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狐の嫁入り
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1:
名無しさん
私の経験談。嘘みたいな本当の話。 (旧掲示板のコピペです)
2005-08-01 00:28:00 -
24:
名無しさん
自宅療養としては、ガン細胞に侵され始めるとのたうち回る程の痛みがあると言う。モルヒネと言う、麻酔薬であり麻薬の一種にも使われる薬を投薬する事、週に一度の検診を受診する事。
そのうち体に自由が利かなくなる。そうなれば体を拭いてあげる事、トイレのサポートをしてあげる事、だった。姉達は事務仕事で昼に家に居る事はないし、母もパートで家に居ない。私が学校を休みながら通院の手助けをして行こうと思った2005-08-01 02:32:00 -
25:
名無しさん
皆で祖父には気付かれ無い様に、今までと暮らしは変わらない様に、リラックスさせてあげようと結論が出た。
私達だけでなら可能な事だった。父さえ居なければ…。また祖父にも暴力を奮うかもしれない。そんな事があってはならない。はみごにしていたが、一応父にも伝えておくべきか…?祖父に勘付かれる様な言動をしたりしないか。不安要素がたくさんあった2005-08-01 02:33:00 -
26:
名無しさん
幸いその日は父の機嫌が良かったらしく、暴力も暴言も無い静かな晩ご飯だった。私達はいつも父と食事を別にしていた。一緒の卓で食事をしていて、突然キレてメチャメチャにされた事もあったからだ。
正月も年初めから、母が返事をしなかったとか言うくだらない理由で暴れて、母が詰めていたお重箱をぶち撒けていた…年明けから最低な奴だ。こいつこそ死ねばいいのに。憎まれっ子世に憚る。昔の人は上手く言ったものだ…2005-08-01 02:34:00 -
27:
名無しさん
父にも伝える事になり、皆で父の部屋に向かった。皆一緒なら暴れ出しても大丈夫だろう、と。
「おじいちゃんの事で話があります…」母が切り出した。父は寝起きにボケッとしながら黙って聞いていた。
「胸が痛いって言うてたから病院行ったら、お父さんが殴ったのもあるけど…その痛みでなくて… 肺ガンを患ってる…余命は2ヶ月らしい…」静かに父は聞いていた2005-08-01 02:35:00 -
28:
名無しさん
少し、沈黙が続いた。父は口を開いた。「おじい、保険は入ってるんか?治療にいくらかかるねん?そんな金うちには無いやろ」
こいつ…自分の父親の事やのに金の心配?本当に死んでくれと怒りを感じた。
「…何とかしたらなあかんな。」
思わぬ続きがあった。無職の父が何とかしようとしていたから…。
次の日、職案に行っていたみたいでタクシ-の運転手をする事にしたらしい2005-08-01 02:36:00 -
29:
名無しさん
一応こいつも働く事出来るんやん…初めて働く父の姿を見た。19になるまで、父の仕事は寝るのと暴れるのが仕事だと思うぐらい父が嫌いだったし、父親らしい事など一つも思い出なんてなかったから。
祖父の様子は、診断を受けてから半月が経った。日に日に、胸が痛いわ…と私に溢した。祖父独特の咳払いが、苦しそうに見えた。変わりに痛みを取り去ってあげれたら…神様にお願いした。「あたしは殴られてもいいから、おじいちゃんは痛いの無くしてあげて下さい」2005-08-01 02:38:00 -
30:
名無しさん
祖父っ子だったから、小さい頃から仏壇の掃除をしている祖父を見て手伝う様にしてたから、立派な仏教徒だった。朝、仏壇の花の水を変える、線香に火を付ける。チンチンチ-ン、と嶷(ギョク)を叩いて神様を呼びかける。日課だった。
毎日目覚めると共に祖父が息をしてるか、を一番に確かめた。寝息を確かめてホッとする…。いつか、近いうちに呼吸が止まる日が来るんだろうか…そんな事無い。治るかもしれんし!…自分に言い聞かせる2005-08-01 02:38:00 -
31:
名無しさん
2月になった。
父も働き出して半月が過ぎようとしていた。暴力は知らないうちに減っていた。祖父に対しての態度等も変わっていた。優しくする事知ってるんやん…と初めていい所も発見した。
この頃から祖父の胸の痛みが酷くなる。湿布だけでは間に合わない様で、しょっちゅう貼り替えてと頼まれた。貼り替えたからマシになる訳では無いけれど、貼ってすぐのひんやり感が少し和らいだ様だった2005-08-01 02:40:00 -
32:
名無しさん
食事は入れ歯が面倒臭いから、と言う事でおじやを作ってあげていた。炊く前に胡麻擂り鉢で米を潰す、液体に近いぐらい煮込む。祖父はちょっと気に入ってた。せめて美味しく食べて貰いたかったから、嬉しかった。1月の宣告から1ヶ月。あと1ヶ月で祖父は居なくなるのか…?1日1日が早く感じた。1ヶ月なんてあっとゆう間だった。どんだけ無駄な時間の過ごし方をしていたのか、少し解った気がした。
2005-08-01 02:41:00 -
33:
名無しさん
余命2ヶ月と告げられた時、一番に頭をよぎったのが祖父の誕生日だった。3月23日。せめて、誕生日まで。長生きしてねって言ってたんやから今年も一つ、ちゃんと生きてるって感じさせてあげたい…。
2月半ば…、祖父の容態に変化が起きる。自分の力では立ち上がれなくなった。オムツは買い揃えてあったけど、自分で動ける間は活用しないのが祖父の為にもいいだろう、と活用していなかった2005-08-01 02:42:00