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子宮筋腫と私

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  • 1:

    わたしは20代後半のキャバ嬢です。もう子宮筋腫と6年もお付き合いしています。最初から今までを書きます。同じ病気で苦しんでる人や全く知らない人もみんな読んでくれたら嬉しいです。

    2005-05-27 10:28:00
  • 2:

    誰かにきいてほしい、誰かにわかってほしい、そんな思いで書くことに決めました。
    最初自分の体がおかしいかなと気付いたのは24才の時でした。下腹に硬いシコリが出来て、まるで石のようでした。そのころ私は寂しさをまぎらわせるかのように、男をとっかえひっかえしていました。

    2005-05-27 10:29:00
  • 3:

    ラブホで男とエッチするときに相手が「何?これめっちゃ硬いやん!」って私の下腹を触りました。私もなんでかな?くらいにしか思っていなくて、そんな病気があることも知らなかったし、子宮外妊娠かもしれないから親にも相談出来ずにいました。

    2005-05-27 10:30:00
  • 4:

    そのとき私は昼はレストランのレジの仕事、夜はスナックで働いていました。その下腹にシコリが目立つようになってから、生理が多くなり、血の塊がモリモリと出てきて、レジは立ち仕事だったから生理になるたび気になりました。

    2005-05-27 10:31:00
  • 5:

    「店長トイレ行ってきます!」っとトイレに行くたび顔が真っ青。下着に血の塊が卓球の玉くらい出てて生理の量も多いし、普段なら5日くらいで終わるのに月のうち3週間はずっとこんな生理が続き、1週間あとにまた生理が3週間…。そんな状態が何ヶ月も続きました。

    2005-05-27 10:32:00
  • 6:

    私は友達がいなくて寂しかったから今でいう出会いサイトでメル友を作りました。一人は大阪のファミレスの店長、もう一人は鹿児島の専門学校に通う男の子です。専門学校生は「たかし」と名乗っていました。たかしとのメールは楽しくて暇だからすぐ返事くれるし電話では話したことなかったけど、いつもメールで話してました。

    2005-05-27 10:33:00
  • 7:

    ある日いきなりたかしが「りりぃおまえ何か体悪いだろ?早く病院行ったほうがいいぞ。手遅れになるかもしれない。お願いだから早く病院行って」とメールしてきました。私はたかしに生理がおかしいこととか下腹にシコリがあるとか話したことないから不思議に思い「なんでそんなこと言うの?」ってききました。

    2005-05-27 10:34:00
  • 8:

    たかしは言いにくそうに「俺なぁ…実は霊感ていうか超能力みたいなのがあってメールしてるだけでそういうのがわかる。りりぃからは赤色が見えてるから病院行ったら助かるよ!でも一刻を争うから早く行ってくれ!」ってメールで言われました。

    2005-05-27 10:35:00
  • 9:

    続いてたかしは「ちなみに赤は助かるけど重い病気、紫はもっと重い病気、黒は命が助からない病気だから。りりぃは大丈夫だよ。」と言ってきました。私はその言葉を信じる信じないはさておき、すぐに町の産婦人科へと急ぎました。その産婦人科はお姉ちゃんが出産した病院で優しいおじいちゃんの先生がいました。おじいちゃん先生は私を問診したあと「ひょっとしたら…」

    2005-05-27 10:36:00
  • 10:

    「子宮外妊娠かなぁ、子宮筋腫かなぁ」と私を診察台に座らせました。産婦人科の診察台は足の置き場があって、股を開いて座ります。産婦人科が初めてだった私は恥ずかしくて診察台に座ると体中に力が入りました。子宮外妊娠とは精子と卵子が結合した状態で子宮の外に付着して妊娠してしまうらしく、エッチばっかりしてたからそれかなと思いました。

    2005-05-27 10:36:00
  • 11:

    「子宮筋腫?」初めてきく言葉です。全く知識がなかったからさっぱりわかりませんでした。あとで本を読んで調べました。子宮筋腫とは、子宮内の一つの細胞が何らかの原因で大きくなり腫瘍ができ、やがて子宮を圧迫し生理が大量になったり極度の貧血に陥り、重度の場合は手術が必要で、手術方法にもいろいろあるそうです。しかし子宮筋腫は子宮ガンとは違い良性の腫瘍だそうです。

    2005-05-27 10:37:00
  • 12:

    診察台に股がった状態でエコーをとられおじいちゃん先生は大きな声で「うわぁ〜、こりゃ大きな筋腫だなぁ!赤ちゃんの頭くらいの腫瘍が外側にあるよ!ここまでよく我慢してたね。苦しかっただろ?これは手術が必要だからわしの病院では手術は出きん!いまから紹介状書いてあげるから明日病院行くんだよ」と言いました。エコーとは超音波で子宮の内部を調べる装置です。赤ちゃんに害がないため妊婦さんの子宮内を映すのによく使います。

    2005-05-27 10:38:00
  • 13:

    「子宮内外部に直径13センチ程度の筋腫あり…と」おじいちゃん先生は紹介状にエコー写真と図式を書いて私に渡してくれました。「多分極度の貧血になってるからそれもちゃんと診てもらうんだよ」とおじいちゃん先生は言いました。確かにあれだけの血が毎月毎月出ていたら貧血になってるかも…

    2005-05-27 10:39:00
  • 14:

    私は病院を出て「子宮外妊娠じゃなくてよかったぁ。でも子宮筋腫ってなんだろう?腫瘍とか手術とか言ってたけどどんなふうに手術するのかな?」と不安になりながら家に帰りました。帰ってすぐお母さんに「お母さん、あたし子宮筋腫なんだって。明日大きい病院にまた診てもらいに行かないといけないの」と言うと、お母さんは「あんたのいとこのお姉ちゃんも子宮筋腫になって手術したそうよ。明日病院一緒に行こうか?一人じゃ不安でしょ」と言ってくれました。

    2005-05-27 10:40:00
  • 15:

    私も不安だけどお母さんも不安なんだね…と思いながら、明日早く起きて病院行かないと行けないから夜ご飯を食べてすぐ自分の部屋に。そうそう、たかしに報告しなきゃと携帯を手にとります。

    2005-05-27 10:41:00
  • 16:

    「今日病院行ってきたよ。やっぱり手術しないといけないかも。たかしに言われなかったら病院なんて行ってなかったよ!ありがとう」とメールするとすぐに返信がきて、「大変だと思うけど助かる病気だから大丈夫だよ。俺にそういう特別な力があるの知って気持ち悪いでしょ?」となんかかなしいそうなメール内容…。「なんでぇ?たかしが教えてくれなかったらあたしやばかったやん!命の恩人やのになんで気持ち悪いとか思うん?」とメールすると

    2005-05-27 10:42:00
  • 17:

    「俺、この特別な力を恨んでる。昔からこの力があって、友達から気味わるがられてて、いつもいじめられてたんだ。でも中学の時本当の親友が出来て嬉しかった!でも…」
    「でも?どうしたの?」たかしの様子がおかしい。携帯のむこうで泣いてる気がする。
    「その初めて出来た親友から黒い色が見えてきたんだ…」

    2005-05-27 10:43:00
  • 18:

    黒ってまさか…と思いながらメールがくるのを待っているとたかしから「そのことを親友に言うべきかどうかかなり迷った。黒は助からない病気だし言うとまた親友がいなくなるかもしれない。でも本当に好きな親友だから言ったんだよ」
    「そしたら最初親友はショック受けてたけど、それも自分の運命って理解してさらに仲良くしてくれたんだ!そいつガンだったんだよ。もう手遅れだったんだ…」

    2005-05-27 10:43:00
  • 19:

    私は返信しないでしばらくたかしからのメールを待っていた
    「半年後に亡くなったよ…早いよな、まだ13だったんだ。俺は死ぬってわかってる親友と半年間いろんな思い出作ったよ。山行ったり海行ったりいろんな思い出作った。たくさん遊んだ。だけど死んだ。俺の前から消えた。こんな力なんかいらない!」

    2005-05-27 10:44:00
  • 20:

    「俺はそれからまた一人になった。この特別な力のことも人に言わなくなった。隠して生きてきた。そんな時りりぃとメールするようになってりりぃは楽しいし明るいし、メールだけど本当に友達と思える人がまた出来るとは思わなかった。嬉しかった!でもりりぃからも赤色が見えた…」
    私はたかしからのメールに返信「うん!ありがとう。私はそんなことで気持ち悪いとか思わないよ!これからも仲良くしていこうね」するとたかしは「だって俺ひとの心も読めたりするんだよ。そんな奴気持ち悪いだろ?りりぃは本当にいい奴だからそれはわかってたよ。だから赤色のことも言った。でも嫌われたくないんだ」

    2005-05-27 10:45:00
  • 21:

    しばらく考えて「ねぇ、他にあたしから何か見えるものあるかな?」ってメールしました。
    「教えてほしいなら言うけど、左手の人差し指なんかあるでしょ?」
    「ん?なんもないでぇ?指輪もつけてへんし…」
    「いや、何かある、何かあったはずだよ思い出して?」

    2005-05-27 10:46:00
  • 22:

    えぇっと、なんかあったかなあ?あっ、そうか!「思い出したけど3才の時に椅子に挟まって大怪我したわ!いまは傷も見えないくらいだからすっかり忘れてた!」
    たかしは「それが見えてたのかぁ…。他にもいろいろ見えるよ」と遠くにいる見えないはずの会ったことないはずの私のことをズバズバ当てまくりました。親や兄弟が忘れてることまでも。たかしの能力は疑う余地なしでした。

    2005-05-27 10:47:00
  • 23:

    次の日、母と総合病院の産婦人科へ行きました。待合室はさすが総合病院だけあって混み混みです。一時間待ってやっと診察室に呼ばれました。
    今日の先生は50代くらいのおじさん先生でした。おじさん先生に問診され、紹介状も見てもらい、診察台に上がらされました。
    「おぉ!かなりでかいですね。しんどかったでしょ?」とまた同じことを言われました。
    「でもあなたの年齢で子宮筋腫がここまでひどくなる確率は1000人に一人くらいです。若いのに…」
    「!?」なにその確率は?宝くじにも当たったことないのに、男をとっかえひっかえしていた罰が当たったのかな?と考えていたら

    2005-05-27 10:49:00
  • 24:

    「血液が人の半分の薄さですから手術は貧血を治してから行います。手術は出血を伴いますから貧血では手術は危険です。明日から毎日病院で鉄剤を点滴しに来てください」とおじさん先生は母と私に言いました。
    「それから万が一手術で出血多量になるかもしれませんので、輸血しますけどいいですか?お嬢さんはO型ですよね。ご両親とご家族は何型ですか?」

    2005-05-27 10:51:00
  • 25:

    母は「私も夫もこの子の兄弟みんなA型です」と答えました。
    おじさん先生は眉間にしわをよせながら困った様子でこう言いました。
    「ご家族にO型はいてませんか?OはOからしか血液をもらうことができません。他人の血液を使ってもいいですけど、後々後遺症みたいなものが現れ、年中だるさがあったり、あとは血液感染もなきにしもあらずなんで、なるべく他人の血液は使いたくないんです。お嬢さんの血液を通常に戻して、血液を採取してから手術に挑むようにします」

    2005-05-27 10:52:00
  • 26:

    これは大変なことになったなぁ…他人の血液は使いたくないわ!頑張って貧血治さなきゃ…と毎日毎日病院に通い、黒い鉄剤入りの点滴薬をうってもらいました。家にかえれば鉄剤の薬や、レバーやほうれん草など鉄分豊富な食材ばかりを食べていました。
    そのころ、私には大阪のファミレス店長のメル友がいました。そう!出会い系で知り合った人です。その人は「とし」という名前でした。ファミレスということもあり、友達を連れてそのファミレスに食べに行くこともありました。

    2005-05-27 10:52:00
  • 27:

    としとはメールで楽しくお話してるだけでしたが、初めてファミレスに行った時、私の体に電撃が走りました。いわゆる一目惚れってやつです。そのころ写メールなんかなかったですから、お互い顔をしらずにメールしていたので、初めて会った時の衝撃はすごいものでした。
    としも同じだったらしく、その日のメールで「俺りりぃに一目惚れしてもうた!付き合ってほしい!」と言われ、私も好きだったから「うん!よろしく」と返事しました

    2005-05-27 10:53:00
  • 28:

    彼氏が出来てウッキウキ〜ラッブラブ〜♪としは本当にすてきで楽しくて優しくて理想の男性で、生まれて初めてこんなに人を好きになったなぁと思っていました。
    そのころと同時期に子宮筋腫騒動があり、私はとしに言わなくちゃいけないけど、心配もさせたくない、そう思っていたらとしからメールがきました。

    2005-05-27 10:54:00
  • 29:

    「実は俺…りりぃに隠してることがあんねん。でもりりぃも隠してることないか?」
    「えっ!?隠してることって何?あたしはとしが教えてくれたら教えるよ」と答えました。
    「実は…俺婚約者がいてて…政略結婚みたいなもんやねんけど、3ヶ月後に入籍する予定やねん。でもほんまは結婚したくないし、りりぃのほうがほんまに好きやねん!りりぃのこと誰にも渡したくないねん!」

    2005-05-27 10:55:00
  • 30:

    衝撃的でした。やっと真剣に好きになれたと思ったのに結婚する…しかも3ヶ月後…私は1ヶ月後には入院するのにとしは入籍する…頭の中がパニック状態になって涙があふれ出てきました。
    「ごめんな!ほんまに好きやから言わずにいられなかった。あかんとわかってて好きになってしまってん。りりぃは何を隠してるん?俺にだけは言ってくれ!」

    2005-05-27 10:56:00
  • 31:

    としからの悲痛なメールは涙でよく見えませんでした。
    「あたしは子宮筋腫でもうすぐ入院して手術しないとあかんねん。今まで黙っててごめんね」涙を拭いながらメールをしました。
    「それって助かるの?入院っていつ?入院するまで逢える?」としのメールはいつもより返信が早い。
    「入院は1ヶ月後やけど、助かると思うしあたしも精神的に不安だからとしが支えになってほしい」まだ涙が止まりません。

    2005-05-27 10:57:00
  • 32:

    普通の状況ならそんな婚約者がいる相手と付き合うことなんてないです。でも病気で不安だし何かにすがりつきたかったから私は彼と付き合い続けることにしました。婚約者には悪いけど…
    次の週、彼とデートをする約束をしました。彼はファミレスの店長だから休みなしだけど、その日は昼までにやることを済ませて出来るアルバイト君にお店をまかせて、車で迎えに来てくれました。

    2005-05-27 10:58:00
  • 33:

    その日、彼とイタリアンを食べに行きました。相変わらず生理で出血がひどい私を彼は気遣ってくれました。量が多く水みたいな生理が出るので彼の車の助手席にまで付いてしまいました。でも腕を組んで歩いたり冗談を言いあったり町中でキスしたり、本当に愛し愛されてるって実感して、その時は病気のことを忘れていました。
    彼が「ホテルに行きたい」と言いだしました。
    「そんな体ってわかってるけど、もっとそばにいたい。その病気って大丈夫なの?」

    2005-05-27 10:59:00
  • 34:

    私は「えぇ!?どうなんだろう?やっていいとか知らないねん。今度先生にきいてみるから今日は帰ろう」と彼をなだめるように言いました。
    「わかった!朝までそばにいるよ」と彼は言い、車で朝までドライブしました

    2005-05-27 11:00:00
  • 35:

    次の検診の時、私は恥ずかしい思いをしながら先生にききました。「先生!sexはしてもいいんですか?」と顔を真っ赤にしながらうつむき加減で言いました。
    先生は「sexですか?大切なことですからね、よくきいてくれました。恥ずかしがらなくていいですよ?ですが、あまり性交渉はされないほうがいいです。筋腫がこれだけ大きくなってますし、破裂でもしたら危険ですよ。でも激しくなければ大丈夫だとおもいます。彼氏いてるのですか?」と少し微笑みながら答えてくれました。

    2005-05-27 11:00:00
  • 36:

    次の週、彼と天保山に行きました。
    彼に先生から言われたことを告げました。すると彼は「おまえのことほんまに愛おしいから無理しなくていいよ。一緒にいてくれるだけでいいから。愛してるよ!手術がんばるんやで」と言いその日は普通にデートしただけで終わりました。ドライブの最中、彼の携帯がなり、彼は『んぁ〜あ、寝てた…ごめんなまた電話するわ』と言い電話を切りました。婚約者からです。私は彼女の気持ちを考えると罪悪間でいっぱいになりました。でも私は彼のことが好きで好きでたまりませんでした。また来週逢う約束をしました。

    2005-05-27 11:01:00
  • 37:

    相変わらず点滴をうけに病院に行く毎日が過ぎ、あと一週間で入院、仕事も昼夜両方ギリギリまで続けました。昼も夜も『入院するんで辞めます』と言いました。やりたいこともあったから週一回教室に通ってて、いい線までいってたけど諦めました。今はそれどころではありません。

    2005-05-27 11:02:00
  • 38:

    私の父方の家系に筋腫やガンの人が多いことを知りました。先生も「腫瘍は採取してからでないと悪性か良性かはわからない」と言っていたので、ガンだったらどうしようと少し不安になりました。でもたかしが『大丈夫だよ。助かるから』と毎日励ましてくれました。今は貧血を治すことに専念しようと、毎日レバーばっかり食べていました。

    2005-05-27 11:03:00
  • 39:

    彼と姫路に行きました。最後のデートです。二人で姫路城を散策してチャンコ屋さんの個室で誰にも邪魔されずに二人っきりで食べて、本当に幸せで、彼ともっとそばにいたいと思い、帰りにホテルに行きました。
    彼が「本当に大丈夫なの?俺はおまえのすべてが好きだからこれも愛おしいよ」と私の下腹をなでながら言います。「大丈夫よ!とし、愛してるよ」と体を重ねました。
    彼は優しくいたわってくれました。彼と私は見つめあい、そして、キスをしました。私は婚約者に対する罪悪感と病気の不安とが交差して、彼の目を見ながらベットの上で泣きました。

    2005-05-27 11:04:00
  • 40:

    ホテルを出て、彼が家まで車で送ってくれました。そして私はある決意を彼に告げました。
    「お願い、別れよう…」
    彼は、はじめびっくりした顔をして、10秒後目から大粒の涙を流しました。
    「なんで?イヤや!ほんまに好きやねん!愛してるねん!俺が婚約者おるからか?俺が今りりぃの心の支えになるのは無理なんか?」と彼は号泣して言いました。
    「ごめん、わかって…あたし彼女に対して罪悪感でいっぱいやねん。としのことはほんまに好きやしずっと一緒にいたいけど、あたしは治療に専念するし、としはこれから彼女だけを見てあげてほしい」と私も泣きながら言いました。

    2005-05-27 11:05:00
  • 41:

    しばらくしてから彼は「わかった……手術頑張るんやで!別れても俺はずっとりりぃを想って手術が成功することを祈ってるから」と言い
    「愛してる!今度生まれかわったら今度こそは一緒になろうね!」と私に言いそして痛いほど抱きしめてくれました。
    「うん…うん」と泣きながら答え、私たちは別れました。家に帰ってからメル友のたかしに「としと別れた」とメールすると、たかしは「つらかっただろうけど、これからは俺がいてるから頑張って早く元気になろうね!」と返信してくれました。私は朝まで泣きました

    2005-05-27 11:06:00
  • 42:

    入院二日前、病院で採血をしました。手術に備えて出血多量に陥った時に自分の血を輸血するためです。400cc採りました。注射針が今まで見たことないくらい太くて私はびっくりしました。
    そして入院当日、私は母と一緒に病院に行きました。母は心配なのか私から離れようとしません。「大丈夫!死ぬ病気じゃないんだし、採ったらまた元気になれるよ」と母をなだめました。

    2005-05-27 11:07:00
  • 43:

    手術にむけて、心電図や採血、そして絶飲絶食をしました。同じ病室の患者さんは美味しそうに食べているのに、私は水さえも採ることが出来ません。
    手術当日、心配なのか、両親、兄弟、おばさんみんな集まってくれました。「みんな大げさやで!手術は2時間くらいで終わるから大丈夫やって」と逆に私がみんなを励ましたくらいです。

    2005-05-27 11:07:00
  • 44:

    手術前に麻酔をしました。腰椎麻酔と言って腰から麻酔薬を入れます。そして手術のために安定剤を飲みました。
    手術室に向かう私を両親が心配そうに見ます。「外で待ってるから頑張ってね!」と母は泣きながら言います。「いってきます」と手術室に入りました。

    2005-05-27 11:08:00
  • 45:

    手術室は「こんなんドラマで見たことあるわ」っていう感じの部屋でした。でも安定剤と麻酔薬がきいてきたのか私は眠ってしまいました。
    「パンっ!」と手をたたく音がして「起きて下さい!手術終わりましたよ!ご家族の方みなさん外で待ってますよ」と看護婦さんが言いました。
    うぅ…目が覚めた瞬間、体に違和感と強烈な痛みを感じました。手術室を出ると両親がいて「痛かった」と自然に涙が出ていました。「手術が長引いたからみんな心配して外で待ってたのよ」と母が泣きながら言います。

    2005-05-27 11:09:00
  • 46:

    2時間の予定が3時間にも及んだらしく、先生いわく「腫瘍が液化してた。痛かったと思いますよ。中が腐ってたからよほど我慢したでしょ?でも丁寧に手術しましたから、少し時間がかかりました」だそうです。
    手術で腫瘍を摘出し子宮とおなかを縫い合わせました。先生は両親にその腫瘍を見せたそうです。「ケンタッキーフライドチキンを白くした感じだった」と父が言いました。写真でみると、まさしくその通りで、こんな大きいのが子宮にあったなんてとびっくりしました。

    2005-05-27 11:10:00
  • 47:

    母は心配だからと手術が終わってからもずっと付き添ってくれました。小さいときから今まで大きい病気をしたことがない元気な娘が、入院手術となるとやっぱり心配なんだなぁとつくづく思いました。相変わらず絶食だったので点滴を何時間もされました。夜中、みんなも隣で母も寝ているので、携帯のメールチェックをしました。

    2005-05-27 11:12:00
  • 48:

    たかしから「心配だよ!手術終わったかな?また経過を教えてね」とメールが。たかしは同じ内容のメールを何件も送ってました。「たかしはかわいいなぁ」とおもいながら次のメールを開くと、「りりぃ大丈夫か?仕事が手につかない。連絡ないからほんまに心配や。出来る時でいいからメールほしい」と、としからのメールでした。私は横で母が寝ているのに、携帯を握りしめながら泣いてしまいました。好きで好きでたまらなかったのに別れを決意したとはいえ、まだ彼のことが好きでした。

    2005-05-27 11:13:00
  • 49:

    「これでよかったんや。あたしがいたらとしは幸せになれない。あたしはもしかしたら子供が産めないかもしれないから、としには幸せになってもらって、たくさん子供も作って素敵なお父さんになってくれたらそれでいいやん」と自分に何度も言いきかせました。

    2005-05-27 11:14:00
  • 50:

    次の日からお粥を食べるようになりました。でもまだまだお湯に少し米粒がういてる程度のものなので食べた気になりません。
    先生から「腫瘍が内膜にあって、内膜を傷つけたら妊娠出来なくなるかもしれないから、半分くらい残っているので、それがまた再発する可能性があります」とショッキングなことを言われました。
    採ったら治るんじゃないの?とがっかりしました。子宮筋腫には種類がいくつかあって、子宮の外側に出来るものと、子宮の壁に出来るものと、子宮の内側に出来るものがあり、今回は壁と内側にあったようです。

    2005-05-27 11:15:00
  • 51:

    こんな痛い思いするのもうイヤやわ…とため息が出ました。傷は下腹に13センチほど横に切られて金具で止められていました。その金具がこすれると痛くて血もにじんでいました。
    数日後、相変わらず点滴とお粥でしたが、金具をとることになりました。金具をとるのは痛かったけど我慢です。取ったら背中を曲げなくても歩けるようになりました。

    2005-05-27 11:15:00
  • 52:

    そして私は早く仕事が出来るようにと治療に専念しました。癒着しないように体を動かしたり歩いたり、お粥から普通食になって残さないように食べました。
    退院当日、お世話になった看護婦さんや先生、同じ病室の患者さんにお礼を言って病院を出ました。

    2005-05-27 11:16:00
  • 53:

    二週間後、経過をみるための検診を受けるため、病院にやってきました。待合室はかわいい赤ちゃんや元気に走りまわる子供がいて「いいなぁ、あたしもいつか子供産める日がくるかな?」と微笑ましく見ていると、若い夫婦が来て旦那さんが奥さんのお腹をさすっていました。それを見て急にせつなくなり「としも近い将来あんなふうになるのかな」と孤独感に襲われ、早く診察室に呼ばれるのを待ちました。

    2005-05-27 11:17:00
  • 54:

    退院から1ヶ月後新しいバイトをはじめ、朝5時に起きて6時の電車に乗り7時から17時まで喫茶店でウェイトレスをし、夕方からはまたスナックで働き、終電で家に帰り、4時間ほど寝てまた朝出かける毎日を過ごしました。

    2005-05-27 11:19:00
  • 55:

    喫茶店の学生アルバイト君が「そんなに働いて大丈夫なんですか?」と心配してくれるくらい無我夢中で仕事をしました。仕事をしていないと彼のことを思い出してしまうからです。としからメールが来るのでそれを見ては励まし頑張りました。そして私は実家を出て一人暮らしをしました。大阪市内に住んで仕事に集中するためです。昼も夜も頑張りました。

    2005-05-27 11:20:00
  • 56:

    しかし一人暮らしではなかなか貯金がたまりません。そんな時、友達が風俗をはじめました。なみという名前の子です。なみはホストにはまって風俗をはじめたみたいで、「りりぃも一緒に働こうよ」と誘ってきました。「風俗なら毎日数万円持って帰れるしぃ、すぐに貯金も出来るしぃ、昼夜働かなくても夜だけ働いてたら遊ぶ時間も恋愛する時間も出来るやん!」と何度も誘われました。はじめは断ってたけど、仕事の話をきいていて興味がわいてきたので、体験入店してみました。

    2005-05-27 11:21:00
  • 57:

    抜きのお仕事ははじめてで、わけがわからないことばっかりでしたが、終わったとき「お疲れさん」と店長さんに給料を渡されびっくり!万札がいっぱい…
    そしてしばらく風俗をすることにしました。なみがホストに通ってるので、付き添いで行き、彼のことを忘れるため癒されるために通いました。
    やがて風俗はやめ、スカウトされたキャバクラで働くようになりました。キャバクラはスナックと違ってお客さんを呼ばなくてはいけないので最初は大変でした。

    2005-05-27 11:21:00
  • 58:

    すっかり彼のことは忘れていました。いい思い出です。あれからとしは結婚しファミレスをやめ、家業をついだそうです。だからファミレスに行っても彼の姿は見れないし、私も携帯を変えたので連絡もとれなくなりました。
    キャバで営業頑張っていたある日、なみが男友達を紹介すると行って男女4人で逢いました。

    2005-05-27 11:22:00
  • 59:

    お客さん以外の男性と逢うの久しぶりだなぁとおしゃれをして出かけました。なみの友達はサラリーマンと自営業でした。自営業の友達は「ひろくん」で、ひろくんは彼女がいなくて女の子を紹介してほしくてなみにお願いしてきたそうです。

    2005-05-27 11:23:00
  • 60:

    私はとしと別れてから恋愛するのが怖くて逃げていました。自分が傷つくのがいやだったし、こんな女と結婚してくれる人なんていてないと勝手に決めつけていたからです。
    ひろくんは頑張って私にアプローチしてきました。次の週二人で逢いました。ひろくんと恋愛について語り合い、「私は子宮筋腫をもっていて、いつまた再発するかわからないし、もしかしたら子供もうめないかもしれない。だから付き合うのは…」と言うと

    2005-05-27 11:24:00
  • 61:

    「世の中子供がいなくても仲良くやってる夫婦なんてたくさんいるやんか!子供が欲しくて結婚するんじゃないやん!俺はそんなんじゃ諦めないよ。だから付き合ってほしい」とひろくんにいわれました。
    しばらく考えさせてほしいと言い何週間か真剣に考えました。でもひろくんはしっかりしていて頼れるタイプでこの人にだったら付いていってもいいなあと思いました。

    2005-05-27 11:25:00
  • 62:

    私はひろくんを受け入れることにしました。
    書くの忘れてたけど、たかしくんは鹿児島から博多に上京する際、お金がないからと言って携帯を解約してしまい、それから連絡がとれなくなりました。命の恩人のたかしくんは元気かな…
    ひろくんとの交際も順調で、仕事も順調でやっと私も人並みに幸せな生活が送れるなあと思っていたある日、自分の体の異変に気付きました。

    2005-05-27 11:26:00
  • 63:

    キャバクラのトイレで自分のお腹を見た時、下腹に硬いものがあるのに気付きました。生理は何も異常なかったけど、また再発してるかもしれないと思い、次の日近くの病院で診てもらいました。病院でエコーと内診(先生が指で中を診ること)をしてもらい、先生は言いました。

    2005-05-27 11:27:00
  • 64:

    「野球のボールくらいの筋腫がありますね、生理には異常がないようだからいますぐ手術とはいかないでしょうけど、あなたの場合少しひどいみたいですから、腕のいい先生を紹介しましょう」
    先生は紹介状を書いてくれました。私は昔のあのしんどかった時を思い出しました。入院した人はわかるだろうけど、入院は本当にイヤです。

    2005-05-27 11:28:00
  • 65:

    なぜ筋腫が出来ると生理が増えるのか、それは筋腫が出来ることによって子宮内部が伸び、生理は内部にはりついているものが出てくるから量が増えたり血の塊が出たりするんですね。また、筋腫とよく似てる「肉腫」というものもあって、これはエコーなどではわからないため、手術で摘出したものを病理で検査して筋腫か肉腫か調べます。筋腫は良性の腫瘍ですが、肉腫は悪性の腫瘍なんで、早期発見が大事です。

    2005-05-27 11:28:00
  • 66:

    「今は生理に異常がないみたいだから定期的に検診を受けに来て。生理に異常があったら必ず来ること。わかった?」と先生は言いながらカルテを書いていました。
    私はひろくんに報告しました。

    2005-05-27 11:30:00
  • 67:

    ひろくんは「早く一緒になれるように俺も自営業が安定するように頑張るよ」と言ってくれました。
    それから数ヶ月、生理の量が増え、日数も長引くようになり、慌てて病院に行きました。
    先生は「まだそんなにひどくなっていないからまたひどくなってから来て」というだけで、だんだん貧血はひどくなるし、営業中も落ち着いて接客出来ないくらい生理が増えてきました。10分も座ってられなくなりました。

    2005-05-27 11:31:00
  • 68:

    仕事が出来ないから辞めようと思っていたある日、お風呂場で倒れてしまいました。
    意識がモウロウとするなか、なんとか携帯を手に取り、119をまわし「すいません救急車をお願いします」、『どうしました?』、「子宮筋腫で貧血で入浴中倒れてしまって…意識がとびそうです…」、『わかりました。すぐ向かいますから住所をお願いします!』
    電話を終え、ふらふらしながらも気力で着替え、髪の毛は濡れたまま、保険証と財布と携帯を手に取りマンションの下まで降りていきました。

    2005-05-27 11:32:00
  • 69:

    部屋を出るとき見たら、ベットの上もお風呂場も血の海でした。掃除したいけどいまはそれどころではありません。
    救急車を待つ間、母に電話し「いまから救急車で病院行くからまた連絡する」とだけ言いました。
    救急車が到着するまで、マンションの門で待っていると、犬を散歩していた近所のおばちゃんが「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と私に声をかけてきました。
    「いま…救急車を…よんでるんで大丈夫です。ありがとうございます…」と言うとおばちゃんは一緒に救急車が来るまでそばにいてくれて、私の意識が飛ばないように声をかけてくれました。

    2005-05-27 11:33:00
  • 70:

    ようやく救急車が到着し、救急隊員が降りてきて「どうしました?」と尋ねます。「子宮筋腫の貧血で…意識が飛びそうなんで、掛かり付けの…病院までお願いします」と言うと、救急隊員は無線で搬送先に連絡を取り、私を救急車に乗せてくれました。おばちゃんは心配そうに見送ってくれました。

    2005-05-27 11:34:00
  • 71:

    救急車の中で、救急隊員が「血圧をはかりますね」と私の腕で測ろうとしました。しかし機械は『ピー…測定不能…』と出ました。「貧血がひどすぎて測れません!」と救急隊員が少し慌てます。
    「うぅ…吐きそう…」
    車の揺れで気持ち悪くなりました。「すぐ着きますから頑張って下さい!」と救急隊員が声をかけてくれました。

    2005-05-27 11:35:00
  • 72:

    産婦人科の診察室に運ばれ、担当の医師が待っていました。先生は私を見るなり「入院ですけどいいですね」と言い、診察してくれました。
    「ご家族に2週間ほど入院すると連絡しなさい」と先生に言われ、診察室から母に連絡をいれました。
    「お母さん、いま病院やけど、2週間くらい入院って言われた」と言うと、「今すぐ行くわ!病院の場所と部屋番号を教えて」と母は答え、看護婦さんに場所の説明をしてもらいました。

    2005-05-27 11:37:00
  • 73:

    病室に運ばれる時、看護婦さんが「二人部屋と大部屋がありますけど、どちらがいいですか?」とききます。
    しばらく考えてから「二人部屋でお願いします」と答えました。大部屋だと最初は落ち着かないと思ったからです。
    二人部屋に着くと、看護婦さんが車いすから私を移してくれて、「いま先生が来ますからね!」と言い去って行きました。私は病院に着いたことで少し安心していました。

    2005-05-27 11:37:00
  • 74:

    女医さんが部屋に入って来ました。「はじめまして。あなたの副担当の医師です。いまから採血しますね」と優しく微笑み女医さんは採血をするため私の足の付け根に太い注射針を刺しました。
    「貧血がひどいから腕からは無理でしょ?ここのふとももには大きな静脈が通ってるからここから採りますね…。静脈なんでちゃんと止血しないと血が出てくるんで痛いですけど我慢して下さいね」と女医さんは言いながら思いっ切り私のふとももを力ずくで押さえます。
    声にならないくらい痛かったけど、数分間止血されました。

    2005-05-27 11:38:00
  • 75:

    「いまから止血剤と点滴をしますからね」と女医さんは点滴をしはじめました。
    「あ、お店に電話しなきゃ。ひろくんにも」と思い、女医さんが去ってからお店に「入院したんで辞めます」と連絡し、ひろくんにも電話しました。

    2005-05-27 11:39:00
  • 76:

    ひろくんは『入院って大丈夫なんか?いま仕事がはなせなくて行けないけど頑張れ』とだけ言い電話を切りました。ひろくんの反応で不安になりました。
    数時間後、息を切らして母が病室に入って来ました。「途中で道に迷って遅くなってごめんね!」と母は言い、「お母さんごめん、何にも荷物用意してないからお金渡すから最低限のものを買ってきてほしい」とお金とメモ用紙を母に渡しました。

    2005-05-27 11:40:00
  • 77:

    母が買い物から帰ってきて、「あんたが入院するってきいて本当にびっくりしたわよ。明日も来るから今日は帰るわね。」と母は家に帰りました。止血剤をされても生理は止まりませんでした。夜中、吐き気で目が覚めて歩いてトイレに行きました。

    2005-05-27 11:41:00
  • 78:

    トイレから出てくるといきなりめまいに襲われました。トイレ前のソファになんとか座り、動けないし大声も出せないから誰かが通るのを待っていました。通りかかった患者さんがびっくりして「キャー!大丈夫ですか?今看護婦さんを呼びますからね」と走って呼びに行ってくれました。

    2005-05-27 11:42:00
  • 79:

    「それから貧血がひどいんで、このままでは輸血することになるんで、そろそろ止血剤の効果も出てきてこの2週間で徐々に貧血も回復してくると思いますが、回復がおくれたりしたら他に要因があると思われるんで内科にも回ってもらいますからね」と言われました。そのとき私はヘモグロビン値が5.5しかなくて5以下になると輸血を開始するそうです。頑張って貧血なおさなきゃまた他人の血液を輸血されるのは避けたいわと思いました。

    2005-05-27 11:44:00
  • 80:

    以前と同様、鉄剤をまいにち注射され、点滴も毎日、ご飯も残さず食べてるかどうか看護婦がチェックします。頑張って貧血治そうと努力した結果少しずつヘモグロビン値が通常値に近づいてきました。2週間のところが3週間かかり、無事貧血は回復しました。
    「手術二日前にまた入院ですから、それまでは家で療養していて下さい」と先生に言われ私は一旦退院しました。

    2005-05-27 11:44:00
  • 81:

    家についてすぐひろくんに電話しました。何度電話しても出てくれません。
    入院まで2週間もあって暇だし気晴らしに他のキャバクラへ体験入店に行くことにしました。久しぶりにメイクやセットをしドレスでお洒落して、お客さんとたわいもない話をしていると、自分がいま手術前であることや、ひろくんと連絡とれないことを忘れることが出来てよかったです。私は日払いでお給料をもらい、退院したら働くことを約束して送りで帰りました。

    2005-05-27 11:45:00
  • 82:

    そして再入院当日、ひろくんとは連絡とれないまま二日後には二度目の手術を迎えます。
    手術前日には絶飲絶食になりました。
    手術当日、麻酔室に行き腰椎麻酔をされ、しばらく病室で待機してから手術室に移されました。
    両親、兄弟みんな心配でかけつけてくれました。手術室に入ると名前を確認され、奥へと移動。看護婦さんが麻酔がきいているかチェックし効いてきたことを確認すると手術が始まりました。

    2005-05-27 11:46:00
  • 83:

    腰椎麻酔なので意識もあるし見えるからお腹のところにカーテンをひいてくれました。看護婦さんが「何か音楽ききますか?何かあったらいけないんでなるべく起きていて下さいね」とヘッドホンを私につけて音楽をかけてくれました。
    麻酔がきいているのかさほど痛みはなく、途中まではなんとか起きていられたけど最後の一時間は寝てしまいました。

    2005-05-27 11:47:00
  • 84:

    手術中寝てしまった私を看護婦さんが「終わりましたよ!」と起こしてくれました。女医さんが私に「これがあなたの子宮の中にあったのよ」と優しい口調でトレーを私に見せました。「こんなに大きかったんですか?あとの二つは小さいですね…」と私は筋腫を見ながらいいました。
    「ご両親が手術室の外で待ってるから行きましょうね」と看護婦さんが言いました。
    手術室を出ると父と母が「また長引いたな。病室で待ってたけど待てないから手術室まで来てたんや」と父が言います。
    「今回も見せてもらったけど大きかったわね」と母が言います。みんなで病室まで私の搬送ベットを押してくれました。

    2005-05-27 11:48:00
  • 85:

    病室に着くと、しばらくして父が
    「俺のせいなんかな…」と言いました。
    この言葉をきくのは久しぶりでした。父は筋腫もガンも遺伝が関係あると思っていて、父方の家系に筋腫やガンが多いことから父は自分を責めていました。俺のせいで娘が何度も手術するはめになっていると考えてるようでした。私はその言葉をきくのがイヤということもあって実家を出て一人暮らしをしていました。遺伝が関係しているかどうかは俗説にすぎないのに…

    2005-05-27 11:49:00
  • 86:

    なぜか今回は前回の手術と違ってあまり痛くありませんでした。二度目だからでしょうか…
    先生と女医さんが病室にやってきました。「手術は成功しましたよ。でも再発した期間が短かったので、もし子供を本当に産みたいのなら早く産んだほうがいいですよ。お父様もお母様もそのほうが安心ですよね」と女医さんは微笑みながら言いました。
    母は「先生ありがとうございました。この子には本当に早く結婚してほしいんですけど相手に恵まれないんです…」と答えました。

    2005-05-27 11:50:00
  • 87:

    私はひろくんを諦めかけていました。
    「先生、もう次ひどくなったら子宮をとってもらえますか?またこんなしんどい思いをするのイヤだし両親にも心配かけたくないんです」と言うと「それは前にも言いましたけど子宮は出来る限り残す方向で考えてますよ。今は相手がいてなくても将来好きな人が出来て結婚する日が来たときのことを考えて下さい」と先生に言われました。
    ということは今回も貯金減らしたからまた次回に向けて仕事、貯金しなきゃいけないのね…エンドレスだわ…と心の中で思いました。

    2005-05-27 11:51:00
  • 88:

    次の日、手術から落ち着いた私は、二人部屋から大部屋にうつしてもらいました。
    大部屋には子宮ガン、乳ガン、子宮筋腫の患者さんたちがいました。同じ部屋に私と同じくらいの若い子宮筋腫の患者さんもいました。彼女はまだ手術前で、毎日毎日両親がお見舞いにきていました。夕方になると彼女のところに若い男性がやってきました。

    2005-05-27 11:52:00
  • 89:

    彼女はいつもその男性と親しげにはなし、男性は面会時間が終わってもすぐには帰ろうとしませんでした。
    ある日、その彼女のところに友達が訪ねてきました。友達と話をしているとまた若い男性がやってきました。彼女は友達に
    「紹介するわ。彼氏よ」と言いました。

    2005-05-27 11:52:00
  • 90:

    私は同じ病室で惨めな思いをしていました。同じくらいの年齢で同じ病気で、彼女には毎日お見舞いに来てくれる彼氏がいるのに、私は彼氏とは連絡すらとれていない…。羨ましいなと思うと、寝るときに自然と涙が出て枕が濡れてしまいました。
    これでは駄目になってしまうから早く回復して退院してまた仕事バリバリしようと決意しました。

    2005-05-27 11:53:00
  • 91:

    そう思うと早く退院するためにがんばりました。癒着しないように病院中を歩き回ったり、母と病院内の喫茶店で話をしたり、私の回復の早さに先生方も驚いていました。以前の手術では傷口は金具でとめられていましたが、いまは黒いビニールテープみたいな物を貼るのが主流だそうで、手術から数日後そのテープもはがされました。

    2005-05-27 11:54:00
  • 92:

    貧血もなく傷口の回復も早く、予定より早く退院出来ました。
    退院の日、母が迎えにこれなかったので、姉が迎えに来てくれました。私は入院費を姉におろしてきてもらって、会計に払い、先生方や看護婦さん、同じ病室だった患者さんたちに挨拶をして病院を出ました。

    2005-05-27 11:55:00
  • 93:

    長かった入院生活、すべてから解放された気分でした。私は姉に
    「お姉ちゃん、バイキング行きたい!」と言いました。姉は「退院したばっかりでそんなに食べれるの?」とびっくりしながらききました。「大丈夫大丈夫!あたしおごるからこのまま○○ホテルのレストランに直行よ♪」と姉に市内の一流ホテルに行くように指示しました。

    2005-05-27 11:56:00
  • 94:

    レストランに着くと「長い間頑張った私へのご褒美やねん♪」と料理を取りまくり、「美味し〜い!病院のご飯ばっかりやったからうれしいわぁ♪」とあきれ顔の姉を横目に料理を食べまくります。
    「ふぅ…食べ過ぎたかも。歩けない」と言うと「当たり前やろ!あれだけ食べたら」と姉はあきれています。「動かれへんからお茶しよう♪」とまた姉をひっぱりまわしました。

    2005-05-27 11:57:00
  • 95:

    ティーラウンジに着いて、私はアイスコーヒーを頼みました。ホテルのアイスコーヒーは氷までもがコーヒーで出来ていて、溶けても薄くならないのに少し感激していました。
    「わたしもあんたがそんなに何回も筋腫になってるから、自分も大丈夫かなあって不安になるねん」と姉が言いました。同じ姉妹だからなってもおかしくないし、いとこのお姉ちゃんも手術しているからです。「なってもなぁ、こうしてまた美味しい食べ物たべれるんやからまた頑張ろうと思えるねん。だからもし姉ちゃんが入院したら退院した時に美味しい店連れてったるからなぁ♪」と言うと姉は「あはは。あんたらしいわ。でもまあその通りやな!考えててもなるようにしかならんしな」と笑いながら言い、ホテルを出て家まで送ってもらいました。

    2005-05-27 11:58:00
  • 96:

    入院中、いろんな患者さんを見てきたので、ガン患者さんの大変さも目の当たりにしてきました。夜中に痛くてうなされていたり、抗ガン剤の副作用で髪の毛が抜けたり、抗ガン剤を一日中投与していたり。ガンのおばさんが私に「あんたはとったら治って元気になる病気やからええやんか。わたしなんかガンやからもう何ヶ月も入院しててストレスたまってるわよ」と嫌味を言われたこともありました。子宮筋腫にかかりやすい患者さんがガンになりやすいって本にも書いてあったから、私もひとごとではないと思っていました。

    2005-05-27 11:59:00
  • 97:

    ひろくんとはそのまま自然消滅になりました。怖くなって逃げたようです。より一層男性不信になってしまいました。
    今はまた再発するかもしれないからと、仕事にあけくれる毎日です。いつか自分のことをわかってくれる人が現れることを願っています。
    最後に、風俗や援助交際などで性を売ったり、自分の体をめちゃくちゃに扱っていませんか?私はこの病気を通じて女性の素晴らしさを痛感しました。簡単に子供をおろしたり避妊せずエッチをしたり、子供を粗末に扱ったり、親のことを考えなかったり、他人を騙したり。私はこのスレを読んで少しでもわかってくれる女性がいたらいいなぁと思っています。

    2005-05-27 12:00:00
  • 98:

    子宮筋腫は複数の男性と性交渉したらなるってのは、現在では立証されてません。ホルモンのバランスが崩れたらなりやすいとか、黒人女性に多いとか、肥満女性に多いとかすべて立証されてないんで…。私はストレスも原因だと思うんですけどね!

    2005-05-27 12:01:00
  • 99:

    私が調べたかぎりでは何が原因かわからない。女性が成長していく中でホルモンバランスがくずれて婦人科の病気をひきおこすこともあるから、エッチしすぎが原因とはいいきれないって言いたかったんですけど…。私も再発したときは本当にそういうことをしてなかったし今もしてません。それでもホルモンバランスが崩れて原因になることがあるんです。卵巣がはれる原因を決めつけないでほしいと思ったからです。

    2005-05-27 12:01:00
  • 100:

    読んでくださったみなさん本当にありがとうございます。

    2005-05-27 12:04:00
  • 101:

    りりぃ 04/7/30 09:49 (旧掲示板)

    2005-05-27 12:07:00
  • 102:

    名無しさん

    すごく考えさせられました。
    ありがとぅ?

    2005-08-03 02:15:00
  • 103:

    名無しさん

    あたしも今子宮筋腫になっていて大きくはないので摘出はしなくていいと言われました。生理の血も薬でなんとか量を少なくしています。でもやっぱり不安なんです。小説を読ませてもらってもっと考えさせられました。ありがとうございます

    2005-08-03 10:45:00
  • 104:

    名無しさん

    2005-08-15 05:54:00
  • 105:

    名無しさん

    2005-11-13 23:43:00
  • 106:

    名無しさん

    あげ

    2005-11-26 02:51:00
  • 107:

    あゆ

    汚いと思われる方もいらっしゃると思いますが…。
    りりぃさんのように、下腹のしこりなどはありませんが、今日レバーみたいな血の固まりが出ました。
    あたしは、自分の体を大切にしていませんでした。
    自業自得なのに、恐くて不安でたまりません。全く知識がなかったのですが、この小説を読んで少しだけ知ることが出来ました。りりぃさん、ありがとうございます。恐くて仕方ないけど…近い内に病院に行きたいと思います…。

    2005-12-16 00:15:00
  • 108:

    名無しさん

    アケ

    2006-03-08 00:55:00
  • 109:

    名無しさん

    私の母は子宮筋腫で子宮を摘出しました。母は帝王切開を三回して私らを産んだのでもう子供は無理と言われていたから気にするでもなく今は忘れてさえいることがおおいですがこの小説を読んで考えさせられました。病中の辛さを私は理解しようともしてなかったことを今更悔やんでみたり・・・遺伝もあるようなことが作中にあったので不安にもなりました。母はガンの手術もしているからです。また、自分の体を大切にせず、堕胎したこともあります。とにかく堂堂巡りで考えさせられることが沢山ですばらしい作品だと思います。本当に沢山の方に読んでいただきたいです。

    2006-03-08 03:32:00
  • 110:

    名無しさん

    あげ

    2006-06-13 21:00:00
  • 111:

    名無しさん

    2006-06-14 08:37:00
  • 112:

    名無しさん

    うそ!

    2006-07-15 17:54:00
  • 113:

    名無しさん

    2006-07-16 04:16:00
  • 114:

    名無しさん

    2006-07-16 06:45:00
  • 115:

    名無しさん

    2006-07-16 06:46:00
  • 116:

    名無しさん

    2006-07-16 17:52:00
  • 117:

    りりぃ

    まだこの小説あったんですね‥それにびっくり
    あれからは子宮筋腫の症状はなくしこりもなく生理も通常通りです。本当は早く結婚して帝王切開でもいいから子供が欲しいけど今の彼氏では結婚なんてまだまだ先の話みたいです。

    2006-08-15 02:48:00
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