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北九州殺人事件

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  • 1:

    名無しさん

    日本の犯罪で俺が知ってる中で最もエグい事件。

    2008-10-29 05:44:00
  • 15:

    名無しさん

    2002年3月6日、17歳の少女が小倉北区にあるマンションの一室から逃げ出し、祖父母宅へ助けを求めに駆け込んだ。少女は怯えながら、「お父さんが殺された。私もずっと監禁されていた」と語った。

    2008-11-01 03:30:00
  • 16:

    名無しさん

    少女の右足の親指は生爪が剥がれており、 「ペンチを渡されて、『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」とのことであった。それまでの経緯などもあり、祖父は少女をともなって門司警察署へ監禁の被害届を出しに行くことになる。

    2008-11-01 03:33:00
  • 17:

    名無しさん

    しかし彼女が供述した事実は監禁致傷にとどまらず、連続殺人――それも類を見ないほどの一家殲滅とも言える大量殺人であった。  連絡を受けて現れた小倉北署員がこれ以後事情聴取を行なうことになり、そうして少しずつ、この事件の全貌が語られていくことになる。

    2008-11-01 03:36:00
  • 18:

    名無しさん

    しかし妻子ある男との交際は、じきに純子の実家にバレた。松永は緒方家を訪れ、 「妻子とは別れます。緒方家の婿養子になります」  としおらしく宣言し、その場で『婚約確認書』なるものを提出した。俗に「口約束」と言うが、その反面どんないい加減な話でも書面にされた途端、人はなぜかそれに信憑性があるような気になってしまうようだ。そしてこの手の無意味な書面を作って嘘に説得力を持たせるのは、松永のもっとも得意とするところだった。松永は純子に「莫大な利益を上げている会社だが、お前の婿養子になって緒方家を継ぐからにはつぶさなくちゃいけない。芸能界の話も、残念だがお前のために諦める」と言って、彼女に自責の念を抱かせた。

    2008-11-01 03:50:00
  • 19:

    名無しさん

    純子の母はこの『婚約確認書』なるものをあまり信用しなかったようだが、この会見によって父の誉さんはすっかり松永が気に入ってしまったようであった。  松永はこの時、わずか23歳である。その年齢にしてこの人心掌握の上手さ、口車の巧みさは珍しいと言えよう。彼のついた嘘は上記の通り、たわいないと言えるものばかりである。しかし彼の周囲の人物――特に緒方家の人々――はまるで糸に操られるようにして、いともたやすくその嘘に踊らされていった。

    2008-11-01 03:54:00
  • 20:

    名無しさん

    純子の母、静美さんはある日、松永に「純子と別れて下さい」と頼みに行った。  しかし松永はこれを言いくるめたばかりか、静美さんを言葉たくみにラブホテルに誘い出し、関係を持ってしまう。当時静美さんは44歳であった。

    2008-11-01 03:56:00
  • 21:

    名無しさん

    だがもちろん土地持ちの豪農である緒方家の娘・純子を松永が離すはずはない。松永は嫉妬妄想にかられたふりをして純子さんを殴打し、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れた。さらに肉体的暴力だけでなく、家族や親族に無理やり嫌がらせの電話をかけさせるなどして孤立させ、精神的にも追い詰めていった。  耐え切れず、純子はある日自殺未遂をはかった。しかしこれがまた松永の思うつぼであった。

    2008-11-01 04:01:00
  • 22:

    名無しさん

    松永は純子に仕事を辞めさせ、両親に向かって 「婿養子などもらって緒方の家の犠牲になるのはいやです、縁を切ってくれないならまた自殺します」と宣言することを強要した。松永はその上で、「今となっては純子はお荷物でしかないが、私もまさか放り出すわけにもいかない。彼女が自殺しないよう面倒をみていきます」  と恩に着せた物言いをして、このときも例の如く緒方家側に『絶縁書』なる書面を作らせている。この騒動により、純子は緒方家から分籍。次女である理恵子さんが婿養子をもらうことになった。

    2008-11-01 04:04:00
  • 23:

    名無しさん

    徹底的に虐げられ、親兄弟からも孤立させられた純子は、以降なすすべもなく松永の従順な手足となって生きていくことになる。1985年、銀行融資を受けて松永は布団販売会社を新築。この頃が(詐欺商法まがいだったとはいえ)彼のもっとも羽振りの良かった時期かもしれない。しかし酷使と虐待により、従業員は1人逃げ2人逃げ、2年後には従業員は純子を含め2人だけとなってしまう。その上、1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げする羽目となった。

    2008-11-01 04:07:00
  • 24:

    名無しさん

    ↑↓お疲れ様です。
    あたしも同じやつコピーして挑戦したことあったけど改行数多すぎて諦めた

    2008-11-01 04:08:00
  • 25:

    名無しさん

    収入がなくなった松永はたった1人残った従業員に、母親に金を無心することを強要。しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。  しかし松永がこの会社経営その他詐欺行為によって得た利益は、一億八千万にものぼるという。

    2008-11-01 04:11:00
  • 26:

    名無しさん

    1993年、純子は第一子を出産。しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺を思いついた。ターゲットにされたのは、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。 松永は彼女を口説き落とし、 「離婚して俺のところへ来い、子供のことも俺が引き受ける」  と言いくるめて、彼女に家出をさせた。そして北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。純子のことは姉として紹介した。

    2008-11-01 04:14:00
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