『ビヨンド』での手応えも影響していたんでしょうか。


北野:『ビヨンド』のときに『最終章』の脚本は書いてたんだ。結局、延々とシリーズが続いちゃうからね。「一度休みたい」「違う種類の映画も撮りたい」っていう気持ちがあった。(脚本としては)まず花菱会をどうにか掻き回す方法を考えた。だから、前の会長の娘婿だったカタギの株屋が入ってきていきなり会長になっちゃうっていう。


―大杉漣さんが演じた元証券マンの野村ですね。


北野:盃をもらった以上しょうがないんだけど、叩き上げのヤクザにとっては当然面白くないわけだよね。「いずれこの野郎をブチ殺してやる」って西野は思ってる。で、大友(ビートたけし)は済州島に逃がしてくれた張会長(金田時男)を心のなかの親分と思っていて、会長のためにいつでも命をさし出さなきゃいけないと考えてる。


それが偶然、済州島で花菱の若いヤクザと揉めごとになって、そこから抗争になっていくっていうのが今作。だから、今回の大友は筋回しみたいなところがあって、あんまり重要視してないんだよね。


―むしろ今回は西野がなかば主役級の働きをしていると感じました。


北野:そうそう。見せ所は花菱の会長、若頭の西野と中田、それと花田(ピエール瀧)がいろいろ画策するところなんだよね。


■芝居の上手さと漫才の上手さって、共通のところがあるんだよね。(北野)


―西田さんはどういう意識で西野を演じましたか。


西田:ともかく、俺が監督からもらったミッションは、きっちりと西野を演じるということ。だから台本に描かれている西野としての生き様を、忠実に、血肉を投入して、生きた人間として演じようと思っただけですね。


―先ほど監督がおっしゃったように、西野と大友は対照的な描かれ方をしています。筋を通す昔気質のヤクザである大友に対し、西野は計算高くエゴイスティックなところがある。こういうキャラクターはどう位置づけていましたか。


北野:基本的には、西野も大友も叩き上げのヤクザなんだよね。自分の親分と決めた人に盃をもらったら、ちゃんと命をかける。だけど、西野は修行もしてないやつが急に会長になったことが気に入らないんだよ。そんなやつに「俺が会長だ、てめえらみたいなのはもっと頭使え、バカヤロー」って言われたら、刑務所に入ったり組のためにずっと尽くしてきた自分たちが馬鹿にされたようで腹立たしい、と。だから、実質的には同じなんだ。


―演技の技術論というところについてもお伺いしたいと思います。別のインタビューでも監督は西田さんを「芝居が上手い」と評していましたが、どういった技術やポイントを評価してらっしゃるんでしょうか。


北野:芝居の上手さと漫才の上手さって、共通のところがあるんだよね。


■芝居は相手役のセリフを聞いて、それに対するリアクションなんですよね。だから結果的に漫才と似てるんだと思います(西田)


―芝居と漫才の上手さの共通点といいますと?


北野:どっちもタイミングが重要という。漫才は、落とす瞬間に言葉をかぶせたり、しばらく間をあけて「……そうか?」みたいなことを言ったり、いろんな方法がある。芝居もそうなんだよね。


西田さんの間というものがある。自分の持ち場になったときの抑揚と、相手にセリフを渡したときの上手さと、相手に何か言われたときのリアクションと、そういうのを見て「上手えなあ」って思うんだよね。で、そういう演技をされるとまた相手の役者が対抗心を燃やしてくるもんなんだけど、それをまたはたき込んじゃったりね。


西田:芝居は相手役のセリフを聞いて、それに対するリアクションなんですよね。だから結果的に漫才と似てるんだと思います。ときどき、相手のセリフを聞かないで、自分の覚えたセリフをいつ言うかだけを考えている役者もいるんです。そういうのは僕らとは違う役者だなって思いますね。


―西田さんは北野組の撮影現場にはどんな印象を抱いていますか?


西田:やっぱり演者の気持ちをわかってらっしゃるから、演者がどういうふうにやったらやりやすいのかを非常に考えてくださる監督だと思いますね。そういった意味では、演者としては楽です。楽しく現場にいられます。やたら緊張してるやつもいますけど、それはきっとビッグネームに緊張してるだけで、現場としては楽しいと思ってるんじゃないかな。


北野:うちはこれまで撮った18本、スタッフがほとんど全部同じだからね。チームワークがいいのよ。


北野:あと、こっちは漫才出身だから、同じネタを何回もやりたくないの。役者さんって、ドライ(カメラを通さない演技のリハーサル)から始まってランスルー(カメラを使った本番同様のリハーサル)だなんだって、何度もやってるなかで気持ちを高めていくって言うんだよね。でもどんどん新鮮さがなくなるじゃん。


漫才だったら、客入れて「練習します」ってやったネタをもう1回「じゃあ今度は本番です」ってやったって、誰も笑わないじゃない。何回もテイクを重ねてだんだん感情を入れていい演技をする訓練をしてる役者さんが来ると、大抵ドギマギしてるね。リハーサルの次に本番の一発勝負だから。カメラを回して一番インパクトがあるのがいいんだよ。


西田:『ビヨンド』のときも、進行表では夜7時くらいまでかかる予定のシーンがあったんだけど、撮影が終わったのが昼間の2時くらいだったことがあってね。「どうしよう、この時間。儲かったな」って俺と塩見さんで野球のナイター観に行ったことがありましたね(笑)。


■ここから暴力をなくしたら、今の社会の縮図になっている。(北野)


―娯楽映画としてのエンターテイメント性についてもお訊きできればと思います。「アウトレイジ」シリーズはどれもエンターテイメント映画であることに注力していると思うんですが、『アウトレイジ』は拳銃の撃ち合い、『ビヨンド』は言葉の罵り合いがその象徴となっていました。今作の『最終章』については、どんなことを意識されましたか?


北野:『最終章』もヤクザの映画だけど、拳銃と暴力をなくすと普通のサラリーマンの話と実はそう変わらないっていうところなんだよ。裏切ったり、社長が外から急にやってきたり。


西田:しかも雇われ社長がね。


北野:それで自殺者が出たり、他の企業と揉め事があったり。ここから暴力をなくしたら、今の社会の縮図になっている。『アウトレイジ』は完全にヤクザ映画のパターンなんだけど、『ビヨンド』で警察権力が出てくるんだよね。自分の出世のために「おい、これで撃ってこい」みたいなことを言う汚ねえ片岡(小日向文世)みたいなのもいるし、裏で警察に顔が効く張会長みたいのもいる。そうすると、かつてのヤクザ映画より複雑な人間関係が出てくるよね。


―監督は『ビヨンド』のインタビュー(北野武が語る「暴力の時代」)で、登場人物の行動原理をアフリカのサバンナでのライオンやハイエナに喩えていました。一方、『最終章』は今の社会の縮図である、と。


北野:警察が強くなった時代に組織された暴力団がどうやって生き残るかっていうと、経済と人間関係のやり直しなんだよ。だから、『アウトレイジ』が創成期、『ビヨンド』が円熟期だとすると、『最終章』はその終焉。


パッと見て面白いのは『アウトレイジ』みたいにドンパチやってるのかもしれないけど、それは単なる暴力。で、『ビヨンド』はセリフの罵り合いで、『最終章』は組織がどうやっていくかという話になってる。そのなかで上がっていくやつ、駄目になるやつ、弾き飛ばされるやつ、振り落とされるやつがいる。


■アメリカと北朝鮮のやり合いなんか、このシリーズが予見しているようなところがあって。(西田)


―これは僕の印象ですが、『アウトレイジ』や『ビヨンド』には、どこか痛快な余韻があったと思うんです。しかし『最終章』は、どこかもの悲しさや割り切れなさ、切なさのような余韻も残る。そこも、我々が生きている社会の割り切れなさと通じるところがある。


西田:そう思いますよ。


北野:『アウトレイジ』と『ビヨンド』で暴力とエンターテイメントをやったんだけど、『最終章』は終わらせなきゃいけないんでね。それまでのような熱いテンションが続いちゃうと終われないなって。


映像的には、飛ばしちゃおうというか、感情がちょっと違う世界に入っているような感じにしてる。大友も、喋ってるところは感情があるんだけど、どこかほわんとしてるというか。そういう感じで終わらせないと、変な怨念が残っちゃう。これで終わりという感じにしたかったんだよね。


―『最終章』は、ヤクザ社会のモチーフではあるけれど、別の世界の出来事とは思えないような印象を受けました。たとえば政治の世界に通じるようなところもある。直接的な暴力というより「権力」というものが前面に描かれている印象がありました。先ほど監督も、「拳銃と暴力を無くせば『最終章』は一般社会の話と変わらない」とおっしゃっていましたが、西田さんもそんな実感はありますか?


西田:ありますね。まさに今の国際政治がそうですよ。アメリカと北朝鮮のやり合いなんか、このシリーズが予見しているようなところがあって。


北野:あの罵り合い、笑っちゃうよね。「老いぼれの狂人」とか「チビのロケットマン」とか言い合ってるじゃん。


■想像力というものは、もう現実には敵わないんじゃないかって思うようになったんだよね。(北野)


―国のトップ同士のやりとりも、実はヤクザ同士が「バカヤロー!」とか「なんだコノヤロー!」と言い合っているのとそう変わらない、と。


西田:そうそう。まさに「アウトレイジ」ですよ(笑)。


北野:現実の事件も激しいことになってるよね。ちょっと前までは、漫画や映画はかなり想像力豊かに時代の先端をいっているものだと思ったけど、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)でツインタワーにジャンボジェットがドンとぶつかった瞬間に逆転されてしまったというか。


9.11の前は、ああいうことを映画とかアニメでやったら「いくらなんでも、こんな馬鹿なテロはないだろう」なんて言われてたと思うんだよね。「貿易センタービルが潰れて何千人も死ぬなんて、あり得る?」って。でも現実のほうがすごかった。


地震や津波もあったし、最近は公開で人の首を刎ねたりもしてる。想像力というものは、もう現実には敵わないんじゃないかって思うようになったんだよね。いくら新しいものを想像しても「あるよ、それ」って言われちゃうような気がする。


西田:「事実は小説より奇なり」ですね。


―そういった時代であるがゆえに、より想像の世界、表現の世界に託される役割もあるんじゃないかと思いますが、そのあたりはどうでしょうか。


北野:だから、『最終章』では、たとえば「ここで裏切った」というのは台詞で言わないようにしてる。ただ黙ってて、なんで急に撃ったかわからなくて驚いたりするような作りにしてるんだよね。中田が西野に「こういうことを言われたけど、どうします?」なんて言うような場面はない。ただ、いろんな葛藤がある。


―そういった内心の逡巡や葛藤の部分が重要になってきている。


北野:映画を観た客が「そうか、裏でこんなことを言ったんだ」って考えてくれればいいね。


西田:あと、この映画のなかには不思議と忖度もありますしね。


■『ノーベル賞』とってソープランドに行くとか、最高だと思うよ。そういうことをやりたくてしょうがない。(北野)


―ここ最近の政治状況を見ていると、権力というものの持つパワーや存在がとても大きくなっていると感じています。ざっくりとした質問ですが、お二人は権力というものをどんなふうに捉えてらっしゃいますか。


西田:権力というのは、持つ人の人柄、人格によって変わりますよね。よくも使われるし、イッちゃってるやつが使えばとんでもないことになる。そのあたりは本当に難しいですね。あとは、権力というものを長く持ちすぎるのはどうかなって思います。やっぱり権力者が絶えず循環していくことは必要だと思う。


北野:俺は、権力があることは認めるけれど、そこに対して悪口を言うことも認めてほしいっていうのはあるね。たとえば圧倒的な権力者がいたら、あまり露骨にそういうことを言うと罰せられる可能性があるじゃない。だけど、お笑い芸人だったら「馬鹿なこと言ってるよ、このオヤジ」って総理大臣に言っても大丈夫だという。


―権力に対する風刺は、笑いとは切り離せないものですよね。


北野:そうだね。あと、自分自身を笑いにするために自分が偉くならなきゃいけない、というのもあるのよ。ホームレスがバナナふんずけてスベっても笑えなくて、偉い人がスベって転ばなきゃダメ。そう考えると、俺は笑いのために偉くならなきゃいけないんだよね。そうやって偉くなって、立ち小便とか万引きで捕まりたいっていうのがある。


―映画監督として世界的な権威になって、そして万引きで捕まると(笑)。


北野:たとえば『ノーベル賞』とってソープランドに行くとか、最高だと思うよ。そういうことをやりたくてしょうがない。だから俺は「偉くなりたい」って平気で言うの。映画の賞もたくさんもらいたい。


西田:なるほど。面白い。


北野:芸能界で権力を持っちゃったら、とにかく自分でそれを壊しにかからないといけないんだ。だから、森繫さん(森繁久彌)が生きてるときは、よくケンカしたからね。「森繁、順番を守れ!」って。「人の葬式ばっか出やがって、お前が葬式に出されろ」って言ったら怒ってた(笑)。「人の棺桶ばっか担いでるから、足腰強くなっちゃうんだよ!」って言ったら、「なんだ、たけしコノヤロー!」って。


西田:楽しいねえ、そういう逆らい方(笑)。


北野:ああいう権力者がいるから、悪口が言えるんだよ。そういう人がいてほしい。


―監督自身、若手から茶々を入れられたり悪口を言われるのも歓迎だ、と。


北野:そう。だから、わざといびったり、わざと金借りに行ったりしてるね。そういうことばっかりしてる。


西田:ははははは!

提供元:Yahooニュース
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