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〜KOKORO〜

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  • 1:

    名無しさん

    「お前って俺が浮気したら絶対やり返すってタイプやな。まあ俺は浮気なんかすることないけど。」嫌味っぽく、でもどこか悲しげに君が言った台詞をフッと思い出した。 気付けば別れて4年の月日がたっていた。

    2008-02-02 07:51:00
  • 74:

    名無しさん

    夏といえば花火。7月の終わりにひろくんカップルと花火にいく約束をした。ひろくんたちは会場まで近くだったので先についていた。私達は雅のママに会場まで送ってもらった。ひろくんたちと合流して、花火の時間になった。私達カップルのうしろにひろくんたちが座って見た。私達はずっと手を繋いでくっついて、咲いては散る花火を、ありきたりな「キレイ」という言葉を交わしながら見ていた。どこからみても幸せそうな2人。あのまま時間がとまればよかったのに。

    2008-02-08 03:57:00
  • 75:

    名無しさん

    この頃ちょうど離婚間近だった両親の正式な離婚が決まった。私の父はこどものまま歳だけとったような人で、自分の家庭を省みずパチンコをする人だった。母は身体が弱く、肺も片方しかなくて、しょっちゅう寝込むような人だった。母親は大阪の資産家で生まれ育った。反対に父はド田舎の金もない家で生まれた。しかし父は3人兄弟の末っ子で長男として生まれた為、私にとってのおじいちゃんから大切に大切に育てられた。

    2008-02-08 13:21:00
  • 76:

    名無しさん

    母は父と結婚するとき、大阪の家と親子の縁をきられた。そこまでさせて結婚したのに父は母を大事にしなかった。母だけでなく、自分の両親も、私と兄もいてもいないのと同じだった。幼いとき、父が家にいた記憶はほとんどない。いつも10時すぎに帰ってくる父を父だと認識しはじめたのは小学校に入った頃だった。母の父親が亡くなったとき、遺産は10分の1の1千万しかもらえなかった。そのお金は父と父の父で10年もしないうちに使ってしまった。母は自分の洋服もできるだけ安いものを選んでいたが、父は付き合いだといってゴルフクラブも何年かに1回新しく買ったり、とにかく人のお金で派手に遊んでいた。

    2008-02-08 13:32:00
  • 77:

    名無しさん

    離婚が正式に決まって引越しをした。市営住宅の入居は順番待ちだったため、私達親子は県が支援している寮にまず入った。寮といってもワンルームマンションみたいなもので、寮らしいところといえば門限が決まっていたこと、外泊届けがあったこと、お風呂が順番制の共同だったとこ、あと家族以外の男子が禁制だったところ。雅とはやはり雅の家で遊ぶことが多かった。

    2008-02-08 13:54:00
  • 78:

    名無しさん

    いつか雅にケンカしたときに言われた。「あみは自分の親みたいになりたくないやろ?離婚とかしたくないやろ?だったらきちんと話し合って解決しよ!」って。でも最後は話すチャンスすらくれなかったね。

    2008-02-08 14:19:00
  • 79:

    名無しさん

    私は雅に謝った。    「なんかゴメン。ふらついて。信用失ったよな?」 私のしたことは雅を確実に傷つけていた。でも雅は、「俺こそゴメン。俺にも非があると思う。もう1回チャンスちょうだい。もっといい男になってよそ見できんよおにさせたるから。笑」とあっさり許してくれただけでなく、私よりいっぱい謝ってくれた。

    2008-02-08 14:39:00
  • 80:

    名無しさん

    雅の優しさを感じた。それだけで満足すればよかったのに。私は馬鹿で、身勝手で調子にのって、私は悪くないと思ってしまったんだ。雅の優しさを勘違いして、雅に甘えて自分のことしか考えなかった。

    2008-02-13 23:16:00
  • 81:

    名無しさん

    その事件があったあとも、雅はすごく優しくていつも私のことを気にかけてくれた。私を愛してくれた。毎朝モーニングコールをするのは私じゃなくて、雅。朝が苦手な私を雅が毎朝優しい声で起こしてくれる。どうしてそれだけで満足できなかったのか今でも不思議でしょうがない。

    2008-02-13 23:45:00
  • 82:

    名無しさん

    8月も半ば。付き合って初めて雅の誕生日を迎えた。私はお母さんの友達の民宿でたまにバィトさせてもらっていた。2〜3回しかしてなかったので予算は1万円。サーフブランドのサーフペンダントを買った。アクセサリーなんてまだまだ自分で買ったりしない年頃だったし、雅はすごく喜んでいた。

    2008-02-14 00:35:00
  • 83:

    名無しさん

    誕生日当日は雅の家で、雅のお母さんが買ってきてくれたケーキを食べた。もちろん誕生日になった瞬間にメールを送った。「雅と付き合えてよかった。これからもずっと一緒やからね。」って。素直な気持ちだった。雅のことが大好きだった。

    2008-02-14 00:54:00
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