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空襲で自宅が全焼、マッカーサーと握手…103歳の報道写真家・笹本恒子の軌跡(TOKYO FM+)


さまざまなジャンルで活躍する女性たちが、“生きること、輝くこと、人生を楽しむこと”をテーマに、自らの言葉で伝えるTOKYO FMの番組「NOEVIR Color of Life」。10月14日(土)放送のゲストは、日本初の女性報道写真家・笹本恒子さんでした。


笹本恒子さんは、1914年(大正3年)9月1日東京生まれ。一時期写真から遠ざかるも、71歳のときに活動を再開。103歳の今も現役のフォトジャーナリストとして活躍中です。戦中・戦後の歴史の節目に立ち会い、また昭和史を彩る数々の著名人にもカメラを向けてきた笹本さんの激動の人生とは。


笹本さんのカメラマンとしてのスタートは、上野公園でのオナガドリのコンクールの撮影でした。新聞記者に混じり、寝転がったり三脚に乗ったりして写真を撮ったという笹本さん。そこで時代を写す報道写真に魅力を感じ、この道を歩み始めたといいます。

その中で大きな武器になったのが、女学校で覚えた英会話。大卒の男性でも英語を話せる人が少なかった時代、笹本さんはハーフの先生に習っていたそうで、英語でのコミュニケーションが仕事の幅を広げていきました。


「マッカーサーには声をかけちゃいけないというのに、私は『エクスキューズミー』と握手を頼んだりしちゃいましたから。案外それが功を奏したりしましたね」と笹本さんは笑います。


昭和16年に、同じく写真関係の仕事をしていた男性と結婚。しかし昭和20年の東京への空襲で自宅が全焼。千葉に疎開します。家もカメラもなくなってしまった笹本さんでしたが、夫の提案で世田谷に持っていた300坪の土地を売り、再びライカのカメラを手に入れました。

その後、戦争中休刊していた千葉新聞に就職。記者として取材に動いているうちに雑誌社の募集を知り、ファッション写真を撮影するようになります。進駐軍向けのファッション写真なども手掛け、1950年(昭和25年)に初の展覧会を開催します。


「私が写真の展覧会をしてみたいといったら、朝日新聞の写真部長がよくしてくださって。『焼け野原でみんなが困っている写真じゃなくて、みんなはファッション写真に憧れているんだから、ファッション写真がいいよ』って日本橋のギャラリーを交渉してくださって。モデルは向こう(海外)からいらした奥さんや娘さんでした」と笹本さん。


激動の時代をカメラに収めてきた笹本さんが、キャリアの山場としたのは安保闘争の取材でした。「あの頃は毎朝起きるとすぐに支度して議事堂前に通いました」と話す笹本さん。その存在はまさに歴史の証人です。


(TOKYO FM「NOEVIR Color of Life」より)

提供元:Yahooニュース
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