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三宮Gグループ色かの本かの情報

スレッド内検索:
  • 1:

    名無しさん

    似たようなやつが過去ログいきになってたため

    2015-09-24 08:37:00
  • 501:

    名無しさん

    コーメーン

    2015-11-25 05:03:00
  • 502:

    名無しさん

    日本で初めてラーメンを食べたのは誰?

     日本でラーメンが庶民の間で食べられるようになったのは、明治43年の東京、浅草の来々軒が最初と言われていますが、実はもっと時代を遡って300年余り前に口にした人がいました。
     それは、『この印籠が目に入らぬか〜』のセリフで有名な水戸黄門様だったのです。
     水戸黄門、正式名、水戸光圀は、水戸藩初代藩主、頼房の子、家康の孫にあたる人で、1628年に産声をあげ、9歳で元服したのち将軍家光の『光』を与えられて『光圀』と名乗りました。
     34才で水戸藩藩主となり、その非常に高い手腕から「名君」と慕われ、将軍綱吉の時代の幕府を支えた一人としても知られています。
     1665年、儒学に熱心だった光圀は、長崎に亡命していた明国の儒学者「朱舜水(しゅしゅんすい)」を水戸藩へ招きました。

    2015-11-25 05:07:00
  • 503:

    名無しさん

    ツーメーン

    2015-11-25 05:08:00
  • 504:

    名無しさん

    朱舜水は多方面にわたり尽力し、自らうどんを打つほどの無類の麺好きであった光圀に、中国の麺を紹介しました。
     日乗上人日記によると、1697年6月16日、光圀は朱舜水の伝授した麺を自ら作って家臣に振舞っています。そして、できるだけ美味しく食べるのに、必ず五辛を添えるように勧めました。五辛とはショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウのことで、中国では、五臓の気を発するといわれています
     なお、当時のラーメンは、れんこんの澱粉から作られた「藕粉(おうふえん)」というものが使われました。
     これは、古来、唐の時代から麺を打つ時のつなぎとして使われたきたもので、日本そばでいうところの小麦粉に該当するものです。
     さて薬味の五辛を添えた当時のラーメン、詳しい製法の記録がないので完全な復元は困難ですが、はたしてどんな味がしたのでしょうか?

    2015-11-25 05:12:00
  • 505:

    名無しさん

    モーメーン

    2015-11-25 05:12:00
  • 506:

    名無しさん

    但馬牛(たじまうし)をご存知ですか?
    神戸ビーフは但馬牛なんです。
    但馬牛の中のほんとにいい牛だけが神戸ビーフになるのです。
    有名な松阪肉や近江牛も但馬牛から生まれているのです。まずは「但馬牛について」から説明いたします。

    2015-11-25 05:17:00
  • 507:

    名無しさん

    ノーメーン

    2015-11-25 05:18:00
  • 508:

    名無しさん

    種類は和牛の中の黒毛和種

    優れた肉質と強力な遺伝力があり、 全国の和牛改良に最もよく活用されています。

    黒毛和牛は全国各地にいますが、但馬牛だけは他県産の血を入れていません。肉の味は血統で決まると言われ、血統は代々受け継がれてゆくものなのです。ですから全国の和牛改良にも活用されるているのですね。

    神戸ビーフなどの銘柄牛は「お肉」になってから認定されるもので、但馬牛(たじまうし)は兵庫県の和牛、「牛さん」のことです。
    ※「但馬牛」は牛の呼び名ですが、「兵庫県産(但馬牛)」は神戸ビーフと同じように銘柄牛であり、お肉になってから認定されます。・・・ややこしいですネ。(^-^;)

    2015-11-25 05:23:00
  • 509:

    名無しさん

    ルーメーン

    2015-11-25 05:23:00
  • 510:

    名無しさん

    実は神戸ビーフを見出したのは港街神戸にやって来た外国人さんなんです。まだ日本では牛肉を食べるという習慣は公ではありませんでした。仏教の教えや、生類哀れみの令などの影響で、こっそり食べられていました。ですから慶応元年兵庫へやってきた外人さん達は、苦労して牛商人を探しました。でも、屠殺(とさつ)することは嫌われ、自分達でしていたのですよ!牛肉文化の執念が神戸ビーフを見いだしてくれたのですね。
    明治4年に初めて日本人経営の公の屠殺場「鳥獣売込商社」が設立されます。

    神戸で最初に牛肉店を始めたのは、慶応3年ごろで、イギリス人のキルビーという人です。
    日本人が始めたのは明治初年と言われています。

    当時初代兵庫県知事だった伊藤博文が牛肉を好んで食べていたのも神戸では知る人ぞ知る話です。
    文明開化とともに外国の珍しい文化が急激に入り、日本人の食生活も大きく変わっていきました。

    明治天皇の食膳に牛肉がのったのは、明治5年1月24日と言われています。
    「牛肉を食べる」ことが街に広まっていき、それとともに神戸は牛肉発祥の地として「神戸ビーフ」の名も高まっていくことになります。

    2015-11-25 05:28:00
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