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「僕の帰る場所」でミャンマーにぞっこん 日本との架け橋目指す監督(産経新聞)


 ミャンマーはおろか、東南アジア自体よく知らなかった。「でも民族衣装など地方ごとに独自のものが残っていて、文化的には非常に豊かな国だとわかりました」と、10月6日から公開中の日本・ミャンマー合作「僕の帰る場所」を撮った藤元明緒(あきお)監督(30)は語る。映画撮影後にはミャンマー人の女性と結婚し、現在はミャンマーを拠点に活動する藤元監督をとりこにしたものとは-。


■子供たちの魅力


 「僕の帰る場所」は、演技なのか地(じ)なのか区別のつかない子供たちの自然な振る舞いが魅力の作品だ。東京郊外に暮らすミャンマー人のアイセ一家はなかなか難民申請が下りず、不安定な毎日を過ごしていた。日本語しか解さない6歳のカウン(カウン・ミャッ・トゥ)と3歳のテッ(テッ・ミャッ・ナイン)の幼い兄弟は日本人に同化していたが、母親のケイン(ケイン・ミャッ・トゥ)は将来への不安からミャンマーへの帰国を考えていた。


 東京の狭いアパートに住む一家4人のつましい生活を見つめる前半から一転、父親を残して母親と子供2人だけでミャンマーに帰った後半では、雑然としたヤンゴンの街で居場所を求めてさまようカウン君の孤独な姿が印象に残る。じだんだを踏みながら「パパに会いたい」と泣きわめくテッ君といい、兄弟のありのままの姿を収めた映像は驚くばかりだ。


 「カウン君は、完全に何をやっているかわかっていた。プラス普段の自分がいい具合に混ざり合って機能したという感じだが、弟はずっと写真を撮っていると思っていたらしい」と振り返る藤元監督によると、兄弟と母親は本当の親子だという。演技は初めてだが、日本に住むミャンマー人の幼い兄弟という設定ではほかに選択肢がなかった。


 撮影はブラックマジックポケットシネマという手のひらサイズの小型カメラを使用。映画を撮っている行為をなるべく意識させないよう、「用意、スタート」の合図もしなかった。例えばテッ君がお風呂に入るシーンは、お風呂から出てお母さんが髪を乾かし、服を着せるまで、カメラを一度も止めずにたった1回だけで撮りきった。


 「いい意味でテッ君をだましながらの撮影でした。せりふに関しても、本当に起きているかのように、というよりも、本当に起きているところまで突き詰めたという感じですね」


■家族への思い


 これが長編第1作となる藤元監督は、小さいころから映画に親しんで育ったというわけではなかった。大阪国際大学で家族社会学を学んだ後、映像の編集がやりたくて大阪のビジュアルアーツ専門学校に進むが、ここでさまざまな名作と出合う。中でもヴィターリー・カネフスキー監督の「動くな、死ね、甦れ!」(1989年)やセミフ・カプランオール監督の「蜂蜜」(2010年)など子供を扱った作品にひかれた。


 「家族に関しては“人生レベル”で興味がある。多分、子供のときに両親が離婚したのが大きい。法的に離婚が成立したのがカウン君よりちょっと大きい小学5年生のころで、なんで離れなきゃいけないのかとすごく思っていました」


 卒業制作では、自分の経験を基にした短編「サイケファミリア」を撮るが、今回の「僕の帰る場所」もこれと地続きの部分があると感じている。東京・高田馬場のミャンマー料理店で難民申請中のミャンマー人と知り合い、その家族をモデルに物語を構築。「モデルの子にはモデルの子の、カウン君にはカウン君の思いがあって、いろんなものが混ざり合っている。僕の思いはいい意味で遠いところに行ってくれたかなと思います」と打ち明ける。


■電気ってすごいな


 日本とミャンマーで撮影を行い、編集に2年半を費やして昨年完成。同年10月の東京国際映画祭では「アジアの未来」部門に出品され、作品賞など2冠に輝いたほか、オランダやドイツ、韓国など20を超える映画祭で評判を取った。


 「反応はどこの国でもほとんど同じで、必ずカウン君の話になる。どうやって撮ったんだ、この子は何なんだ、といった感じで、オランダでは最優秀俳優賞までもらった。これがきっかけで、本人は俳優になりたいと思っているらしいですよ」とほほ笑むが、藤元監督自身もこの作品がきっかけで人生が変わった。


 それまでミャンマーとは縁もゆかりもなかったが、今ではミャンマーとの合作映画のマネジメントなど両国を股にかけて尽力。平成27年にはサッカーのチャリティー試合でボランティアを務めていたミャンマー人女性と出会い、翌年1月には結婚した。今年4月からはヤンゴンに居を構え、次回作もミャンマーで撮るべく構想を練っている。


 「インフラが全く整っていないので生活はすごくしにくい。ただ面白いこともいっぱいあって、この間、8時間にわたって停電したが、パッと電気がついた瞬間に、街中の子供たちのわーっという叫び声が聞こえた。電気ってすごいな、と変な感動がありました」


 2011年の民政移管以降、政治的には日本との結びつきが強くなっているミャンマーだが、民間レベルでの交流はまだまだだと感じている。「何か小さなことでもいいので、もっと密に日本とミャンマーにかかわっていければ面白いなと思っています」(文化部 藤井克郎)


 ■藤元明緒(ふじもと・あきお) 昭和63年、大阪府生まれ。大阪国際大学で心理学、家族社会学を学んだ後、ビジュアルアーツ専門学校大阪の放送映画学科に進み、卒業制作の短編「サイケファミリア」(平成24年)が、なら国際映画祭やドバイ国際映画祭などで上映される。長編初監督作の「僕の帰る場所」は、昨年の東京国際映画祭のほか、オランダ・シネマジア映画祭、カンボジア国際映画祭、マドリード国際映画祭などに出品された。


 「僕の帰る場所」は、10月6日からポレポレ東中野(東京都中野区)で上映中。今後は11月3日から別府ブルーバード劇場(大分県別府市)のほか、シネ・リーブル梅田(大阪市北区)、名古屋シネマテーク(名古屋市千種区)、シネマ・ジャック&ベティ(横浜市中区)など全国順次公開。

提供元:Yahooニュース
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