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狐の嫁入り

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  • 1:

    名無しさん

    私の経験談。嘘みたいな本当の話。 (旧掲示板のコピペです)

    2005-08-01 00:28:00
  • 2:

    名無しさん

    19になる年の事。
    正月が過ぎ、祖父が係り付けの医師に検診を受けた。我が家は父、父の父である祖父、母、姉2人、弟1人の7人家族。今で言うと大家族になるんだろうか。夫婦仲は良くは無く、父はシラフで気に食わ無い些細な事で母にも祖父にも手を上げた。もちろん子供達、私達にも。幸い弟は唯一の男の子で待望の長男だから手を上げられる事はなかった

    2005-08-01 00:32:00
  • 3:

    名無しさん

    そんなこんなで手を上げられた祖父がどつかれた胸が痛い…と言うので、次の日付き添いながら検診に行った。おじいちゃん子だった私は大丈夫だろうか?心配だった。まだ小さく、抵抗したくても出来なかった幼少の頃の私は、やられたらやられっぱなしだったけれど、この年には阻止、防御する事が出来ていた。昨夜の暴力はあまり被害が無かった

    2005-08-01 00:36:00
  • 4:

    名無しさん

    祖父を待ち合い室で待っていると、杖の音が聞こえた。おじいちゃんだ、と立ち上がった。早くソファに座らせてあげたくて手を取り、添え木のつもりで誘導した。
    「おじいちゃん、大丈夫?まだ痛いん?」
    咳払いをしながら、祖父は答えた。
    「おじいちゃんももう年やからな、頑丈じゃないねん。先も短いやろしな…」
    と膝を曲げ、座りながら答えた。

    2005-08-01 00:55:00
  • 5:

    名無しさん

    いつか、人は土に還るものだけれど、祖父だけは失いたく無かった。
    働かない父の寝転ぶ背中を見ながら、母は朝からパートに出掛ける。それを見送る幼稚園児だった私…私はいつだって両親の背中しか見ていた事しか記憶に無い。育ての父は祖父だった。お見送りもお迎えも祖父が。
    母が見送りに来れる事が無かったから

    2005-08-01 01:00:00
  • 6:

    名無しさん

    皆はママがお見送りしてくれるのに、何で私は?と祖父にぐずりながら訴えた事もあった。祖父はいつも、ゴツゴツした大きな手で…「おじいちゃんやったらアカンか。お母さんやないと、やっぱりアカンか…」と悲しそうな顔をして私をなだめたものだった…

    2005-08-01 01:05:00
  • 7:

    名無しさん

    あの頃は、祖父が遠くに行ってしまうなんて考えもしなかったな…、と私は幼少期を思い出していた。ゴツゴツした大きな手はあの頃とは変わらない。暖かさも、優しさも…。
    両親の円満な家庭は持って居なかったから、これだけは失いたく無いっておじいちゃんの手をギュッと握りながら、「何言うてん!100まで生きてや!」

    2005-08-01 02:10:00
  • 8:

    名無しさん

    元気付けたくて、つい力が入ってしまった。
    「そやな、おじいちゃんもまだおばあちゃんの所には行かれへんな…」
    シワを寄せながら笑った。
    看護婦さんが来て、詳しい結果は後日連絡するとの事。打撲は軽く見られるので湿布を貼ってあげて、と湿布を受取り、病院を後にした。おじいちゃんを後ろに乗せ、チャリで帰宅した

    2005-08-01 02:11:00
  • 9:

    名無しさん

    数日が経ち、祖父の胸の痛みはまだ日に何度かある様でその度に湿布を貼り変えてあげた。
    検診の結果、そんな事すっかり忘れてた頃…。電話が鳴った。
    「もしもし…」
    私が出た。母は出稼ぎ、姉達は仕事、弟はまだ幼い為テレビマンガに夢中になっていた。私は短大に通っていたので在宅なのはいつも私と祖父、そして働かない父だけだった。
    「○○医院ですけど、その後おじいちゃんの容態はどうかな?」

    2005-08-01 02:12:00
  • 10:

    名無しさん

    係り付けの医院だった。
    「まだ胸が時々痛むみたいです。骨に異常とかは無かったんですよね?」
    少し、無言の間が空いて、「……その事でちょっと話がしたいけど、お母さんは居る?」
    ある程度家庭事情は知ってるので、
    「まだ帰ってません」と答えると、
    「…そう。じゃあ、○○ちゃんでいいから話聞きに来てくれるかな?」
    私が行く事になった

    2005-08-01 02:13:00
  • 11:

    名無しさん

    略部分
    「…そう。じゃあ、○○ちゃんでいいから話聞きに来てくれるかな?」
    私が行く事になった

    2005-08-01 02:15:00
  • 12:

    名無しさん

    話って何やろ?電話では不味い事…。何か悪い病気にでも…心臓がバクバクした。自分の事みたいに。「ちょっと出てくるなー」
    おじいちゃんにそう言って、ママチャリを走らせた。僅か10分もあれば病院に着いていた。
    「先生、おじいちゃん何かあるん?」

    2005-08-01 02:16:00
  • 13:

    名無しさん

    19歳にもなればある程度の事は受止められると思われたのか、医師は言った。
    「落ち着いて聞いてや…。おじいさん、肺ガンになってはる。年も年やし手術は勧められへんし、薬で押さえるしか手は無い。だいぶ進行してる。胸の痛みはそれもあったんや」
    と言われた。
    肺ガン…?ガンって…治らん病気やん。呆然とした

    2005-08-01 02:17:00
  • 14:

    名無しさん

    頭の中が真っ白になった。手術は出来無い、なら死期が近いって事だ…。
    祖父は82歳。手術に耐える体力も無いだろう。
    「いつ?いつまで持つの?」涙ぐみながら聞く。
    「長くて2ヶ月…。それよりも早いかもしれん…」
    2ヶ月?そんな早いの?何で?長生きしてなってこないだも言うてたのに…。
    「どうする?入院して薬で押さえて行こうかと思うんやけど。介護も必要になって来るやろうし、家では面倒見てあげられへんやろ?」

    2005-08-01 02:18:00
  • 15:

    名無しさん

    略部分
    「どうする?入院して薬で押さえて行こうかと思うんやけど。介護も必要になって来るやろうし、家では面倒見てあげられへんやろ?」

    2005-08-01 02:19:00
  • 16:

    名無しさん

    今まで同居していて同じ部屋で寝ていたおじいちゃんと離れる…。無理…。
    「介護って何するの?」
    医師は、「歩くのも不可能になるやろうから、下の世話、体を拭いてあげたり…。大きな赤ちゃんの面倒見る様な事になるやろうな…」
    それぐらい、私が出来る筈。汚いなんて思わへん…。
    「自宅療養にします。私が手伝います。多分お母さんも同じ事言うと思う」
    医師は少しニコッと微笑んで、「良かったわ。やっぱりな、お別れは家族と一緒が理想やからな…」

    2005-08-01 02:20:00
  • 17:

    名無しさん


    医師は少しニコッと微笑んで、「良かったわ。やっぱりな、お別れは家族と一緒が理想やからな…」

    2005-08-01 02:23:00
  • 18:

    名無しさん

    お別れ…。
    消えちゃうって事。まだ先と言っても、明日も先と呼ぶし、明後日も先と呼ぶ。先と言う名の期限がいつか、それは解らない。しかも決して明るくは無い。
    「お母さん達と話して、返事貰える様に伝えてくれへんかな」
    との医師の伝言を胸に私は病院を後にした。帰り道、家までの10分がとてつも無く遠く感じた。何がしてあげれるだろう?私の世話をしてくれてた祖父。今度は反対になるだけや…自分に言い聞かせて家に着いた

    2005-08-01 02:25:00
  • 19:

    名無しさん

    「ただいまぁー」
    泣いた後だと気付かれ無いだろうか、と不安になりつつ精一杯笑顔で祖父に言った。
    「おかえり。何処行ってたんや。急いで出て行ったけど?」
    祖父が聞いて来たので、「おじいちゃん、こないだ検診したやん?痛い言うてたやん。それでな、良くなる様な薬あるかって聞いて来てん」今考えたら少し意味不明な言い訳をした。ドキドキした。何て聞き返すんか?バレたらあかん…肺ガンなんて。

    2005-08-01 02:26:00
  • 20:

    名無しさん

    「そうやな、まだチクチク痛いから早よ治るんやったらその方がええしな…」
    咳払いをして祖父が答えた。
    良かった、勘付いてはない。私がしっかりしなきゃ。お母さんよりも、ロクデナシの父なんかよりも。老体の祖父にでさえ手をあげる父。今回父の暴力が無かったら、検診は無かったのかもしれない…。ある日倒れてその時に肺ガンだと知ったのかもしれない…

    2005-08-01 02:27:00
  • 21:

    名無しさん

    その日の晩、お母さんが帰宅してから、祖父の居ないリビングで父抜きの家族ミーティングをした。
    皆、ガンだと知ると無言沈黙になった…。
    「…でな、入院させるか自宅療養か、って聞かれてんけど、自宅療養にするって一応言うてん。入院なんかさせるん嫌やろ?」
    反対されるんかな…皆同じ思いじゃないのかな…。心配になった。
    「当たり前やろ。皆でやろうや。おじいちゃんの事…」
    お母さんが言った。

    2005-08-01 02:28:00
  • 22:

    名無しさん


    お母さんが言った。

    2005-08-01 02:30:00
  • 23:

    名無しさん

    良かった。家庭崩壊寸前でも、父を抜いたら仲の良い家族だ。只一つ、父さえ居なけりゃ…。暴力さえなければ…。酒も飲まずに暴力。裸にされて玄関に追いやられたり、髪をわし掴みにされて、鋏で切られてる母の姿を泣きながら、見てるだけで助けてあげられへんかった時もあった。父には暴力が恐くて逆らわない母。弱い母ががその時だけは強い母に見えた

    2005-08-01 02:31:00
  • 24:

    名無しさん

    自宅療養としては、ガン細胞に侵され始めるとのたうち回る程の痛みがあると言う。モルヒネと言う、麻酔薬であり麻薬の一種にも使われる薬を投薬する事、週に一度の検診を受診する事。
    そのうち体に自由が利かなくなる。そうなれば体を拭いてあげる事、トイレのサポートをしてあげる事、だった。姉達は事務仕事で昼に家に居る事はないし、母もパートで家に居ない。私が学校を休みながら通院の手助けをして行こうと思った

    2005-08-01 02:32:00
  • 25:

    名無しさん

    皆で祖父には気付かれ無い様に、今までと暮らしは変わらない様に、リラックスさせてあげようと結論が出た。
    私達だけでなら可能な事だった。父さえ居なければ…。また祖父にも暴力を奮うかもしれない。そんな事があってはならない。はみごにしていたが、一応父にも伝えておくべきか…?祖父に勘付かれる様な言動をしたりしないか。不安要素がたくさんあった

    2005-08-01 02:33:00
  • 26:

    名無しさん

    幸いその日は父の機嫌が良かったらしく、暴力も暴言も無い静かな晩ご飯だった。私達はいつも父と食事を別にしていた。一緒の卓で食事をしていて、突然キレてメチャメチャにされた事もあったからだ。
    正月も年初めから、母が返事をしなかったとか言うくだらない理由で暴れて、母が詰めていたお重箱をぶち撒けていた…年明けから最低な奴だ。こいつこそ死ねばいいのに。憎まれっ子世に憚る。昔の人は上手く言ったものだ…

    2005-08-01 02:34:00
  • 27:

    名無しさん

    父にも伝える事になり、皆で父の部屋に向かった。皆一緒なら暴れ出しても大丈夫だろう、と。
    「おじいちゃんの事で話があります…」母が切り出した。父は寝起きにボケッとしながら黙って聞いていた。
    「胸が痛いって言うてたから病院行ったら、お父さんが殴ったのもあるけど…その痛みでなくて… 肺ガンを患ってる…余命は2ヶ月らしい…」静かに父は聞いていた

    2005-08-01 02:35:00
  • 28:

    名無しさん

    少し、沈黙が続いた。父は口を開いた。「おじい、保険は入ってるんか?治療にいくらかかるねん?そんな金うちには無いやろ」
    こいつ…自分の父親の事やのに金の心配?本当に死んでくれと怒りを感じた。
    「…何とかしたらなあかんな。」
    思わぬ続きがあった。無職の父が何とかしようとしていたから…。
    次の日、職案に行っていたみたいでタクシ-の運転手をする事にしたらしい

    2005-08-01 02:36:00
  • 29:

    名無しさん

    一応こいつも働く事出来るんやん…初めて働く父の姿を見た。19になるまで、父の仕事は寝るのと暴れるのが仕事だと思うぐらい父が嫌いだったし、父親らしい事など一つも思い出なんてなかったから。
    祖父の様子は、診断を受けてから半月が経った。日に日に、胸が痛いわ…と私に溢した。祖父独特の咳払いが、苦しそうに見えた。変わりに痛みを取り去ってあげれたら…神様にお願いした。「あたしは殴られてもいいから、おじいちゃんは痛いの無くしてあげて下さい」

    2005-08-01 02:38:00
  • 30:

    名無しさん

    祖父っ子だったから、小さい頃から仏壇の掃除をしている祖父を見て手伝う様にしてたから、立派な仏教徒だった。朝、仏壇の花の水を変える、線香に火を付ける。チンチンチ-ン、と嶷(ギョク)を叩いて神様を呼びかける。日課だった。
    毎日目覚めると共に祖父が息をしてるか、を一番に確かめた。寝息を確かめてホッとする…。いつか、近いうちに呼吸が止まる日が来るんだろうか…そんな事無い。治るかもしれんし!…自分に言い聞かせる

    2005-08-01 02:38:00
  • 31:

    名無しさん

    2月になった。
    父も働き出して半月が過ぎようとしていた。暴力は知らないうちに減っていた。祖父に対しての態度等も変わっていた。優しくする事知ってるんやん…と初めていい所も発見した。
    この頃から祖父の胸の痛みが酷くなる。湿布だけでは間に合わない様で、しょっちゅう貼り替えてと頼まれた。貼り替えたからマシになる訳では無いけれど、貼ってすぐのひんやり感が少し和らいだ様だった

    2005-08-01 02:40:00
  • 32:

    名無しさん

    食事は入れ歯が面倒臭いから、と言う事でおじやを作ってあげていた。炊く前に胡麻擂り鉢で米を潰す、液体に近いぐらい煮込む。祖父はちょっと気に入ってた。せめて美味しく食べて貰いたかったから、嬉しかった。1月の宣告から1ヶ月。あと1ヶ月で祖父は居なくなるのか…?1日1日が早く感じた。1ヶ月なんてあっとゆう間だった。どんだけ無駄な時間の過ごし方をしていたのか、少し解った気がした。

    2005-08-01 02:41:00
  • 33:

    名無しさん

    余命2ヶ月と告げられた時、一番に頭をよぎったのが祖父の誕生日だった。3月23日。せめて、誕生日まで。長生きしてねって言ってたんやから今年も一つ、ちゃんと生きてるって感じさせてあげたい…。
    2月半ば…、祖父の容態に変化が起きる。自分の力では立ち上がれなくなった。オムツは買い揃えてあったけど、自分で動ける間は活用しないのが祖父の為にもいいだろう、と活用していなかった

    2005-08-01 02:42:00
  • 34:

    名無しさん

    「トイレ行きたいから手貸してくれへんか」
    と祖父が言うと誰かが手を貸していたが、母に手伝って貰うには抵抗があったみたいで私が呼ばれた。どんなに年を取っても男性。息子の嫁、所詮は血縁は無いし、その気持ちは解らなくはなかった。私は汚されても汚いと思わなかった。きっと祖父だから、そう感じ無いんだろう。孫と祖父、遠くても血縁関係もあり、一番なついていた私とはマブダチ化していたから

    2005-08-01 02:43:00
  • 35:

    名無しさん

    3月に入った。
    祖父の胸の痛みはだんだんと酷くなる一方だった。お別れが近くなってる?そう思うと、眠れなくなっていた。祖父の寝顔を見ながら、小さかった頃の事を色々思い出して一人泣いたりしていた。ここまで面倒見て貰って来たのに、私はまだ何一つ祖父に返してあげれて無いんじゃないか?無力な自分が悔しかった。
    父は社会復帰を果たし、1日走ると1日休みとゆう仕事パタ-ンになっていた

    2005-08-01 02:45:00
  • 36:

    名無しさん

    仕事で走っている途中、晩ご飯だけ食べに帰って来る習慣が付いていて、仕事の日は皆1日安泰にのんびり過ごせた。晩ご飯を食べに帰って来る事だけ我慢すれば顔を合わす事が無いから。父はそこまで家族に嫌われてる事、解ってるんだろうか?
    「俺は眠くても走らせな売り上げが上がらんから給料にならん。お前らが寝込んでる間も走っとんねん、代わりにお前が走るか?」と愚痴じみたイヤミを吐き、仕事に戻って行く。今まで寝てた奴が何言うとんねん

    2005-08-01 02:46:00
  • 37:

    名無しさん

    父が出ると皆一斉に「あいつ、今日もうざかったな。事故って死んだりしんのかな?」と笑いながら、一般家庭では笑い話にならない様な会話をしていた。
    ある時、祖父が私に溢した言葉がある。「あいつもな、昔はいい息子やってんけどな…。お母さんには辛い思いさせて悪いと思うわ…。おばあちゃんとおじいちゃんが甘やかし過ぎたんかもしれんな…。でも暴力は許さん。おじいちゃん、殴られたん忘れへん…あの痛み、忘れへん」
    おじいちゃんが悪い訳じゃないのに、母に対して詫びていた。私と祖父の二人の秘密の会話だった

    2005-08-01 02:48:00
  • 38:

    名無しさん

    父にも子供の頃はあったんだ。当たり前の事だけど、この時にふと不思議な感覚になったのを覚えている。父は子供の頃私みたいな気持ちになった事はあるんだろうか?父の父、祖父に対して憎いって思ったりしたんだろうか…?祖父の子育てで今の父があるのなら、祖父が悪いの?…んなわけない。やっぱ悪いのはキチガイの父、あいつ一人だけだな。一人で考えて一人で納得していた

    2005-08-01 02:51:00
  • 39:

    名無しさん

    3月になり、祖父の誕生日まで毎日カウントダウン。目が覚めたら呼吸確認、よし、今日も生きてる…。
    しかし、呼吸にも変化があった。ひゅうひゅう、ぜいぜい…辛そうだ。ご飯を食べた後、いつも通り薬を渡す。今思えば、打撲で胸が痛いならこんな薬浸けになる程になるのはおかしい。祖父は気付いてたのかもしれない。言わなかっただけで、自分はもう長く無いって事。

    2005-08-01 13:25:00
  • 40:

    名無しさん

    薬が効いている間は痛みは引くらしく、湿布のおねだりは減っていた。麻薬と同じ効き目があるモルヒネ。副作用もそれなりにあった。足腰も弱くなり、麻痺していたんだと思う。おじやを溢しても気付かない事が増えた。
    別れの前に痴呆になり私の事忘れてしまったりしたらどうしよう…と考えたりしてしまった。夜中のトイレが本格的に介助無しには無理になっていた

    2005-08-01 13:26:00
  • 41:

    名無しさん

    どんなに母に「遅刻するで!」と、起こされても目覚め無かった私が、祖父のか細い呼び声で目覚める様になった。
    「薫…薫…」
    ハッと目覚めて、「おじいちゃん、トイレ行きたいん?」と起き上がりトイレまで付いて行く。便座に座らせてあげる、小の場合は自分で処理していたが大の時は手が思う様に動かない為、私が援助した。「ごめんな、汚いのにな…こんな事も出来ひんなら早よ死んだ方がええな…」
    祖父が恥ずかしそうに呟いた

    2005-08-01 13:27:00
  • 42:

    名無しさん

    私は、
    「何言うてんのん!汚くなんか無いわ!薫のオムツ替えてくれてたやん、お返しやん!薫には気使わんといて!」と励ました。祖父は申し訳なさそうに、
    「薫が孫でおじいちゃん幸せやな。これからもごめんやけど頼むで」
    便座から立たせ、脇に私の体を挟み支えながら、ベッドに戻って寝かせた。
    「おじいちゃん、ほんまに好きやで。薫の彼氏はおじいちゃんやからね」
    ホッペにキスをした。少し照れていた。私も照れた。告白した後みたいに、キュンとした

    2005-08-01 13:28:00
  • 43:

    名無しさん


    ホッペにキスをした。少し照れていた。私も照れた。告白した後みたいに、キュンとした

    2005-08-01 13:29:00
  • 44:

    名無しさん

    3月23日、無事祖父は83歳になった。良かった、今年も一つ年を取った。来年は?来年も年取る事は出来るんかな…。来年にはここには居ないのかな…。めでたいけど複雑な気持ち。誕生日だから、って理由でおじやに少しだけ酒を入れて味付けした。過去、酒飲みだった祖父は一度肝臓で手術をしていたので禁酒令が出ていたが、ほんの香り付け程度に酒を入れてあげた。「お母さんには内緒やで」
    と私が言うと祖父は微笑みながら「美味しいわ、久しぶりの酒や…」
    いつもより味わって食べている様に見えた

    2005-08-01 13:30:00
  • 45:

    名無しさん

    予定の余命2ヶ月を乗り越え、少し安心したのか、私はもしかして治るかもしれん…と先行を明るく考えていた。この頃胸の痛みもあんまり言わないし、マシになってるかも!このまま頑張って私が治そう、そう思いながら今日も仏壇に手を合わせる。
    『神様、本当に居るのなら我儘言うのは辞めますから、おじいちゃんを助けてあげて下さい。100まで生かして下さい。花嫁姿も見て貰いたいです…』
    毎日真剣にお願いしていた

    2005-08-01 13:31:00
  • 46:

    名無しさん

    4月に入った。
    春になった。病院までの道のりに桜並木があったので、近所に住む足の悪いおばあちゃんに頭を下げて車椅子を借りた。次の病院の日に桜見せてあげよう…と思ってたから。
    病院の日、気持ちいいほど晴れていた。春風がさわさわ吹く、いい日だった。
    「今日はなー、チャリの後ろよりか座る方が楽かなと思って車椅子借りてきてん」まだ肌寒いかもと膝にブランケットをかけ、帽子を被せて病院に向かった

    2005-08-01 13:32:00
  • 47:

    名無しさん

    チャリなら10分の道のりが車椅子だと30分かかった。慣れない車椅子を押しながら散歩もかねて、急ぐ必要は無いな、と話しながらゆっくり桜並木で車椅子を押した。
    サーっと風が吹くと、これが本当の花吹雪。桜が綺麗に舞う。こんな光景、普段気付かずに通り過ぎているんだなぁ…と癒された。
    「おじいちゃん、桜綺麗よなぁー。こんなじっくり見るん何年振りやろー」
    押しながら話した。「昔はな、もっと桜があってな、春の花見が楽しみやってんで。酒浴びてな…」酒飲みならではの楽しみだったんだろう、しわしわになりながら祖父は笑顔だった

    2005-08-01 13:33:00
  • 48:

    名無しさん

    病院に着き、祖父が点滴を受けている間に先生と二人で話した。
    「先生、最近ね、胸が痛いって言わないねん。もしかして治る?治ってるから痛く無いんやないん?」嬉しかったから私はちょっと興奮気味に言うと、先生は
    「…違うんよ。モルヒネで麻痺し切ってるから痛く無いねんよ、だいぶ進んでるわ。今月中かも…しれへんね」
    …そうなん?進み切ってるから、痛く無いだけなん?現実を知って、ショックだった。「本当は痛いかもしらへんけど、おじいちゃん我慢してはるかもしらへんよ。孫が世話してくれるから有難いってさっき言うてたし、よくしてあげてるみたいやね、頼むよ」

    2005-08-01 13:36:00
  • 49:

    名無しさん

    点滴が終わるまで、待ち合いで一人座りながら、沈んでいた。今月中が危ないかもしれん…早く、出来る限りの事をもっとたくさんしてあげなくては。何がしてあげれる?そればかり考えていた…。
    「薫ちゃ〜ん、おじいちゃん点滴終わるよ〜」看護婦さんが呼びに来た。ボーっとしていたのか、我に返った。
    「あっ、はっ、はいっ」
    点滴室に向かい、祖父の手を取り、階段を下りる。顔見知りのおばあちゃんが、「ええねぇ、優しいお孫さんで。うちの孫なんか肩も貸してくれへんのよ…」
    淋しそうな顔をして言った。
    「自慢の優しい孫ですねん。今日は桜見るのに車椅子押してくれましてん」
    孫馬鹿になっていた

    2005-08-01 13:37:00
  • 50:

    名無しさん

    略 
    「自慢の優しい孫ですねん。今日は桜見るのに車椅子押してくれましてん」
    孫馬鹿になっていた

    2005-08-01 13:38:00
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