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子宮筋腫と私

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  • 1:

    わたしは20代後半のキャバ嬢です。もう子宮筋腫と6年もお付き合いしています。最初から今までを書きます。同じ病気で苦しんでる人や全く知らない人もみんな読んでくれたら嬉しいです。

    2005-05-27 10:28:00
  • 61:

    「世の中子供がいなくても仲良くやってる夫婦なんてたくさんいるやんか!子供が欲しくて結婚するんじゃないやん!俺はそんなんじゃ諦めないよ。だから付き合ってほしい」とひろくんにいわれました。
    しばらく考えさせてほしいと言い何週間か真剣に考えました。でもひろくんはしっかりしていて頼れるタイプでこの人にだったら付いていってもいいなあと思いました。

    2005-05-27 11:25:00
  • 62:

    私はひろくんを受け入れることにしました。
    書くの忘れてたけど、たかしくんは鹿児島から博多に上京する際、お金がないからと言って携帯を解約してしまい、それから連絡がとれなくなりました。命の恩人のたかしくんは元気かな…
    ひろくんとの交際も順調で、仕事も順調でやっと私も人並みに幸せな生活が送れるなあと思っていたある日、自分の体の異変に気付きました。

    2005-05-27 11:26:00
  • 63:

    キャバクラのトイレで自分のお腹を見た時、下腹に硬いものがあるのに気付きました。生理は何も異常なかったけど、また再発してるかもしれないと思い、次の日近くの病院で診てもらいました。病院でエコーと内診(先生が指で中を診ること)をしてもらい、先生は言いました。

    2005-05-27 11:27:00
  • 64:

    「野球のボールくらいの筋腫がありますね、生理には異常がないようだからいますぐ手術とはいかないでしょうけど、あなたの場合少しひどいみたいですから、腕のいい先生を紹介しましょう」
    先生は紹介状を書いてくれました。私は昔のあのしんどかった時を思い出しました。入院した人はわかるだろうけど、入院は本当にイヤです。

    2005-05-27 11:28:00
  • 65:

    なぜ筋腫が出来ると生理が増えるのか、それは筋腫が出来ることによって子宮内部が伸び、生理は内部にはりついているものが出てくるから量が増えたり血の塊が出たりするんですね。また、筋腫とよく似てる「肉腫」というものもあって、これはエコーなどではわからないため、手術で摘出したものを病理で検査して筋腫か肉腫か調べます。筋腫は良性の腫瘍ですが、肉腫は悪性の腫瘍なんで、早期発見が大事です。

    2005-05-27 11:28:00
  • 66:

    「今は生理に異常がないみたいだから定期的に検診を受けに来て。生理に異常があったら必ず来ること。わかった?」と先生は言いながらカルテを書いていました。
    私はひろくんに報告しました。

    2005-05-27 11:30:00
  • 67:

    ひろくんは「早く一緒になれるように俺も自営業が安定するように頑張るよ」と言ってくれました。
    それから数ヶ月、生理の量が増え、日数も長引くようになり、慌てて病院に行きました。
    先生は「まだそんなにひどくなっていないからまたひどくなってから来て」というだけで、だんだん貧血はひどくなるし、営業中も落ち着いて接客出来ないくらい生理が増えてきました。10分も座ってられなくなりました。

    2005-05-27 11:31:00
  • 68:

    仕事が出来ないから辞めようと思っていたある日、お風呂場で倒れてしまいました。
    意識がモウロウとするなか、なんとか携帯を手に取り、119をまわし「すいません救急車をお願いします」、『どうしました?』、「子宮筋腫で貧血で入浴中倒れてしまって…意識がとびそうです…」、『わかりました。すぐ向かいますから住所をお願いします!』
    電話を終え、ふらふらしながらも気力で着替え、髪の毛は濡れたまま、保険証と財布と携帯を手に取りマンションの下まで降りていきました。

    2005-05-27 11:32:00
  • 69:

    部屋を出るとき見たら、ベットの上もお風呂場も血の海でした。掃除したいけどいまはそれどころではありません。
    救急車を待つ間、母に電話し「いまから救急車で病院行くからまた連絡する」とだけ言いました。
    救急車が到着するまで、マンションの門で待っていると、犬を散歩していた近所のおばちゃんが「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と私に声をかけてきました。
    「いま…救急車を…よんでるんで大丈夫です。ありがとうございます…」と言うとおばちゃんは一緒に救急車が来るまでそばにいてくれて、私の意識が飛ばないように声をかけてくれました。

    2005-05-27 11:33:00
  • 70:

    ようやく救急車が到着し、救急隊員が降りてきて「どうしました?」と尋ねます。「子宮筋腫の貧血で…意識が飛びそうなんで、掛かり付けの…病院までお願いします」と言うと、救急隊員は無線で搬送先に連絡を取り、私を救急車に乗せてくれました。おばちゃんは心配そうに見送ってくれました。

    2005-05-27 11:34:00
  • 71:

    救急車の中で、救急隊員が「血圧をはかりますね」と私の腕で測ろうとしました。しかし機械は『ピー…測定不能…』と出ました。「貧血がひどすぎて測れません!」と救急隊員が少し慌てます。
    「うぅ…吐きそう…」
    車の揺れで気持ち悪くなりました。「すぐ着きますから頑張って下さい!」と救急隊員が声をかけてくれました。

    2005-05-27 11:35:00
  • 72:

    産婦人科の診察室に運ばれ、担当の医師が待っていました。先生は私を見るなり「入院ですけどいいですね」と言い、診察してくれました。
    「ご家族に2週間ほど入院すると連絡しなさい」と先生に言われ、診察室から母に連絡をいれました。
    「お母さん、いま病院やけど、2週間くらい入院って言われた」と言うと、「今すぐ行くわ!病院の場所と部屋番号を教えて」と母は答え、看護婦さんに場所の説明をしてもらいました。

    2005-05-27 11:37:00
  • 73:

    病室に運ばれる時、看護婦さんが「二人部屋と大部屋がありますけど、どちらがいいですか?」とききます。
    しばらく考えてから「二人部屋でお願いします」と答えました。大部屋だと最初は落ち着かないと思ったからです。
    二人部屋に着くと、看護婦さんが車いすから私を移してくれて、「いま先生が来ますからね!」と言い去って行きました。私は病院に着いたことで少し安心していました。

    2005-05-27 11:37:00
  • 74:

    女医さんが部屋に入って来ました。「はじめまして。あなたの副担当の医師です。いまから採血しますね」と優しく微笑み女医さんは採血をするため私の足の付け根に太い注射針を刺しました。
    「貧血がひどいから腕からは無理でしょ?ここのふとももには大きな静脈が通ってるからここから採りますね…。静脈なんでちゃんと止血しないと血が出てくるんで痛いですけど我慢して下さいね」と女医さんは言いながら思いっ切り私のふとももを力ずくで押さえます。
    声にならないくらい痛かったけど、数分間止血されました。

    2005-05-27 11:38:00
  • 75:

    「いまから止血剤と点滴をしますからね」と女医さんは点滴をしはじめました。
    「あ、お店に電話しなきゃ。ひろくんにも」と思い、女医さんが去ってからお店に「入院したんで辞めます」と連絡し、ひろくんにも電話しました。

    2005-05-27 11:39:00
  • 76:

    ひろくんは『入院って大丈夫なんか?いま仕事がはなせなくて行けないけど頑張れ』とだけ言い電話を切りました。ひろくんの反応で不安になりました。
    数時間後、息を切らして母が病室に入って来ました。「途中で道に迷って遅くなってごめんね!」と母は言い、「お母さんごめん、何にも荷物用意してないからお金渡すから最低限のものを買ってきてほしい」とお金とメモ用紙を母に渡しました。

    2005-05-27 11:40:00
  • 77:

    母が買い物から帰ってきて、「あんたが入院するってきいて本当にびっくりしたわよ。明日も来るから今日は帰るわね。」と母は家に帰りました。止血剤をされても生理は止まりませんでした。夜中、吐き気で目が覚めて歩いてトイレに行きました。

    2005-05-27 11:41:00
  • 78:

    トイレから出てくるといきなりめまいに襲われました。トイレ前のソファになんとか座り、動けないし大声も出せないから誰かが通るのを待っていました。通りかかった患者さんがびっくりして「キャー!大丈夫ですか?今看護婦さんを呼びますからね」と走って呼びに行ってくれました。

    2005-05-27 11:42:00
  • 79:

    「それから貧血がひどいんで、このままでは輸血することになるんで、そろそろ止血剤の効果も出てきてこの2週間で徐々に貧血も回復してくると思いますが、回復がおくれたりしたら他に要因があると思われるんで内科にも回ってもらいますからね」と言われました。そのとき私はヘモグロビン値が5.5しかなくて5以下になると輸血を開始するそうです。頑張って貧血なおさなきゃまた他人の血液を輸血されるのは避けたいわと思いました。

    2005-05-27 11:44:00
  • 80:

    以前と同様、鉄剤をまいにち注射され、点滴も毎日、ご飯も残さず食べてるかどうか看護婦がチェックします。頑張って貧血治そうと努力した結果少しずつヘモグロビン値が通常値に近づいてきました。2週間のところが3週間かかり、無事貧血は回復しました。
    「手術二日前にまた入院ですから、それまでは家で療養していて下さい」と先生に言われ私は一旦退院しました。

    2005-05-27 11:44:00
  • 81:

    家についてすぐひろくんに電話しました。何度電話しても出てくれません。
    入院まで2週間もあって暇だし気晴らしに他のキャバクラへ体験入店に行くことにしました。久しぶりにメイクやセットをしドレスでお洒落して、お客さんとたわいもない話をしていると、自分がいま手術前であることや、ひろくんと連絡とれないことを忘れることが出来てよかったです。私は日払いでお給料をもらい、退院したら働くことを約束して送りで帰りました。

    2005-05-27 11:45:00
  • 82:

    そして再入院当日、ひろくんとは連絡とれないまま二日後には二度目の手術を迎えます。
    手術前日には絶飲絶食になりました。
    手術当日、麻酔室に行き腰椎麻酔をされ、しばらく病室で待機してから手術室に移されました。
    両親、兄弟みんな心配でかけつけてくれました。手術室に入ると名前を確認され、奥へと移動。看護婦さんが麻酔がきいているかチェックし効いてきたことを確認すると手術が始まりました。

    2005-05-27 11:46:00
  • 83:

    腰椎麻酔なので意識もあるし見えるからお腹のところにカーテンをひいてくれました。看護婦さんが「何か音楽ききますか?何かあったらいけないんでなるべく起きていて下さいね」とヘッドホンを私につけて音楽をかけてくれました。
    麻酔がきいているのかさほど痛みはなく、途中まではなんとか起きていられたけど最後の一時間は寝てしまいました。

    2005-05-27 11:47:00
  • 84:

    手術中寝てしまった私を看護婦さんが「終わりましたよ!」と起こしてくれました。女医さんが私に「これがあなたの子宮の中にあったのよ」と優しい口調でトレーを私に見せました。「こんなに大きかったんですか?あとの二つは小さいですね…」と私は筋腫を見ながらいいました。
    「ご両親が手術室の外で待ってるから行きましょうね」と看護婦さんが言いました。
    手術室を出ると父と母が「また長引いたな。病室で待ってたけど待てないから手術室まで来てたんや」と父が言います。
    「今回も見せてもらったけど大きかったわね」と母が言います。みんなで病室まで私の搬送ベットを押してくれました。

    2005-05-27 11:48:00
  • 85:

    病室に着くと、しばらくして父が
    「俺のせいなんかな…」と言いました。
    この言葉をきくのは久しぶりでした。父は筋腫もガンも遺伝が関係あると思っていて、父方の家系に筋腫やガンが多いことから父は自分を責めていました。俺のせいで娘が何度も手術するはめになっていると考えてるようでした。私はその言葉をきくのがイヤということもあって実家を出て一人暮らしをしていました。遺伝が関係しているかどうかは俗説にすぎないのに…

    2005-05-27 11:49:00
  • 86:

    なぜか今回は前回の手術と違ってあまり痛くありませんでした。二度目だからでしょうか…
    先生と女医さんが病室にやってきました。「手術は成功しましたよ。でも再発した期間が短かったので、もし子供を本当に産みたいのなら早く産んだほうがいいですよ。お父様もお母様もそのほうが安心ですよね」と女医さんは微笑みながら言いました。
    母は「先生ありがとうございました。この子には本当に早く結婚してほしいんですけど相手に恵まれないんです…」と答えました。

    2005-05-27 11:50:00
  • 87:

    私はひろくんを諦めかけていました。
    「先生、もう次ひどくなったら子宮をとってもらえますか?またこんなしんどい思いをするのイヤだし両親にも心配かけたくないんです」と言うと「それは前にも言いましたけど子宮は出来る限り残す方向で考えてますよ。今は相手がいてなくても将来好きな人が出来て結婚する日が来たときのことを考えて下さい」と先生に言われました。
    ということは今回も貯金減らしたからまた次回に向けて仕事、貯金しなきゃいけないのね…エンドレスだわ…と心の中で思いました。

    2005-05-27 11:51:00
  • 88:

    次の日、手術から落ち着いた私は、二人部屋から大部屋にうつしてもらいました。
    大部屋には子宮ガン、乳ガン、子宮筋腫の患者さんたちがいました。同じ部屋に私と同じくらいの若い子宮筋腫の患者さんもいました。彼女はまだ手術前で、毎日毎日両親がお見舞いにきていました。夕方になると彼女のところに若い男性がやってきました。

    2005-05-27 11:52:00
  • 89:

    彼女はいつもその男性と親しげにはなし、男性は面会時間が終わってもすぐには帰ろうとしませんでした。
    ある日、その彼女のところに友達が訪ねてきました。友達と話をしているとまた若い男性がやってきました。彼女は友達に
    「紹介するわ。彼氏よ」と言いました。

    2005-05-27 11:52:00
  • 90:

    私は同じ病室で惨めな思いをしていました。同じくらいの年齢で同じ病気で、彼女には毎日お見舞いに来てくれる彼氏がいるのに、私は彼氏とは連絡すらとれていない…。羨ましいなと思うと、寝るときに自然と涙が出て枕が濡れてしまいました。
    これでは駄目になってしまうから早く回復して退院してまた仕事バリバリしようと決意しました。

    2005-05-27 11:53:00
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