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高橋克典、津川雅彦さん悼む「俳優人生の恩人」 各界から悲しみの声(AbemaTIMES)

俳優の津川雅彦さんが今月4日、心不全のため、都内の病院で亡くなっていたことが分かった。78歳だった。
1956年、映画『狂った果実』で役者デビューした津川さんは、1982年に出演した映画『マノン』で“ブルーリボン賞助演男優賞”を受賞。1984年、映画『お葬式』に出演して以来、伊丹十三監督作品には欠かせない存在となり、『マルサの女』『タンポポ』など多くの伊丹作品に出演していた。
津川さんの演技に刺激されて同じ事務所に入ったという俳優の西岡徳馬(71)は「あの人は、僕の芝居を見て褒めたことがないからね。よく芝居を見に来てくれて、大体みんなが褒めてくれるようなところを逆に(津川さんは)けなすみたいなところもあってね。それで鼓舞するみたいなところがあったので。いい刺激になったんですけれどもね」と話した。続けて「(芝居について)反発して、言い争いをしたこともあったし。でも愛情のある言い方だったから……。とにかく芝居の好きな方でした。いい兄貴みたいな感じでした」と、津川さんとの思い出を振り返った。
公私ともに親交があった俳優の高橋克典(53)は、8日未明に自身ブログを更新。「まぎれもない僕の俳優人生の恩人です。僕にとっては、津川さんは銀幕のスターでした。後に残された僕らは本当に頑張らなくてはなりません。津川さん、力を。そして見守っていてください」と津川さんの死を悼んだ。
安倍総理も「突然の訃報にショックを受けている。津川さんは優れた俳優・監督としてその才能を発揮されてきた。昭和・平成を代表する映画人だったと思う」とコメントした。
津川さんは、1973年には女優の朝丘雪路さんと結婚。芸能界の“おしどり夫婦”として知られてきた。およそ5年前にアルツハイマー型認知症を発症した朝丘さんを施設から引き取り、およそ3年にわたって献身的な介護を続けてきた。
津川さん自身も昨年秋から肺炎を患い、今年4月に朝丘さんが亡くなった際には酸素吸入チューブを鼻に装着し、車いす姿で会見に臨んだ。「感謝しています。すべてに感謝しています」と話した津川さん。記者からの「介護生活を振り返ると?」という質問には、「周りがよくやってくれましたよ」と答え、「僕が先に死んで彼女を残すよりは、いい結果になりましたよね」と優しい表情で亡き妻のことを語っていた。
なお、津川さんの葬儀はすでに近親者で営まれており、後日お別れの会が開かれる予定だ。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)
提供元:Yahooニュース