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愛しき者へ
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1:
ぁさみ
1999年7月8日、私は元気な女の娘を産みました。その日。。。午前中に腰が痛みだした。少し横になりながら家事をして過ごした。だんなは夜勤だったから家に居たのに、まだ予定日まえだったからとスロットに出掛けた。私は腰の痛みは雑巾がけとかの疲れだと思いながらもしかしたら。。?それでも片付けなんかを休みながらしていた。
2006-05-07 10:04:00 -
27:
ぁさみ
旦那が帰って来たらもう一度話し合うつもりで。本当に出て行く事になった時のため荷物も少しまとめた。久しぶりに旧友から電話が来た。「元気?結婚生活はどうよ?」懐かしい元気な声が受話器から聞こえる。思わず言葉を詰まらせた。「どうした!?何かあった!?」滅多に泣いたりしない私の異変に彼女は、動揺したみたいだった。「ゴメ。。ン。。。ちょっと。。怒らせ。。ちゃって。。」言葉が続かない。彼女の旦那も酒乱だった。「もしかして、お酒飲んで暴れたの!?」勘のいい彼女はすぐに察した。「今のうちに別れた方がいいんじゃない?お父さんで苦労してんじゃん!」私がお父さんにボコボコにされたこともしっていたから、一緒になって彼女は泣き始めてしまった。不意に冷静に戻った私は、「話し合ってみる。一人でも育てられるかな。」「私がついてるよ。」少しづつ落ち着きを取り戻した頃、旦那が帰って来た。友達との電話を切った。底知れぬ恐怖で体が震えた。
2006-06-18 14:20:00 -
28:
ぁさみ
酒乱の恐怖を知ってるだけにトラウマになっているのだと思う。怒鳴り声や暴力に過敏に反応してしまう。汚い言葉づかいも恐怖を感じる。酒乱と認識した時点で相手に恐怖と威圧感を覚えてしまう。もう、拭うことは出来ないかも知れない。「何してんの?飯は?」旦那はいつものように手を洗いに洗面台に立った。「今日も疲れたわぁ。昨日飲みすぎたなぁ。」私はすぐには対応出来ずにいた。「ビールちょうだい。」ふと、思い出した。お父さんも暴れた次の日、何事も無かったように過していたっけ。「泣いてんの?なんで?」なんだか馬鹿らしくなった。急に疲れが押し寄せてきた。涙は止まらなかった。旦那はゴメンと言って私を抱き締めた。
2006-06-18 14:41:00 -
29:
ぁさみ
私はこの日から旦那が目の前に現れるだけで身構えてしまうようになった。結局出ていくことは無くなった物の、いつも顔色を伺うような生活はかなりしんどかった。またいつ、出ていけと言われるのかと不安との戦いだった。旦那と付き合いだして二人で初めて観た映画、タィタニックのビデオを旦那が仕事に行っている間に観ながら泣いたりした。どうして変わってしまったのかな。私が悪いの?。。。旦那は出産まで一度も検診に付き合ってくれたことは無かった。
2006-06-18 14:55:00 -
30:
ぁさみ
検診にはお金がかかるのに旦那は生活費もまともにはくれなかった。パチスロが好きな旦那は勝った時は焼肉や寿司をご馳走してくれたけど負けた時は大変だった。食べる物が無くて、インスタントラーメンだけだったりゆで卵だけなんて時もあった。それでもビールは欠かすことは無かった。気まぐれにお金を渡されるから、検診に行く時は大変だった。片道30分の道をお腹を支えながら歩いたりもした。
2006-06-18 15:10:00 -
31:
ぁさみ
出産までの間、お金の不安、酒乱の恐怖に私は、つわりがなかなか収まらなかった。安定期に入っても時々吐気に襲われた。貧血も酷く、検診に行くたびに普通の注射の何倍もの大きさの注射器で貧血の薬を注射された。それでも歩いて帰った。時々、途中で気分が悪くなって座り込んだりしながら。酷いときは病院で点滴を打ってもらって帰ることもあった。
2006-06-18 15:21:00 -
32:
ぁさみ
私の楽しみは一人の時にお腹の赤ちゃんに話し掛けることだけだったかも知れない。お腹を擦りながら歌を唄ったり、今日あった出来事を話したりした。時々泣けてきてしまいお腹の赤ちゃんに謝りながら泣いた。早く、この腕に赤ちゃんを抱き締めたかった。
2006-06-18 15:29:00 -
33:
ぁさみ
旦那が夜勤の時はたまに電車に乗って実家に帰った。おかずを買うお金も無くて、電車賃だけを握り締めて帰って来る娘を両親は暖かく迎えてくれた。お父さんはぶっきらぼうに「嫁に行った娘がのこのこ、帰ってくるな!ま、飯ぐらい食べていけ。」と質素ではあるけれど、家庭料理をお母さんに用意させた。ぶりと大根の煮付けや冷奴。ひじきの五目煮、手作りの山椒味噌。ご飯と味噌汁とおしんこ。ごくありふれた家庭料理に久しぶりの家族団らん。家族の優しさが心に染み渡る。「お父さん、あんなこと言ってるけど本当は嬉しいのよ。あんたも大変だろうけど頑張りなさい。」そう言ってお母さんは少しのお金を私の手に握らせた。私が無心に来たことを分かっていたのだ。ありがとうと、涙を堪えて伝えるのがやっとだった。年の離れた妹達が駅まで送ってくれた。年が離れているせいか娘みたいな妹達にもまた癒された。家族の有り難みを感じた。
2006-06-18 18:01:00 -
34:
ぁさみ
私の実家はむしろ貧乏で私はお金を用意するだけの余裕など本当は無いのだ。けれど、娘を大事に思う気持ちが無心を許してくれたのだ。帰りの電車の中、静かに泣いた。(本当にごめんなさい。)お母さんは旦那の酒のつまみにとぶり大根と山椒味噌を分けてくれた。親ってすごい。私になれるのかな?自分を犠牲にしても子供に愛情を与えられるのかな?先の見えない迷路の中に居るような感覚に襲われた。自分の家に帰るのに気分は重くなる一方だった。
2006-06-18 18:16:00 -
35:
ぁさみ
私は、弱い人間なのだと思う。とても。強がって維持はって生きてきたけど、誰かに依存しなければ生きて行けない。旦那に依存して今の私は生きてる気がする。
2006-06-22 12:55:00 -
36:
ぁさみ
それからも何度か実家に帰る度にお母さんはお金を工面してくれた。「あんたにはお父さんが入院したときとかに世話になったからね。」私が気を使わなくて済む様にお母さんはいつもそう言ってくれた。その時の私はお金をもらうのが当たり前の様な気がしていたと思う。そして旦那やお義母さんには工面してくれた事は言わなかった。そのせいで私の両親は旦那側の家族に悪い印象を与えてしまっていたのに。ちゃんと私達夫婦の力になってくれていたのに「全く何もしてくれない人達。」と言うレッテルを貼らしてしまっていた。
2006-07-08 05:08:00