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川中美幸の母・久子さんは波瀾万丈の人生だったが逃げなかった その姿勢は娘の心に/芸能ショナイ業務話(サンケイスポーツ)
「ふたり酒」や「二輪草」などのヒットで知られる歌手、川中美幸(61)の母、久子さん(享年92)の葬儀・告別式が7日、東京・品川区の霊源寺でしめやかに営まれた。喪主を務めた川中は会葬御礼に「母の背中が『人生の道しるべ』」と題して、久子さんの生前の言葉を入れた思い出をつづった。
それによると、人一倍働き者だった久子さんは、川中に「仕事は人生の宝やで」「元気になったら、働きたい」と話していたという。川中はここ数年、全国各地に歌の仕事で飛び回る以外は、自宅(東京・渋谷)の同じ部屋で久子さんと寝起きをともにした。
川中は東京・渋谷区の東急本店前で現在、副業として久子さんから受け継いだお好み焼き店「かわなか」を経営。隣のバーは夫が経営するが、久子さんは心筋梗塞で倒れる4年前までは店によく顔を見せていた。
記者も仕事などで「かわなか」を使わせてもらうが、ふわふわのお好み焼きだけでなく、料理も酒も多彩でおいしいし、値段も手ごろ。しかも、たまには川中だけでなく久子さんも温厚なかわいらしい笑顔で迎えてくれて、それだけで心がなごんだものだ。
最期は胃がんにかかっていたとはいえ、川中も死に目に会えたことは久子さんにとっても幸せだったのではないか。川中の一番のファンで、それこそ苦労を見せず笑顔を絶やさない点は川中に通じるものがある。
しかし、久子さんの一生は波瀾(はらん)万丈だったと聞く。川中の著書「おおきにありがとう」(日本文芸社)にも詳しいが、久子さんは実家が貧しく7歳のときに養子に出され、独身時代は大衆演劇の女優に。そこで知り合った今は亡き夫と結婚し、長男(川中の長兄)が生まれたが、3歳のとき病気で亡くしている。
その後、夫妻で大阪でお好み焼き店を開いたが、夫は川中が幼いころ、運転していた自動車で人身事故を起こし、1人は亡くなり、別の1人が重傷を負った。運悪く自動車保険は、その1日前に切れていたという。
事故後、酒におぼれ自らも体をこわした夫に代わり、久子さんは給食センターの配達員として運転手も。一家を支え補償金を払う一方、盆や正月には亡くなった人の供養を長年、続けてきた。
そのため、貧しい生活が続いたが、川中が1980年に出した「ふたり酒」のヒット後、事故で亡くなった遺族に会いにゆくと「川中さんのお母さんは立派ですね」と逆にほめられ、励まされたという。どんなにつらいことや苦労からも逃げない。そんな母の姿を見て川中は育った。その姿勢は川中の心の奥にしっかりと刻まれている。
生前親交のあった美空ひばりの歌まねも得意な川中。告別式の会葬御礼あいさつでは「素晴しい母でした。母のためにも、いい歌を歌っていきたい」と誓った。誰もが認めるつやも華もある歌声で再びヒット曲や紅白返り咲きを期待したい。久子さんも天国できっとそれを待ち望んでいる。
(M)
提供元:Yahooニュース