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満月は見ている
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1:
さかえ◆hq8SNwlLmg
月は見ている。
あたしは台所の窓から見える紺色の空にぽっかり浮かぶ三日月を眺めながら、ひたすら冷蔵庫にあるだけの食べ物を口に運んだ。
冷蔵庫の前にしゃがみ込んで、ロールケーキ、チーズ、生ハム、惣菜、食べられる物なら何でも口に入れる。
だけど満たされない。2007-09-07 04:57:00 -
20:
さかえ◆9.LmROEOuM
診察室から出ると数歩で受付と待合のホールに辿り着く。
診察が終わると、あたしはいつも、クリニックの喫煙コーナーに立ち煙草をくわえる。
薬の処方と会計までの待っている時間が窮屈に感じるからだ。
午前中に診察を終えても診察を待つ人はどんどん増えて行き、
受付前に置かれている長椅子は、いつも満席になる程、混雑する。2007-09-07 05:59:00 -
21:
さかえ◆9.LmROEOuM
あたしが一番怖いと感じる視線も増えて、針のむしろに立たされた気分になる。
だから、受付から死角になる喫煙コーナーは、あたしには絶好の避難場所で長椅子に座るよりは、
はるかに落ち着ける場所だった。
このクリニックの患者は比較的、喫煙者が少ないようで喫煙コーナーに立つ者が少ないのだけれど、今日は先客がいた。2007-09-07 06:02:00 -
22:
さかえ◆9.LmROEOuM
先客の女性は服の袖から透けるような白い肌と異常に細い腕を覗かせていて、
煙草を持つ、しなやかな小枝のような指の関節辺りには、たこが出来ていた。
あたしは、それを見て自分と同じ匂いを感じた。
過食嘔吐をする人には、あたしと違って指を喉の奥に入れる人もいる。
そして指を使って嘔吐を繰り返す人は、指に「吐きだこ」と呼ばれる物が出来る。2007-09-07 06:05:00 -
23:
さかえ◆9.LmROEOuM
あたしの指は短く喉の奥に届かないからスプーンの柄を利用しているが、
喫煙所に立つ、この女性は指を使って吐いていると、すぐに分かった。
あんまりじっと見ていたせいで女性は、あたしの視線に気付き、目を逸らす事なく、あたしをじっと見た。
女性の大きな瞳は、あたしの心まで見透かしてしまいそうな澄んだ目で、思わず、あたしの方が目を逸らしてしまった。2007-09-07 06:08:00 -
24:
さかえ◆9.LmROEOuM
気まずい雰囲気を誤魔化すかのように煙草に火を点けた。煙草の煙を吐き出した時に女性が口を開いた。
通らない曇った低い声だったけれど、何故か心が落ち着く声のトーンだった。
「調子はどう?」
前からの知り合いのように軽く訪ねる口調に戸惑いを感じたが、
あたしは抑揚のない声で「まあまあです」と答えた。2007-09-07 06:11:00 -
25:
さかえ◆9.LmROEOuM
実際、自分の事に関しては良くも悪くも感じていなかった。
むしろ、変わらない現状に諦めを持っていた。
「あたしも、まあまあだわ」
女性は気だるそうに煙を吐き言葉を続けた。
「だけど変わらない日常に苛々を感じる」2007-09-07 06:14:00 -
26:
さかえ◆9.LmROEOuM
自分の気持ちを代弁されているようで返す言葉がなく、女性も、それを察し互いに沈黙をした。
「三浦さん」
受付の誰かを呼ぶ声に反応して、女性は吸い終えてない煙草をアルミの筒型の灰皿に押し付け、
受付の窓口まで去って行った。2007-09-07 06:17:00 -
27:
さかえ◆9.LmROEOuM
彼女はこの時以来、あたしの気になる存在になった。
夜の訪れは心臓が震えるほど怖い。
今日こそ沢山食べないでおこう、そう決めても抑え切れない食欲に襲われるから。2007-09-07 06:20:00 -
28:
さかえ◆9.LmROEOuM
冷蔵庫に隙間なく詰め込むほど買い込んでいた食糧も二日で尽きてしまう。
時々、あたしは、ひょっとしたら自分の体は全部胃袋で出来ていて、
上から人間の皮を被っているんじゃないかと考えてしまう。
自分でも恐ろしいと思う食欲だ。けれど食べる時は何も考えていない。
目の前にある食べ物を無我夢中で自分の口に運んでいるだけだ。2007-09-07 06:23:00 -
29:
さかえ◆9.LmROEOuM
こんなあたしの姿を見たら、みんな、醜いとあたしを罵り、軽蔑の眼差しを向けるだろう。
勿論、あの人も。
あの人と同じ屋根の下に住んでいた頃、あの人はいつも針を刺すような冷たい視線をあたしに向け、
忌々しい物でも見るような眼つきで見ていた。2007-09-07 06:26:00