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“不完全”な2人による究極の愛!? 清野菜名が体当たりで挑んだ『パーフェクト・レボリューション』(dmenu映画)
何かしら障がいがある人は不自由か? 答えはノーだ。いや、わかったようなことを言うつもりはない。あるいは、きれいごとなのかもしれない。でも、こう思うのだ。「“不便”ではあるかもしれないけど、何人たりとも自由じゃないなんてことは、あり得ない!」と。
【画像】スタイル抜群、清野菜名
映画『パーフェクト・レボリューション』の主人公・クマ(リリー・フランキー)は脳性麻痺の影響で身体が思うように動かせず、ヒロインのミツ(清野菜名)は人格障がいを抱えている。なるほど、俗に言う「健常者」とやらの尺度からすると、2人は“不完全”あるいは何かを制限されていると見なされるのだろう。しかし、だ。はたして世の中に“完全”な人なんて本当にいるのだろうか? そもそも、何をもって完全だというのだろう? まあ、あまり話を壮大にするつもりもないので、そもそも論は置いておくとして──こう考えてみては、どうだろう。
誰しも何かしらが欠落している、だからこそ補い合える存在を求めるんじゃないか、と。
つまり何が書きたかったかというと、『パーフェクト・レボリューション』の根っこにあるのは、誰かを愛し愛されたいと願う、実にシンプルな気持ちだ、ってことである。そして、そのシンプルな思いの先にあるのは、相手と触れあいたい、温もりを感じたい、肌と肌を合わせたいという性的欲求であることも忘れてはならない。
手足が動かせなければセックスはできないのか? そんなことはない。では、彼ら彼女たちはどのようにして性欲を満たすのか? そうやって掘り下げていくと、障がい者の性に対して理解できていない部分が、実のところたくさんあることに気づかされる。そういった無知や誤解、あるいは偏見をなくそうと活動している熊篠慶彦氏の実体験に基づく物語ゆえ、見れば「やり方はそこそこ限定されるけど、行為そのものは自分たちと何ら変わらないじゃないか」と、見識を大いにあらためるはずだ。
そういったことを前提としつつも、まずは構えることなく「とあるラブストーリー」として観てみてほしい。いろいろと考えるのは、その後でもいい。なぜなら、クマもミツも特別でも何でもなく、僕や君や彼や彼女と同じ、この世に生まれし“ただの不完全な人”だからだ。2人は縁があって出会い、相手の存在を気にかけるうちに恋をして、やがて、お互いに求め合っていく。それこそ劇中のミツのセリフではないが、「生まれも性別も、職業も能力も、お金も年齢も、幸せには関係ない。世界に証明するの。本当の幸せを!」と、ばかりに。そうやって愛を深めることによって、無闇に心配したり、興味本位のフィルターを掛けて2人のことを見ようとする周囲や世間に対して、“最強のふたり”であることを高らかに宣言する。これこそが、不完全な2人による「完全なる革命」への第一歩となることは、言うまでもないだろう。
提供元:Yahooニュース