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ブームが去って「残念!」…ギター侍・波田陽区さんは今(日刊ゲンダイDIGITAL)


 着流し姿でギターを抱え、芸能人・著名人をイジリまくり、最後は「残念!」と切り捨て御免。「ギター侍」こと波田陽区さん(42)の毒舌漫談が大ブームを巻き起こしたのは2004年だった。さて、今どうしているのか?


 福岡県福岡市。待ち合わせたのは九州一の繁華街・天神にあるKBC九州朝日放送の本社ビルだった。


「これからラジオ番組にゲスト出演するんです。毎週水曜、朝9時半からの情報番組『ガブリナ』のレギュラーもやってまして、何かと目をかけていただいてますね」


 番組のメインパーソナリティーは、歌手兼作詞家の依布サラサさん。父が井上陽水、母は石川セリという業界のサラブレッドだ。


「オーラが半端ないんで、僕はあくまで引き立て役。自宅からはチャリンコで通ってるくらいです。アハハハ」


 東京から福岡に引っ越したのは2年前の3月のこと。


「正直言って、東京ではずっとくすぶってたわけですよ。ギャラはギリギリの生活にしかならず、まさに自分が『残念!』な状態。それで40歳を機に心機一転、実家の下関にも近くて住みやすい福岡で再起を期したってワケです。なんせ、家賃は東京の半分以下ですからね。ちょうど息子が小学生になるタイミングってのも背中を押しました」


 だが、すぐに仕事があったわけではない。


「最初のレギュラーの仕事は、海外用ポケットWi―Fiルーターをレンタルする『イモトのWiFi』の宣伝部長。週5日、福岡国際空港の出発ロビーでタスキをかけて客寄せに励んでました」


 風向きがガラリと変わったのは2年前の秋。リオ五輪の男子卓球シングルスで銅、団体で銀を獲得した水谷隼選手が“波田さんにソックリ”と話題になり、思いがけず脚光を浴びた。


「あれは神風でした。NHK夜9時のニュースからもオファーがありましたから」


 以来、福岡や山口のテレビ、ラジオからのオファーが劇的に増え、今では前述の「ガブリナ」のほか、テレビは山口朝日放送の「ひるくる!サタデー」(毎土曜9時30分)、ラジオが下関・カモンFMの「ゴジラヂ!」(毎水曜17時)と「波田陽区の侍フェニックス」(毎土曜16時)の3本、計4本のレギュラーを持つまでになった。


「自称、Uターン芸人です。所属するワタナベエンターテインメント九州事業本部では、ゴリけんさん、お笑いコンビ・パラシュート部隊さんが06年から頑張って道をつくってくれてましたから、その点でも僕はラッキーでした。感謝感謝です」


■絶頂期のギャラは“ロケット急上昇”


 さて、波田さんは、進学先の熊本学園大商学部(熊本)在学中からお笑い芸人に憧れ、卒業後に上京。ワタナベエンターテインメントに所属し、コンビニでのアルバイトで生活費を稼いでメジャーを目指した。


 大きな転機は04年3月。初めて出演した日本テレビの人気ネタ番組「エンタの神様」でギター侍を披露したところ大ウケ。毎週出演し、大ブレークした。この年の10月にネタ本「ギター侍の書」(日本テレビ出版)を発売すると、11月に「ギター侍のうた」(ポニーキャニオン)でCDデビュー、12月にはDVD「ギター侍は波田陽区。」(同)を連発。いずれもスマッシュヒットし、芸人としてのギャラは数万円から一気に数百倍へとロケットのように急上昇した。


「1日に5カ所、6カ所と仕事に追われ、睡眠時間は1日3時間あるかないか。それでも時間をつくって後輩たちと飲みに行き、10万円単位で使ってました」


 だが、低迷するのも早かった。露出過多で飽きられたのだ。


「ピンク色の着物にしたり、『占い侍』や歌手のさだまさしさんがモチーフの『さだようく』など、手を替え品を替え……。でもギター侍のインパクトが強すぎて滑りまくり。忸怩たる日々でしたねえ」


 そんな中、07年6月に大学時代に知り合った2歳上の女性と12年越しの恋愛の末、結婚。09年7月には長男を授かった。


「ドン底の時も陰ながら応援してくれたのが、事務所こそ違いますが吉本興業の間寛平さんなんです。そして嫁には水谷選手ネタで運が向くまで苦労かけてばかり。頭が上がりません」 

(取材・文 高鍬真之)

提供元:Yahooニュース
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