小説掲示板≪風俗≫あたしにも価値はあると言って。。。≪ホストクラブ≫のスレッド詳細|夜遊びweb関西版

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≪風俗≫あたしにも価値はあると言って。。。≪ホストクラブ≫

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  • 1:

    自分のサイトで公開している小説です。
    70%ぐらいはあたしの体験談です。
    あまり上手とは言えませんが、
    実際に風俗やホストの世界にいる方々に
    読んでもらいたくてここに書くことにしました。

    2005-05-27 12:22:00
  • 2:

    あたしを必要としてくれる人なんて、この世界中のどこにもいないんじゃないだろうか?
     そんな不安を、風俗という仕事は一時的にだけれど忘れさせてくれる。
    「ありがとう、本当によかったよ。絶対また来るからさ、名刺くれるかな?」
     四十歳前後だろうか。
     黒いスーツに地味なネクタイ、銀縁のメガネをかけた、どこにでもいるようなサラリーマン。
     スーツの袖に腕を通しながら、その客はあたしに向かって笑いかけてくる。
    「もちろんですよー」
     店の名前や住所、電話番号が白黒印刷された名刺を一枚取り出して、ボールペンで「ユウナ」と書いた。
     裏には「毎週水曜日、お休みです。ぜひ、また遊びに来てくださいねー。楽しみに待ってます」と書く。

    2005-05-27 12:23:00
  • 3:

    どうせ渡す名刺ほとんど全部が同じ内容なのだから前もってまとめて書いておけば楽なのだろうけれど、こうして客の目の前で書くことで好印象を与えるらしい。
     自分のために風俗嬢が書いてくれたメッセージ、だと思わせることができるからだ。
    「はい、これ。あたし、ユウナです。本当にまた来てくださいね?」
     両手で名刺を渡し、小首を傾げて、上目遣いで客を見上げる。
     そしてデレデレとしただらしない笑顔を確認しつつ、その唇に軽くキス。

    2005-05-27 12:24:00
  • 4:

    「お客様お帰りでーす」
     個室のドアを開け、フロントまでの狭い廊下を腕を組んで歩く。
     最後にカーテンの裏でもう一度キス。
    「じゃあね、またね。ありがとうございましたぁ」
     客をカーテンの向こう側へ送り出し、あたしは両手を真上に上げて伸びをする。
     あたしは風俗嬢、ユウナ。
     この街では老舗のファッションヘルス「ピンキードール」で働くヘルス嬢だ。

    2005-05-27 12:25:00
  • 5:

    古い雑居ビルの二階にある店舗の中のあてがわれた個室で、口や手を使い――つまりセックス以外の手段で客を射精させるのが仕事。
     時計は深夜一時過ぎを指していた。
     今日の仕事はこれで終わりだ。
     個室に戻り、息を止めながらゴミ箱の中から精液臭い袋を取り出して口をしっかりと結び、空になったゴミ箱には新しい袋をかぶせておく。
     さっきの接客で使用した、ベッドの端でぐしゃぐしゃになっているバスタオルを全部まとめて右手に抱え、左手でゴミ袋をつかむ。

    2005-05-27 12:26:00
  • 6:

     廊下の奥にあるタオル置き場のドアを開けてタオルを投げ入れ、ついでに脇にある大きなポリバケツにさっきの精液まみれのティッシュが詰まったゴミ袋を放り込んでくる。
     廊下を歩くと店長の趣味である洋楽の有線に混ざって接客中の誰かのわざとらしい嬌声が聞こえてきた。
     閉店ギリギリの時間に入った客がいるようだ。
     この店はそれぞれの個室にシャワー室が完備されているのが気に入っている。
     ひらひらとレースの施された安っぽいキャミソールワンピースを脱いでシャワー室へ入り、ぬるめのシャワーを浴びて、念入りに歯を磨く。

    2005-05-27 12:27:00
  • 7:

     一日に何度もシャワーを浴びるせいで肌が乾燥して仕方がないので、体を拭いたあとすぐに乳液を全身に塗りたくってから私服のツーピースを着た。
     乳液はこの前買ったばかりだと思っていたのにもう残り少ない。
     帰りに買っておかなければ。
    「ユウナちゃん、お疲れ様」
     バッグと、ドライヤーや名刺等の私物の入ったカゴを持ってフロントへ行くと、店長がギャラの入った茶封筒を差し出してきた。
     封筒の表には四万六千円の文字。
     まぁまぁだ。

    2005-05-27 12:28:00
  • 8:

     中身を取り出し、金額を数えて財布へ押し込む。
     封筒は私物カゴと一緒に店長に返した。
    「次の出勤は明日ね。もう五時からの予約が一本入ってるから、遅刻したり休んだりしないでくれよ。まぁお前は出勤は真面目だから心配してないけどな」
     真面目、と言われて嬉しいけれど少しおかしかった。
     職場に約束した日、約束した時間に出勤する。
     もし急病などのどうしようもないことで遅刻、欠勤するときは少しでも早めに電話連絡をする。
     ただそれだけを守っているだけで真面目と言われるのだから、この業界ではいかにルーズな女が多いのか、またルーズな姿勢が許されているのかがわかる。
     以前勤めていた会社なら、無断欠勤なんて考えられなかった。

    2005-05-27 12:29:00
  • 9:

    「多分大丈夫ですよ、ちゃんと来ますから」
    「じゃあ、待ってるよ。お疲れ様」
    「お疲れ様でしたぁ」
     店を出て、大きな通りを歩く。
     歓楽街の人ごみは、様々な欲望の熱気に満ちている。
     あたしも一応若い女性の部類に入るので、念のため夜の路地裏は歩かないようにしているのだ。
     横断歩道を渡った先にあるコンビニで乳液を買おう、そう思い信号待ちをしていたとき。
    「すみません、ちょっといいですか?」
     後ろから急に声をかけられた。

    2005-05-27 12:30:00
  • 10:

     振り向くと、黒いスーツを着た若い男が立っている。
    「お仕事の帰りー? この近くで飲み屋をやってるんだけど、よかったら飲みに来ませんか?」
     夜の繁華街には彼らのような客引きが多くいる。
     居酒屋やバー、キャバクラやホストクラブ、風俗店からカラオケボックスまで店は様々だけれども、彼らをいちいち相手をしているとキリがないのでいつも「ごめんなさい」と一言だけ言って立ち去るようにしている。
     信号はまだ赤だった。

    2005-05-27 12:30:00
  • 11:

     とりあえずどこの店かは知らないけれど断ろう、と思い改めて彼の顔を見てふと思った。
     似ている。
     じっと見たら吸い込まれてしまいそうな、大きな二重の目をびっしりと長い睫毛が囲っている。
     まるで人の心の奥までも見透かしてしまいそうなきれいな目。
     こんな目をした男をあたしはもう一人知っていた。
     だから、思わずうなずいたのだ。
    「いいよ、行く。何ていうお店なの?

    2005-05-27 12:31:00
  • 12:

     あたしの返事に、彼の顔がぱっと明るくなるのがわかった。
    「Temptation。すぐ近くなんだ、ほら、あそこに青い看板の出てるビルだから。あ、名前聞いてもいい? 俺は翔って言うんだけど」
     翔、と名乗る彼に名前を聞かれ、あたしは一瞬迷って「ユウナ」と答える。
     ユウナ、という名前は本名ではない。
     風俗嬢として働き始めたときに店長が付けた源氏名だ。
     この街では、あたしはユウナ。
     OLだった、風俗の世界なんか何も知らなかった本名のあたしは、今ここにはいない。
     信号は青に変わっていたけれど、あたしは横断歩道を渡らずに彼とひときわネオンの輝く方へと歩き出した。

    2005-05-27 12:32:00
  • 13:

     そんな他力本願で浅はかな考えを知ってか知らずか、彼はあっさりとあたしの「婚約者」になった。
     同僚の紹介で知り合った、建設会社に勤める五歳年上の婚約者。
     浅黒い肌や太りすぎの体型等、外見はまったくあたしの好みのタイプとは正反対だったけれども、結婚相手としては理想的な、というか無難な男だった。
     社交的で堅実で、仕事に対して真面目で、酒は一滴も飲まずギャンブルもせず女癖も悪くない。
     彼の両親も兄弟も親戚もそろって大袈裟すぎる程によそ者であるあたしを歓迎してくれた。
     彼自身も、「節約家で礼儀正しくて優しい家庭的な女」を適当に演じていたこのあたしのことをひどく気に入っていたはずだ。

    2005-05-27 12:35:00
  • 14:

     出会いは、仕事がらみの酒の席。
    「真宮朋樹」と名乗った彼と軽い気持ちで電話番号を交換したのが始まりだった。
     きれいな顔の人だな、というのが第一印象。
     キメの細かそうな白い肌、くっきりした二重の大きな目。
     目を伏せると長い睫毛が頬に影を落とす。
     穏やかにも、ときに冷酷にも見える黒目がちな澄んだ瞳。
     うっすら明るく染めた長めの髪は、営業マンだという彼の職業には不釣合いに思えたけれども、中性的な彼の顔によく似合っていた。
     あたしは彼に「近藤清美」と名乗った。
     あのときは、まだあたしの名前は本名のそれしかなかったから。

    2005-05-27 12:37:00
  • 15:

    「心も体も、清らかで美しい女の子に育つようにって、母さんと一生懸命考えて付けたんだ」
     いつだったか父親がそんなことを言っていた。
     あたしは両親の期待には応えられなかったけれど。
     真宮はとても優しく、初対面の相手に緊張するあたしに明るく、それでいて穏やかに話題を振ってくれた。
     あたしのグラスが空になるとさりげなく店員を呼んで「次は何を飲む?」と聞いてくれた。
     迷っていると、真宮はその長い前髪がくっつきそうなほどこちらに顔を近づけてあたしの手元のメニューを覗き込んだ。
     そして「さっぱりしたカクテルが好みなら、この辺りが美味しいよ」と唇の端を持ち上げて少し目を細め、にっこりと笑う

    2005-05-27 12:37:00
  • 16:

     彼のスーツからは、ふんわりと甘い香水の匂いがした。
     真宮の仕草、言葉、表情、すべてがあたしより、そしてあたしの周囲にいた男性たちよりずっと大人だった。
    「もうすぐ三十路だからね」と笑う八歳年上の彼は、ひたすら優しく、まるで幼児を見守る親のようにしてあたしに接してくれた。
     だから。
     それは、直感だった。
     これまで否定や侮蔑を恐れるあまり、無意識に、そして絶対に他人とは常に一定の距離を保つよう努めてきて、自分の心の奥をさらけ出す勇気も理解してもらう術も知らなかったあたしの、彼に対する直感だった。

    2005-05-27 12:38:00
  • 17:

     彼にならあたしの弱い部分も醜い部分も歪んだ部分も見せられる。
     この人なら、決してあたしを否定しない、あたしを理解して、肯定して、受け入れてくれる。
     婚約者にも見せたことのない、一生誰にも見せるつもりのなかったあたしの影の部分まで全てを、真宮にだけは見せられる気がしたのだ。
     次の日も、あたしから真宮を誘い、会いに行った。その次の日も。
    「清美」とあたしの名前を呼ぶ、その声の温度がたまらなく心地よかった。
     あたしは真宮が好き。
     そう気づくのにそれ以上の時間がかかるはずもなく。
     同時に、あんなつまらない男と結婚なんかできない、と確信し、そうしてあたしと婚約者との関係は寿退社の予定の二ヶ月前にあっさりと終了したのだった。

    2005-05-27 12:39:00
  • 18:

     雑然と立ち並ぶビルの一つに入ると、翔は上へのエレベーターのボタンを押した。
    「うちは八階なんだ。このビル、エレベーターが遅くてちょっと困るんだよねー。遅刻しそうなときに限っていつも待たされる」
     二人で笑っていると、エレベーターが開いた。
     彼は片手でそのドアを押さえ、あたしを先に乗せてくれた。
     八階の一番奥、入り口の黒く重そうなドアには「Temptation」の文字。
     翔はドアを開けるなり「お客様です!」と店中に聞こえるような大声をあげた。
    思わずひるんだあたしにはお構いなしに、店の中にいた従業員らしき男たちが一斉に「いらっしゃいませー!」と唱和する。

    2005-05-27 12:40:00
  • 19:

     穏やかで無邪気な笑い方。唇の端を持ち上げて、その大きな目を細める。
     一瞬、翔の顔を見つめてしまった。
     似ている。
     真宮に似ている。
     ――二人で、楽しく飲もう。
     たった今翔に言われた台詞と真宮の顔が頭の中をぐるぐると回る。
     大好きな真宮。
     もう、会えないかもしれないけれど。

    2005-05-27 12:44:00
  • 20:

     あたしが小さくうなずくと、翔は「よかった。ほら、こっちにおいで」とさりげなくあたしの手を引いて席へと連れて行ってくれた。
     その手は大きくて温かくさらりと乾いていて、普段あたしが触れている不特定多数の男――客たちの手とは全然違っていた。

    2005-05-27 12:44:00
  • 21:

     婚約者との別れ話はさほどもめなかった。
     一方的にあたしに非があったのだし、と二人で貯めていた貯金のほとんどを彼に渡して、あたしの部屋にあった彼の荷物をすべてダンボールに詰め込んで車で持ち帰らせた。
     きれいさっぱり婚約破棄が成功した次の日の夜、薄暗いオレンジの照明が心地よいこじんまりとしたバーのカウンターで、あたしと真宮は並んで座った。
     真宮の横顔は美しかった。
     端正で中性的で、他の大勢の男にはない大人の落ち着き、こちらのすべてを見透かされてしまいそうな、不思議な魅力。
     彼だけが持つ引力。

    2005-05-27 12:45:00
  • 22:

     間違いない。
     この人しかいない。
     あたしの目に狂いはない。
     回りくどい告白の台詞も演出も考え付かなかった。
     思いつくままの言葉をひたすら並べていく。
    「真宮、あのね、あたし婚約してるって言ったでしょ? でね、別れちゃった。好きな人できたんだよね、その人といると、すごく楽なの。何でも話せるの。こんな人初めてなんだ。真宮、あのね、真宮――」

    2005-05-27 12:46:00
  • 23:

     その日。
     真宮の返事は遠まわしな表現だったけれど、あたしに対して友人以上の感情は持っていない、と言う事は何とか伝わってきた。
     少し泣いたり、早口でまくしたてたりしながら「好きな人がいるの?」とか「あたしには何が足りないの?」とか聞いたけれど、彼はやっぱり穏やかな口調ではぐらかすだけ。
    「清美は、どこか俺に似てる。俺にとって清美は、本当に大事な大事な妹みたいなんだよ」
     真宮はどこまでも大人で、精一杯幼いあたしが傷付けないよう言葉を選んでくれた。
     あたしは真宮に受け入れられなかった、その事実は変わらなかったけれども。
     そうして、あっという間にあたしは一人になったのだ。

    2005-05-27 12:47:00
  • 24:

     あたしは、真宮以上の男なんてこの世界にはいないと確信していたから、今さらあのつまらない元婚約者のところに帰る気になどちっともならなかった。
    「最後に一つだけ聞くけれど。今、清美は、結婚の話がなくなって後悔していない?」
     真宮の言葉に、あたしは自信を持って笑顔でうなずいた。
     今誰かに同じことを聞かれても、やっぱり答えは変わらないだろう。

    2005-05-27 12:48:00
  • 25:

     会社には、しばらく破談になったことは伝えなかった。
     もうあたしの後任も決まっていたし、寿退社を予定していたけれど破談になったのでやっぱりまだ働かせて下さい、なんてみっともない真似はとてもできない。
     けれどもさすがに上司や同僚に嘘をついたままで退職するわけにもいかないので、退職まで一ヶ月を切ってからあたしは初めて周囲に結婚はしない、と明かした。
    「もっと早くに言ってくれたら人事だって俺が上に頼んで何とかしたのに。めでたい話だから反対するわけにもいかなかったけど、お前がいなくなったら俺はすごく困るんだぞ?」

    2005-05-27 12:49:00
  • 26:

     斜め向かいの席の、毎日あたし指名でコピー取りとお茶汲み、資料整理を頼んできた課長が言ってくれた言葉が嬉しかった。
     つまらない会社だったけれど、最後の最後で自分の働いていたことにも一応意味はあったのだと知ることができた。
     それでじゅうぶんだ。

    2005-05-27 12:50:00
  • 27:

    「こちらにどうぞ」と翔が案内してくれた席に座った。
     ソファーは柔らかくて、ゆっくりと体が沈み込む。
     手にしていたバッグを横に置こうとしたら、翔に「隣に座ってもいい?」と聞かれ、うなずきながらバッグは足元に置いた。
     周囲をキョロキョロしていると、どこからか黒いスーツの大柄な男がやってきてあたしの席の前で窮屈そうに腰を屈め、焼酎のボトルやグラス、アイスペール、コースター、灰皿などを並べ始めた。
    「いらっしゃいませ。初回の方にはこちらのボトルをサービスさせていただいております。割り物は何になさいますか?」

    2005-05-27 12:51:00
  • 28:

     大柄な男の言葉に合わせて翔がすかさず横からメニューを差し出してくれる。
     焼酎といえば水割りかウーロン茶割りぐらいしか知らなかったのだけれど、オレンジジュースやカルピスなども割り物として用意されているらしく、あたしはとりあえずオレンジジュースを頼む。
     翔が二つのグラスに氷を入れている間に、さっきの男がガラス製のピッチャーに入れられたオレンジジュースを持ってきて、一礼して、またどこかへ行った。
    「お酒、飲めるよね? あ、でも最初だからちょびっと薄めにしておくねー」
     そう言いながら翔は手早くグラスにそれぞれ焼酎とオレンジジュースを注ぎ、マドラーでくるくるとかき混ぜてから片方をあたしの前に置いた。

    2005-05-27 12:51:00
  • 29:

     それに、彼の指なら、ごついデザインのプラチナの指輪をはめたらきっと似合いそう。
     あたしがそのことを言うと、翔はグラスを持ったままで笑った。
    「ブランド物持ってるのなんて、一部の売れてるホストだけだよー。ホストみんながお金持ちなわけじゃないんだ、俺なんか新人だからマジ貧乏だよ。今月の携帯代もヤバいくらい」
     そう笑う彼は、どこにでもいそうな普通の男の子だった。
     年齢を聞くと、「今年で21歳だよー」と答えた。
     あたしの2歳年下だ。
     それから二人でドラマや好きな食べ物、翔が最近買ったゲームなどの話をした。
     黒いスーツを着ているしあたしのお酒が減ったら作り足してくれるけれど、やっぱり話しているときの翔は無邪気で純粋な普通の男の子だと思った。

    2005-05-27 12:53:00
  • 30:

    「お嬢さん、お美しいですね……なーんて言われたりすると思ってた?」
     言いながら翔は上目遣いで笑みを浮かべながらあたしの顔に自分の顔を近づけ、肩に手を回す。
     彼が演じたそれは、まさにあたしの想像していた「ホスト」そのものだったので、あたしはひどくおかしかった。
     彼はすぐにあたしから体を離し、今度は毎週読んでいる漫画の話を始める。
     新連載のサッカー漫画のことは何も知らなかったので「それ、知らないや」と言った。
    するとすぐに翔はあたしでも知っている、ずいぶん前から連載されている冒険物の漫画の話題に変えてくれた。

    2005-05-27 12:54:00
  • 31:

     あたしはここでは「お客様」なのだ。
     無理にあたしから話しかけなくてもいいし、興味のない話題を楽しそうなふりをして聞く必要もない。
     目の前の相手にどうすれば好かれるか、どうすれば嫌われないかいちいち気にしなくてもいいのだ。
     なぜなら、あたしは代金を払っているから。
     酔いも手伝って、その夜あたしは翔との話に頬の筋肉が痛くなるほど笑い、最後に電話番号とメールアドレスを交換してタクシーで家へ帰った。
     久しぶりに何かから解放された、そんな気分だった。

    2005-05-27 12:55:00
  • 32:

    『おはよ、こっちこそ昨日は楽しかったよ。また遊びに行こうかな。そのときはよろしくね。じゃあ、これから仕事してくるね』
     翔へ返信し終わると、ちょうどタクシーは店の前へ到着した。
     運転手へ料金を払い、あたしは小走りで店への階段を登った。
    「おはようございます」
    「おはよう、えっと、ユウナちゃんは今日六番のお部屋ね。お客さんもう来てるから急いでセットしてよ」

    2005-05-27 12:57:00
  • 33:

     ちらりと時計を見ると、まだ四時半を少し過ぎたばかりだ。
     着替えや今日使う部屋のタオル等の準備をゆっくりするために早めに出勤したというのに、客があたしより早く来てしまっていてはゆっくりなどできやしない。
     五時からの予約なんだから、五分前にでも来店してくれれば十分なのに。
    「誰? そんなフライングしてるのは」
     言いながらフロントの横のマジックミラーから待合室を覗いた。
     白いポロシャツにジーンズ、手にはセカンドバッグの中年の男がスポーツ新聞を広げている。
     うつむいてはいるが、その顔には見覚えがあった。
    「橋本だわ。そういえば今日は仕事休みだったはずだもん」
    「六十分コースね。頼んだよ」

    2005-05-27 12:57:00
  • 34:

     店長から私物カゴを受け取り、小走りで部屋に入って服を全て脱いだ。
     着てきた服や下着、バッグは部屋の隅にある棚の一番上の段に目立たないようにして押し込み、私物カゴは手の届きやすい中段に置く。
     本当は時間があれば接客前に一度シャワーを浴びたかったし化粧も直したかったけれど、今日はあまり汗もかいていないし、と妥協して私物カゴの中に入れてあった下着とキャミソールワンピースを身に付ける。
     早番の子が部屋をきっちり片付けてから上がってくれたらしい、灰皿は汚れていなかったし、タオルもきれいに畳んで向きを揃えて積み上げられていた。
     シャワーブースのボディシャンプーもイソジンもモンダミンも、枕元に置かれた本来は調味料入れだったボトルに入れられたローションもたっぷりと残っている

    2005-05-27 12:59:00
  • 35:

     タオルを二枚、ベッドの上に広げた。
     時計を見ると四時四十五分。
     キッチンタイマーをセットし、部屋の内線電話でフロントにコールをする。
    「セットできましたぁ」
    「オッケー、じゃあご案内するよ、がんばってね」
     部屋へ続く廊下と待合室を仕切るカーテンの前に立つ。
    「お客様、お待たせいたしました! ご案内しまーす! ユウナちゃんでーす!」

    2005-05-27 13:00:00
  • 36:

     馬鹿みたいに陽気な店長の声とともにカーテンが開けられ、あたしは客と対面する。
    「よっ、久しぶり。だいぶ待っちゃったよ」
     白いポロシャツにジーンズ、手にはセカンドバッグの中年の男。
     強風の中でも歩いてきたのかと聞きたくなるようなぼさぼさの髪で、笑うと欠けた前歯が見える。
     あたしの常連客、橋本だ。
    「ごめんねぇ、あたしってばいつも橋本さん待たせちゃってるよねぇ。今日はがんばって早めに来たつもりだったのになぁ」
     本当なら予約時間の五時より早く案内させているのだからあたしは悪くないと思うのだけれども、一応待たせたことを謝ってやることにする。

    2005-05-27 13:00:00
  • 37:

    「どうせユウナのことだから、またのんびりとメシでも食べてて遅くなったんだろ」
     だから、遅くなんかなっていないというのに。
    「ほんと、ごめんね、出勤前カップラーメン食べてきたんだけど、あたし猫舌だからなかなか食べられなくって」
     二人で個室に入り、さっさとベッドに腰掛けた橋本の隣に並んで座りながら適当に話を作って合わせておく。
    「そんな物ばかりじゃ体壊すぞ、この前仕事で接待されたときに行った、駅前の新しいイタメシ屋が旨かったから、一緒に行こう。奢ってやるよ。いいだろ?」
    「イタメシかぁ、美味しそうだねぇ。でもお店に怒られちゃうからまた今度ねぇ」
     適当にはぐらかし、橋本の首に手を回した。

    2005-05-27 13:01:00
  • 38:

     にっこりと笑って、キス。
     幾度となく通って、それが禁止項目だと知っているくせに「奢ってやるよ」なんて偉そうに店外デートを要求する図々しい口を塞ぐ。
     舌を絡めながら、薄目を開けてこっそりと時計を見る。
     六十分コースだから、本当はあと十分は会話で時間を潰しておきたかったんだけれど、会う度に図々しさを増す彼とこれ以上話しているのは辛い。
     橋本のポロシャツのボタンを外していると、彼の左手が服の上からさわさわと胸を触ってきた。
     あたしはさりげなく自分の右手で服の上を這いまわろうとする橋本の手を握り、指を絡めて動きを封じる。

    2005-05-27 13:02:00
  • 39:

    「はぁい、バンザイしてぇ」
     ポロシャツを脱がせ、その下のタンクトップも脱がせて簡単に畳んで脱衣カゴへ入れる。
     あたしはベッドを降り、彼の足元にひざまずいてジーンズのベルトに手をかけた。
     わざとにベルトが外せないフリをしたら、橋本は「不器用だなぁ」とあたしの予想通りに笑った。
     その股間が膨張していることぐらいはとっくに気づいていたけれど、あえて何も言わずにさっさとジーンズを下ろした。
     勃起したもの形がくっきりと浮かび上がったボクサーパンツがあらわになる。

    2005-05-27 13:03:00
  • 40:

    「もう硬くなっちゃったの?」と意地悪っぽく問いかけると、彼は「ユウナの顔がいやらしいからさぁ」と欠けた前歯を見せて笑った。
     九州に住んでいるという橋本の家族は、彼が単身赴任先で風俗へ通っていることなど知らないだろう。
     毎週のように風俗嬢相手にちゃちな自慢話をし、ペニスを勃起させているだなんて。
     専業主婦だという彼の妻も、私立幼稚園に入ったばかりという彼の息子も、きっと彼のこのだらしない下卑た笑いを知らないんだ。
     あたしは少しだけ哀れな気分になりながら、パンツの中から彼のものを引っ張り出し、そのままゆっくりと口に含んだ。

    2005-05-27 13:04:00
  • 41:

     即尺、と呼ばれるサービス。
     シャワーを浴びる前の洗っていないペニスをフェラチオすることをこう呼ぶ。
     臭くて汚い分身を咥えさせて快感とともに優越感に浸る心情はいまいち理解できないけれど、これを喜ぶ客は実際に多く、橋本もその一人だった。
    「このお店は何度も来ていたけど、即尺はユウナが初めてだったんだよなぁ。相変わらず上手いなぁ」
     唾液とカウパー氏液でぬるぬるになったそれとあたしの顔を見下ろしながら、橋本が呟く。
     生理的な嫌悪感と、少しでも雑菌から身を守るためにあたしはフェラチオの最中はできる限り唾液を飲み込まないようにしている。
     溢れ出た唾液が幹を伝ってまだ完全に脱いでいない彼のパンツを濡らしていた。

    2005-05-27 13:05:00
  • 42:

     しばらく、あたしの唇と彼の男性器の間から漏れる、湿った音だけが部屋に響いていた。
     じゅうぶんに唇と舌で愛撫して、自分の口から彼を解放する。
     時計は五時を少し過ぎていた。
    「シャワー、行こうか」
     橋本の手を取り、立ち上がった。
     二人で入ると窮屈なシャワーブース。
    「熱くない? これくらいでいい?」とシャワーの湯加減を尋ねた。
     自分で先に確かめてあるのだから、湯が熱くないことぐらい知っている。
     貴方のことを気遣ってるんですよ、というリップサービス。
     首を傾げ、媚びた笑顔。

    2005-05-27 13:06:00
  • 43:

     何も知らない橋本が「ユウナはいつも優しいなぁ」と満足げに微笑む。
     彼は何も知らない。
     即尺のサービスもシャワーの湯加減を尋ねることも、一連の流れ作業の一つにすぎないということを。
     些細な褒め言葉や気遣いの言葉すらほとんどが使い古しの決まりきった台詞で、不特定多数の男に対してまるであたしはプログラムされた機械のようにそれを発音しているだけだということを。
     手に取るボディーソープの量も、相手の体を洗っていく順序も、バスタオルで濡れた体を拭いていくその動作も、そして多分そのときの従順な表情さえも、すべてはあたしの中にしっかりと叩き込まれていることで、誰を相手にしてもきっと何一つ変わらないということを。
     いつも通りの笑顔とサービス。

    2005-05-27 13:06:00
  • 44:

     ベッドの上であたしは今日も純情で敏感で献身的な女を演じる。
     橋本はあたしの体に覆いかぶさり、ゴツゴツした手でしつこく稚拙な愛撫を繰り返す。
     前もって潤滑ゼリーが塗られていることなど気付きもせず、膣をいじりながら「もうこんなに濡れたのか」と自信に満ちた顔で聞いてきたので、恥らう素振りを見せながら小さくうなずく。
     彼の指と舌の動きに合わせて強弱を付けて嬌声をあげる。
     初めは押し殺すように、そして徐々に激しく。
     息を乱し指先を強張らせて体の下のタオルをつかみ、仰け反る。
     首を何度も大きく振り、ついでに時計を盗み見た。
     五時二十分。

    2005-05-27 13:07:00
  • 45:

     誰に教わったわけでもないけれど、あたしの「感じている」演技はかなり上手い、と思う。
     性欲に支配されている真っ最中の男なんかには、これが全部嘘だなんて絶対に見破られないだろう。
     自分の体に触れてくる男の指や舌の動きに合わせ、どんな反応をすれば相手が悦ぶかは直感でわかる。
     十五歳で初めてSEXしたときからそうだった。
     隙のない演技で相手の「自分がこんなにも気持ちよくさせてやった」という自尊心を引き出し、乱れた姿を見せて興奮を煽る。
     そうして相手を悦ばせられたら、きっとあたしは彼から愛してもらえるから。

    2005-05-27 13:08:00
  • 46:

     華のない野暮ったい顔、口下手で消極的な性格。魅力のない顔、魅力のない外見、魅力のない性格、魅力のないあたし。
     それでも、愛されたかった。
     お前だけが好きだと言われたかった。
     必要とされたかった。
     だからいつもいつも、自分を抱く男には愛されるため全力の演技で媚びてきた。
     一度だって心から本気で感じたことも喘いだこともなかったけど、それでもSEXと引き換えに手に入る安心感――自分が選ばれて求められている実感はたしかな快感なのだった。
     相手が「お客」以外なら。

    2005-05-27 13:09:00
  • 47:

     あたしは喘ぎ声を一際大きくし、タオルをつかんでいた右手を男の肩に移した。
     彼がこちらを見る気配を感じたのであたしも目を合わせ、顔を歪め不規則な呼吸のまま小さく首を振る。
     きっと泣きそうな顔、にでも見えるだろう。
     相手に聞こえるぎりぎりにかすれさせた声で「もうダメ、いっちゃう」とだけ囁き、腰を浮かせ、叫ぶように喘ぎながら太ももから膝にかけて思いっきり力を入れて下半身全体を痙攣させる。
     何度も何度も小刻みに膣をきつく締め上げ、仕上げにびくん、と一度だけ大きく体を跳ね上げた。
     すべては演技。
     だからこそ、最後まで気を抜いてはいけない。

    2005-05-27 13:10:00
  • 48:

     しばらくぐったりと四肢を投げ出して目を閉じたまま、肩で息をする。
     そこを見られているかはわからないけれど、膣の入り口はまだ少しだけひくひくと動かす。
     予め塗ったゼリーは、力任せに出入りする指との摩擦でもうすっかり乾いていた。
     粘膜が擦られた熱い痛みをかすかに感じる。
    「もういっちゃったのか。そんなに気持ちよかったんだ」
     自信に満ちた表情。
     下品な質問に、あたしは咄嗟に目を逸らした。
     枕元のティッシュを取り、たった今まで自分の中をかき乱していた指を拭ってやりながらただ一言、うん、とだけ答える。

    2005-05-27 13:11:00
  • 49:

     あたしは嘘つきだ。
     気持ちよくなんかない。
     気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪いきもちわるいきもちわるい。
     図々しい態度も脂ぎった顔も臭い息も痛いだけのしつこく下手くそな愛撫も全部気持ち悪い。
     でも、お金のために、あたしは嘘をつく。
     吐き気がした。
     誰かに懺悔したい気分でいっぱいになった。
    「ユウナの体は本当に敏感だよな。可愛いやつだなぁ」
     突然抱きよせられ、あたしの唇をこじ開けて生暖かい舌が進入してくる。

    2005-05-27 13:12:00
  • 50:

     抱擁、キス、「可愛い」の褒め言葉。
     どうしてこんなに鳥肌が立つんだろう。
     みんなあたしが欲していたもののはずなのに。
     そっと橋本の腕をほどいて仰向けに寝かせ、今度はあたしが上になった。
     唇から耳、首筋、鎖骨、乳首と舌を這わせる。
     口の中に溜まっていた互いのものが混ざり合った唾液が不快だったので、首筋を舐めながらそっと吐き出した。
     乳首の次は太ももの内側。
     そして足の指は一本一本丁寧に。
     男の右足の小指を咥えながら時計を確認した。

    2005-05-27 13:13:00
  • 51:

     五時二十五分になっていた。
     六十分コースで、四時四十五分が案内時刻。
     最後の十分間はシャワーと着替えに使うから、プレイの残り時間はあと約十分間だ。
     勃起していたペニスをそっと両手で包み込んで、そっと亀頭を舐める。
     肉の塊は、それに応えるようにしてあたしの手の中でぴくん、と震えた。
     そのまま奥まで咥えしばらくフェラチオし、それからペニスをしごきながら玉袋や蟻の門渡り、肛門と隅々まで舐めた。

    2005-05-27 13:13:00
  • 52:

     途中で手と口の中が渇いてきたのでローションを垂らすと、途端に滑りがよくなった。
     ローションは口の中に入っても無害だと言うけれど、ローションまみれのフェラチオはしたくないというのが本音だ。
     このヌルヌルした感触はいつまでたっても好きになれそうもない。
     あちこちをたっぷりと舐めたり触ったりしてから、あたしはさらに股間にローションを垂らして橋本の上に馬乗りになり素股を始める。
     ヘルスでは本番行為ができないから、その代わりの疑似SEXだ。
     決して膣には挿入せず、大陰唇や太もも、尻の肉などで上手にペニスを包み、上から手を添えて固定しながら腰を動かす。

    2005-05-27 13:14:00
  • 53:

     これまで足の開き方や手の添え方など少しずつ変えて色々な方法を試してきたけれど、騎乗位の体勢で背中を反らせて片手を後ろ側につき、尻の割れ目に挟むようにして上下に動かすのが客にとっては一番気持ちいいらしい。
    「ああ、入ってるみたいだ。ユウナも気持ちいい?」
     本当は尻の肉がこすれているだけでちっとも気持ちよくなどないが、適当にうなずいておいた。
     素股は見た目以上にハードな運動なので、体力のないあたしの息が乱れてきているのを見て、彼は何か勘違いしているのかもしれない。
     指の次は自分のペニスであたしのことを悦ばせてやった、とでも思うんだろうか。

    2005-05-27 13:15:00
  • 54:

    「ユウナ、いきそうだ。あっ、いくよ、いくよっ」
     力任せに頭を押さえつける両手と、口の中でびくびくと震える異物と、喉の奥まで撒き散らされる生臭さと苦みに耐えながら、あたしは真宮を思い出す。
     どんなことをされていても、真宮のことを考えているうちはいつも少しだけ苦痛も悲しみも和らぐような気がした。

    2005-05-27 13:17:00
  • 55:

     その日は橋本の他に本指名二本、写真指名三本、フリー一本についた。
     ただでさえ閉店間際に入ったラストの客が延長したので、店の女の子の中であたしが一番最後に帰ることになった。
     有線の消えた店内でギャラを受け取りながら、接客中は切っていた携帯電話の電源を入れてメールをチェックする。
     手元の出勤表に目を落としたまま、店長が言う。
    「ユウナちゃんは……っと、明日はお休みだな。また明後日よろしくね」
    「あれ? あたし、明日休みなんですか? 出勤だと勘違いしてた」
     店長が「出勤したいならしてもいいぞ」と笑ったので、あたしは慌てて首を振った。

    2005-05-27 13:18:00
  • 56:

    「ユウナちゃんはサービスいいから、お客さんの評判もよくって助かるよ。常連のお客さんにも安心して薦められるからな。本当に、体が空いたらいつでも出勤していいぞ、頼りにしてるんだからさ」
    「明日は休みますー。あたし、ちゃんと定期的に休み取らないとがんばれないタイプなんですよ」
     女の子の中には、借金の返済に追われていたりして一日でも多くシフトに入って休まず働きたいという子もいる。
     月末が近くなると店で寝泊りし、朝から閉店までずっと働きずめの子もいる。
     そんな子が少なくない中で、あたしのように「稼ぐこと」への執着が薄い人間は珍しい方だ、と自分でも思っている。

    2005-05-27 13:19:00
  • 57:

     この「ピンキードール」に入店して三ヶ月、あたしは今のところ一週間のうち最低でも五日は働いているが、1LDKのアパートの家賃や一か月分の生活費は一週間も働けば簡単に手に入った。
     田舎町から出てきたばかりの頃に抱えていた借金もすぐになくなった。
     雑誌に載っていた新作のバッグを買ってみたり、ふらりと立ち寄ったショップで店員に勧められるがままに洋服を買ってみたり、お洒落な美容室に行ってみたりしても、次の日にはお金は財布へ充填されて決して足りなくなることはなかった。

    2005-05-27 13:20:00
  • 58:

     そして残念なことに、貯金が増えることに対して、あたしは何の喜びも見出せないのだ。
     お金なんか最低限あればいい。
     家賃や光熱費が払えて、食べる物に困らなければそれでじゅうぶんだ。
     ――それじゃあ、あたしはどうして風俗嬢でいるのだろう?

    2005-05-27 13:21:00
  • 59:

    「お疲れ様でしたー」
     携帯電話を片手に、店を出て階段を降りる。
     新着メールが二件あった。
    『ユウナ、今日もよかったよ! それにしても、いつも時間が経つのがあっという間だと思わない? 今度は外で会おう! そうすればお互いに時間を気にしないで楽しめるからね。 いい返事、期待してるよ』
     橋本からのメールは、一読してためらわずに削除した。
     前もってメールも電話も苦手なの、と伝えてあるから、返事をしなくても多分何とかなるだろう。
     店外デートの誘いにはうんざりしている。
     どうせ彼も、外でなら金を払わずにタダでやれる、とか思っているに違いない。

    2005-05-27 13:22:00
  • 60:

     湧き上がってくるどす黒い感情に気付き、同時に自分が恥ずかしく、悲しくなった。
     彼は、あたしに会いたいと思ってくれている。
     これまで何度も、この街に何百人といるであろう風俗嬢の中からあたしを選んで金を払ってくれた。
     そして、もっと長い時間を一緒に過ごしたいと言ってくれる。
     このあたしの体を求めてくれる。
     その彼を嫌がる資格なんて、あたしにあるのだろうか。
     ずっと、誰かに愛されたいと願ってきたくせに。
     褒められ、認められ、必要とされたかったくせに。
     どうして彼では、「お客」ではだめなんだろう。

    2005-05-27 13:23:00
  • 61:

     二件目のメールを見た。
     翔からだった。
    『そろそろ仕事終わったかなー? 俺はキャッチ中、今日もがんばるぜぃ! 昨日と同じところに立ってるから、よかったら顔見せてねー』
     やっぱり翔からのメールは絵文字だらけだ。
     最後にハートマークが付いているのは、彼の癖なのかもしれない。
     そうだ、昨日買わなかった乳液を今日こそ買わなくちゃ。
     あの交差点はどうせ通り道だから、翔に会って昨日のお礼を直接言おう。
     ぎらぎらとネオンの光る大通りを歩いた。

    2005-05-27 13:24:00
  • 62:

     翔に会ったら、まず何て声をかけようか。
     さっきまでの憂鬱な思いはどこかへ消えていた。
     交差点が近づいてきたけれど、それらしき人影は見つからない。
     黒いスーツの男は数人立っていたけれど、どれも彼ではなかった。
     似たような背格好の男がいたのでじっと見てみたのに、偶然こちらを振り向いたその顔はまったくの別人だった。
     翔はもう「Temptation」に戻ってしまったのかもしれない。

    2005-05-27 13:25:00
  • 63:

     がっかりしてそのまま横断歩道を渡り、深夜だというのに水商売風の女や酔っ払いの男たちで賑わっているコンビニで、乳液と脂取り紙、ついでに口臭予防のガムを手に取ってレジへ差し出した。
    「九百四十円になりまーす。千円お預かりしまーす」
     てきぱきと事務的に働く店員から釣銭を受け取っていると、横から一リットル紙パックのジュースが何本も入ったカゴが無造作に置かれた。
    「あれっ、ユウナちゃんだぁ」
     素っ頓狂な声。
     カゴが置かれた方を振り返ると、黒いスーツに身を包み、癖のない真っ直ぐな金髪を眼の辺りまで垂らしている男の子がいた。
     翔だった。

    2005-05-27 13:26:00
  • 64:

    「仕事終わったの? お疲れ様ー。俺のメール読んでくれた?」
     店員はまたてきぱきと翔の置いたカゴの中身を取り出し、バーコードを読み取り始める。
    「読んだよ、だから探したのに、外にいないんだもん」
     わざと、少しだけ責めるような言い方をしてみた。
     でも今日はもう会えないと思っていたのに、こんなところで偶然会えたことが何故か妙に嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。

    2005-05-27 13:27:00
  • 65:

    「ごめんね、買出しに来てたんだ。下っ端は大変なんだよー」
    「下っ端なの? ホストになってどれくらい?」
    「実はまだ十日目なんだ。ピチピチの新人だよ。だからこうしてパシリにさせられる……あっ、領収書下さい。名前はTemptationで」
     苦笑いしながら代金を払う翔の横顔を、改めてまじまじと見つめた。
     昨日は真宮に似ている目元ばかりが気になって気付かなかったけれど、翔の顔はとてもバランスよく整っていた。

    2005-05-27 13:28:00
  • 66:

     大きな目、濃くて長い睫毛、血管が透けて見えそうな白い肌。
     すっと通った鼻筋に、ふっくら厚めの唇、とがった顎。
     顔も体も線が細く、少し痩せすぎている気もするが、そこがまた陰のある雰囲気をかもし出していて魅力的だと思う。
     女の子のような顔。いや、女の子よりよほどきれいかもしれない。
     真宮もこんな中性的な顔立ちをしていたっけ。
     あたしは、彼らのようなきれいな顔の男の人が好きだ。
     今だってこうして翔の顔を見ているとそれだけで何だか幸せな気持ちになれる。

    2005-05-27 13:29:00
  • 67:

    「ありがとうございましたー」
     感情のこもっていない店員の声。
     翔がビニール袋に入れられたジュースを受け取って、二人で一緒にコンビニを出た。
    「ユウナちゃんはもう家に帰っちゃうの?」
    「うん、特に行くところもないから……」
    「そうなんだ。じゃあ、ここでもう少しだけ話そうよ」
     翔の言葉にあたしは嬉しくなった。
     もっと彼の顔を見ていたかったし、あどけなさの残る彼の声を聞いていたかった。

    2005-05-27 13:29:00
  • 68:

    「うん、いいよ。だけど買出しに来てるのに、早くTemptationに帰らなきゃいけないんじゃないの?」
    「うーん、店に怒られちゃうかな。でもせっかくユウナちゃんと会えたのに、もっと話したいなぁ」
     これはきっとリップサービスだ。
     ホストは、言葉で女を喜ばせるのが仕事なんだから、こんなセリフを真に受けちゃいけない。
     そう心の中で自分に警告しつつも、彼は新人だと言っていたから、何年も働いているプロのホストとは違ってまだリップサービスなんてできないかもしれない、これは全部本音で喋ってくれているのでは、と都合のいいことも考える。
     もしも本音なら、あたしもその好意に応えてあげたい。
     彼が喜ぶ応え方は明白だ。

    2005-05-27 13:30:00
  • 69:

    「それなら、あたしもこれから一緒にTemptationに行くよ。そうすればもっと話していられるでしょ?」
    「えっ、いいのっ?」
     あたしの提案に翔は目を輝かせ、とても嬉しそうな顔を見せてくれた。
     こちらの予想以上の眩しい笑顔、作りモノなんかじゃない、本当に心から喜んでいるとしか思えないその笑顔に、あたしの胸はみるみるうちに幸福感で満たされていく。
    「本当にいいの? うわ、マジ嬉しいよー、マジありがとー!」

    2005-05-27 13:31:00
  • 70:

     彼の笑顔の理由はあたしと話ができるからではなくて、自分の成績が上がるからだということくらいは薄々わかっていた。
     けれど、それでもよかった。
     たとえ金の為だとしてもいい。
    「ユウナちゃんありがとー! マジで俺嬉しいよー!」
     翔は今この街で、こんなにも、あたしが存在することを喜んでくれているのだから。

    2005-05-27 13:33:00
  • 71:

    「いらっしゃいませー!」
     今日もやはり「Temptation」の従業員たちの大声に出迎えられ、あたしはその大袈裟さに苦笑いしながら翔の後をついて店の中へと入った。
     隣に座った翔から二回目以降の来店では自分のボトルを入れるシステムだと教えられ、ひとまず昨日飲んでいたものと同じ眞露という一番安い焼酎を頼む。
     昨日とは別のホストが「いらっしゃいませ」と一言言いながら素早くボトルやグラス等を置いて去っていった。

    2005-05-27 13:34:00
  • 72:

    「このお店には、ホストは何人いるの?」
    「バイトの人も合わせたら十五人ぐらいかな。俺みたいに、営業日は毎日出勤してるレギュラーは九人なんだ。ほら、あの左端の席にいる、グレーのスーツ着てる人が代表だよ」
     酒を作る手を止め翔がマドラーでこっそりと指差した席では、ショッキングピンクのワンピースを着た小太りの女が隣に座るホストの肩にもたれかかりながら両手でマイクを握ってドリカムを歌っていた。
     テーブルの上はそれぞれ形の違う何本ものクリスタルのボトルやつまみの皿がびっしりと並んでいる。

    2005-05-27 13:35:00
  • 73:

    「代表はね、この店ができてからずっとナンバー1を維持してるんだって。すごいよねー。俺も代表みたいなカッコいいホストになりたいんだ」
     あまりじろじろと見ては失礼な気がしたので、向こうに気付かれないように横目で代表と呼ばれたホストを観察してみた。
     彫りの深い顔立ち、がっしりした体格に日焼けした肌。
     肩にかかるギリギリの長さの髪は茶色に染められ、ところどころにメッシュが入っている。
     いかにも「昔、遊んでいました」風の外見だ。

    2005-05-27 13:36:00
  • 74:

    「カッコいいかなぁ? あたしは翔のほうがカッコいいっていうか、きれいだと思うけど?」
    「えっ、マジで言ってくれてるの? そんなこと言われたことないから照れちゃうよー、でもすげー嬉しい!」
     満面の笑みのまま翔からグラスを手渡され、乾杯をした。
     それからしばらく昨日と同じようなたわいもない話をしながら、あたしは今日Temptationに来てよかった、と改めて思った。
     翔は瞳をきらきらと輝かせて、無垢な少年のような顔で「ありがとう」や「嬉しい」の言葉をいくつもあたしにくれる。

    2005-05-27 13:36:00
  • 75:

     ホストクラブというところは、キザな男たちに囲まれ、その場限りの上辺だけの愛を囁かれ、お姫様のようにちやほやされる、どこかインチキ臭いところを想像していた。
     けれど、このきれいなきれいな笑顔とまっすぐな感謝の言葉は、インチキ臭いどころか日頃あたしを取り巻く他の何よりも汚れなく純粋に思えたのだった。
    「そうだ、ユウナちゃんは今日はお仕事どうだったの?」
     翔がつまみのポッキーを二本取って一本を自分の口に運び、もう一本をあたしの口に入れてくれた。

    2005-05-27 13:37:00
  • 76:

    「ん、いつも通り、普通だったよ」
    「嫌なこととかされなかった?」
     あたしの顔を覗き込むようにして心配してくれた。
    「大丈夫。慣れてるもん」
     嫌なことなんか毎日されている。
     というか、毎日嫌なことしかされない。
     けれども、あたしは自分から風俗という仕事を選んだのだ。

    2005-05-27 13:38:00
  • 77:

     婚約者と別れるとき、彼は初めのうちこそ「金なんかいらない、お前と別れたくない」と言っていたけれど、最終的にはあたしの差し出す通帳を受け取った。
     彼は男としての見栄やプライドより、金を優先したのだった。
     その後あたしは勤めていた会社を退職し、スナックで働き始めた。
     実家に帰ったら? とか東京や大阪へ出たら? とアドバイスを受けたけれど、あたしは真宮の住んでいるその小さな町から離れたくなかった。
     その頃には、真宮に同じ職場で働く若く美人で有能な恋人がいるということは、あたしの耳にも届いていた。

    2005-05-27 13:39:00
  • 78:

     それでも、彼はたまに電話をくれて、ときどきは会ってくれたりもしたから、恋人がいるならなおのことあたしが離れるわけにはいかないと思った。
     離れてしまったら、きっと、真宮とあたしのこのささやかな関係は何もかも終わってしまう。
     もう二度と会えなくなる。
     彼が恋人や多くの友人遠に囲まれて充実した毎日を送り、そうして遠くのあたしのことをあっけなく忘れていってしまう、それはどうしても嫌だったから、意地でもあたしは田舎町へしがみつこうとした。

    2005-05-27 13:40:00
  • 79:

     ホステスとして見栄えがするように服や靴を買い揃えたら、会社を辞めたときの退職金はきれいになくなった。
     酒に酔っても帰りが辛くないように、とスナックのママに店の近くのアパートを紹介してもらったので、敷金やら何やらの費用を会社員時代に作ったカードのキャッシングで用意して支払って引っ越した。
     返せない額ではないと思った。
     半年ほどかけてホステスの給料からゆっくり返済していくつもりだった。
     けれど、話下手で人見知りで器量もよくないあたしにホステスなど勤まるはずもない。
     結局、たったの二ヶ月であたしは逃げるように店を辞めてしまった。

    2005-05-27 13:41:00
  • 80:

     ママから紹介されたアパートに住み続けるわけにもいかなくて、また引っ越さなければならなくなった。
     寿退社するはずが直前で破談になり、そのままOLを辞めて水商売を始め、二ヶ月で店を逃げ出した女。
     毎日平和で退屈で、話題に飢えている田舎町の人々の間で噂が広まるのはあっという間だ。
     もう、真宮が住む町に、あたしの居場所はなかった。
     負け組のあたしに残されていたのは、連日のストレスによる過食と買い物のために最初よりもさらに膨らんだ借金だけ。
     失うモノは何もないって、こういう状況をいうんだろうか、とぼんやり思いながらATMへ行き、引っ越し費用を作るため限度枠ギリギリまで最後のキャッシングをした。

    2005-05-27 13:42:00
  • 81:

     賃貸情報誌を買い、大きく広告を載せていた東京の不動産屋へ電話をかけて保証人も敷金もいらない物件を紹介してもらい、そのまま入居を申し込んだ。
     ついでに引っ越し業者にも電話をかけた。
     真宮にも電話をかけた。
    「そうか、うん、清美はそうした方がいいと思う」
    「寂しいから行くなよ、とか言ってよ、そんなにあっさりされたら悲しいじゃない」

    2005-05-27 13:43:00
  • 82:

     冗談めかして言うと、真宮は落ち着いた声でゆっくり、はっきりとそれに答えた。
    「寂しいよ。でもね、俺は、清美に幸せになってもらいたい。清美は、俺の大事な大事な妹だから」
     たくさんの思いが溢れて涙声になりそうなのを必死に隠し、あたしは精一杯明るく聞いた。
    「妹なら、また会えるよね?」
    「会えるよ。だから、東京行ってもがんばるんだよ」
     それが、最後の真宮との会話だった。

    2005-05-27 13:43:00
  • 83:

    「ユウナちゃんってさ、辛いこととかあってもあまり口にしないで自分の中で片付けちゃうタイプじゃない?」
     ポッキーを食べる手を休め、翔はじっとあたしの目を見つめてくる。
    「どうして?」
    「俺、ホストになって、風俗で働いてる女の人もたくさん接客したけど、みんなすごくストレスを溜めてる人ばかりなんだ。その人によって度合いは違うけど、こっちから聞かなくても、みんな俺たちに仕事の愚痴とか不満とかぶつけてくるのが普通だよ。そりゃ、俺とユウナちゃんはまだ会うの二回目だから、気を使ってくれてるのかも知れないけどさー」

    2005-05-27 13:45:00
  • 84:

    「だって、それは」
     言っても仕方のないことだから、と言おうとしたけれど、それでは何だかあまりにも翔のことを冷たく突き放すようだったのであたしは続きを飲み込んだ。
     楽して稼げる――そんな仕事があるわけがない。
     働いてお金を得るためには、ある程度の嫌なこと、憂鬱なことに耐えるのは当然だと思う。
     そんなつまらないことでむやみに関係のない翔に愚痴を言ってせっかくの楽しく幸せなムードを壊したくない。
    「ユウナちゃんはしっかりしてるんだね。偉いね」
     あたしが黙っていると、ぽんぽん、と翔が頭を軽く撫でてくれた。

    2005-05-27 13:46:00
  • 85:

     彼は、もしあたしが愚痴を言っても嫌がらずに聞いてくれるのだろう。
     辛い、苦しいと泣き言を言っても、それを受け止めてくれるのだろう。
     ここにはあたしの居場所があるのだ、と気付いて思わず涙が出そうになる。
     翔に気付かれないように手元のグラスへ視線を落とし、強くまばたきをした。
     その日から、毎日のようにあたしはTemptationへ通った。
     翔から誘われる日もあれば、あたしから行く日もあった。
     話題はやっぱりゲームのことだったりドラマのことだったり、ごく普通のことばかりだったけれど、何度も会ううちに話の幅も広がってきた。

    2005-05-27 13:47:00
  • 86:

     いつも翔の顔はどこまでもきれいで、見ているだけであたしは幸せになってしまい、酒が回るにつれ何度も「カッコいいね」「きれいだね」と言っては彼に照れくさそうな顔をされた。
     眞露を飲むのに飽きたら、たまにシャンパンを頼んだりもした。
     そのたびに「すげー嬉しいよー、マジありがとー!」とその整った顔で眩しい笑顔を見せてくれる翔に、あたしは徐々に好意を持っていった。
     真宮に対するような激しく切実な感情ではなかったけれど、ふんわりと淡く温かい思いがあたしの胸を占めるようになっていた。

    2005-05-27 13:48:00
  • 87:

     翔と出会って二ヶ月が経ったある日、「ピンキードール」へ出勤すると店長が苦笑いを浮かべて小声であたしに囁いてきた。
    「待合室、見てみろよ」
     言われた通りにマジックミラーをのぞくと、軽く見積もっても百キロはありそうな太った男が大きなバラの花束をかかえて座っていた。
     ここ一ヶ月、週に一回、多いときは二回通ってきている客だ。
    「あんなデカい花束なんか持ってきてどうしたんだろうな? ユウナちゃん、誕生日だっけ?」
     あたしは首を横に振って、私物カゴを脇に抱えて個室に向かい、手早く部屋をセットした。

    2005-05-27 13:49:00
  • 88:

     カーテンの裏に立ち、店長に目で合図する。
    「お待たせしましたー! ご案内です、ユウナちゃんでーす!」
     のそり、と重たそうな体を持ち上げて、客が目の前に現れた。
     咄嗟に顔には満面の愛想笑いが浮かび、口からは心でこれっぽっちも思ってもいないような女らしく可愛げのある言葉がするすると出てくる。
    「マーくん、来てくれるの待ってたんだよー。今週会えないのかと思っちゃった」
     公務員だと言っていた、三十九歳の独身男。
     マサノブと言う名前らしいのだが、自分から「マーくんって呼んでね」と言ってきたので仕方なくそう呼んでいる。

    2005-05-27 13:49:00
  • 89:

    「寂しい思いさせてごめんなー、ちょっと仕事が忙しかったんだよ。でもユウナちゃんに会うために、今日は仕事途中で切り上げてきたんだ。ほら、これプレゼントだよ」
     ベッドに腰掛けてその巨大な花束を渡された。
     花の値段はわからないけれど、これだけの大きさの花束なら一万円近くはしたはずだ。
    「ありがとう、でもこんなのもらっちゃっていいの?」
     気を使う素振りをすると、男は脂肪だらけの見苦しい顔をにやりと歪め、歯垢のこびりついたままの歯を見せてきた。
    「今日はね、二人の記念日にするつもりだから」

    2005-05-27 13:50:00
  • 90:

    「記念日?」
    「そうだよ。ねぇユウナちゃん、俺達今日で出会って丸一ヶ月がたったじゃない? だから、そろそろ男と女として、ちゃんとお付き合いしようよ」
     マサノブがその巨大なハムのような汗ばんだ腕をあたしの肩にまわし、強引に自分の方へと引き寄せた。
     酸っぱい臭いが鼻をつく。
     瞬間、強烈な嫌悪感が胸に湧き上がり、心臓は急にどくんどくんと嫌な動悸を始める。

    2005-05-27 13:51:00
  • 91:

     男と女として? お付き合い?
     はぁ? 何言ってるの? と笑い飛ばすわけにはいかない。
     この男はあたしの時間を買った客だ。
     不愉快にはさせられない。
    「なぁに、今日はどうしたの? マーくん酔っ払ってるのー? 酔ってるときは熱いシャワー浴びなきゃねー」
     あたしは何とか話をそらさなければ、と焦りながら、目を合わさないようにしてマサノブのぐっしょりと湿ったYシャツのボタンを外そうとした。

    2005-05-27 13:52:00
  • 92:

    「ユウナちゃん、真面目な話だよ? ちゃんと聞いてよ」
     彼はあたしの腕を押さえ、生臭い息を吐きながらまくし立て始めた。
    「ねぇ、俺は初めて会ったときから、運命を感じてたんだ。こんないつも笑顔で心が優しくて素敵な女の子は他にいないってね。俺、風俗嬢としてじゃなくて、一人の女の子としてユウナちゃんを愛してるんだ」

    2005-05-27 13:53:00
  • 93:

     ベタベタした掌。
     汚れがびっしりと詰まった黒い爪先。
     ガサガサした唇。
     生臭い息。
     脂と汗でぎらぎらと光る顔。
     いつも笑顔で優しいのは、お前が金を払った客だからだよ。
     一人の女の子としてって何だ? 風俗嬢としてサービス中のあたししか見てないくせに、何わかったようなこと言ってるんだよ。
     次から次へと罵詈雑言が浮かんできて、あたしはそれらを飲み込むのに必死だった。

    2005-05-27 13:54:00
  • 94:

    「俺達、相性ぴったりだと思うんだ。だから、ねぇ、今日こそは最後までしようよ。俺、ユウナちゃんと一つになりたい。ね、いいでしょ?」
     あたしの手首をつかんだまま、彼は全体重をかけてあたしの上にのしかかってくる。
     男にパンツを脱がされた。
     彼は続いてごそごそと自分のズボンとパンツも脱いで、勃起したもの引っ張り出している。
     胸が、お腹が圧迫されて苦しい。
     変な角度で押さえられたままの右手首の関節が悲鳴をあげる。
     太ももの付け根に硬いものが押し付けられる感触。
     ああ、これはもう本番強要で部屋から叩き出しても許されるレベルだな、と冷静に思った。

    2005-05-27 13:55:00
  • 95:

     ヘルスではSEXはできない。
     挿入を強要した時点で、ルール違反者としてサービスは中断、客はポラロイド写真を撮られ、場合によっては罰金を支払わされた後その店へは今後一切入店禁止になる。
     このデブを振り払って、フロントにコールしちゃおうかな、と考える。
    「好きなんだ。好きだから最後までしたいんだ。ユウナちゃんのこと、もっともっと可愛がって気持ちよくさせてあげたいんだ」
     気持ちよくねぇよ。
     デブの額に浮かんだ汗がぽたり、とあたしの頬に落ちてきて鳥肌が立った。

    2005-05-27 13:56:00
  • 96:

    「ねぇ、いいでしょ? 俺たち付き合おうよ。付き合ってる男と女がSEXするのは自然なことだよ?」
     もううんざりだった。
    「マーくん、それ以上言うなら、あたしフロントにコールしなきゃならないよ」
     感情を込めずに言うと、男はあたしの手首をつかむ力を緩めた。
     そのぶよぶよした巨大な体を押しのけて起き上がる。
    「ユウナちゃん、嫌だった? ごめんね……」
     表情のないあたしの顔を見て、彼なりに何かに気付いたらしく、急にしゅんとして言い訳を始めた。

    2005-05-27 13:56:00
  • 97:

    「俺、ユウナちゃんが本当に好きなんだよ。だからつい……ごめんね。そうだよね、いきなりじゃ怖いよね。でも、俺は真剣にユウナちゃんと付き合いたいと思ってるんだ。返事は今すぐじゃなくてもいいよ。次に俺が会いに来るまでに考えておいて」
     大の男が一方的に愛だか性欲だかわからないような感情を押し付けてくる、その姿は滑稽で情けなく、あたしは心底呆れてしまいもはやフロントを呼ぶ気もおきなかった。
     プレイ時間が余っていたので、それからあたしはいつも通りただ機械のように男の体を洗い、あちこちを触ったり舐めたりこすったりしてデブを射精させた。
     好きだ、愛している、と繰り返していたわりには、プレイの間中ここを舐めて、あそこも触って、もっと激しく、今度はこっちを、もっと奥まで、口を休めないで、最後は飲んでよ、といちいち細かい注文をつける男だった。

    2005-05-27 13:57:00
  • 98:

    「さっきの話、真面目に考えておいてよ?」
     シャワーでローションや色々な体液を洗い流していると、マサノブは懲りずに唾を飛ばしながら話しかけてきた。
    「俺、ユウナちゃんにはこんな仕事早く辞めてほしいんだ。風俗なんかで働いていたことは忘れて、俺と幸せになってほしい」
     ――こんな仕事? 風俗なんか?
     その「風俗なんか」に来て金を払い射精しているのはどこのどいつだ。
     あたしが自分から選んだ仕事なのに、それをこの男は忘れろと言うのか。
     この世界のことは何も経験せず、何も得なかったかのように?

    2005-05-27 13:58:00
  • 99:

     馬鹿にするにもほどがある。
     あたしの人生の一部を、この男は丸ごと全部否定するつもりなんだ。
    「あたし、忘れるつもり、ないから」
     イライラするのを抑えてできるだけ冷静に言うと、デブは懲りずにまた反論してくる。
    「辛い仕事だからすぐには忘れられないかもしれないけれど、でも俺が忘れさせてあげたいんだよ」
     もう、何も話したくなくなった。
     帰り際、その背中に向かって、二度と来なくていいよ、と小声で囁いた。
     男が帰った後、あたしは店長に「本番強要されたので」と彼をNG指定にした。
     指名客が一人減ったが、これでもう二度とあのあつかましいセリフの数々を聞かなくてすむ。

    2005-05-27 13:59:00
  • 100:

     ベッドの上に広げられたタオルの上に、ミサトがお菓子の箱を並べた。
    「新製品出てたから買っちゃったんだよねー。一人で全部食べたら体重ヤバイからさ、一緒に食べようよ」
     ミサトがワインレッドのマニキュアを塗った指でバリバリと箱を開け、チョコレートを一つ取り出して口へ放り込んだ。
     あたしも一つつまんだ。

    2005-05-27 14:01:00
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